データに基づくBPDの理解

BPDの様な問題は、かつて虐待などトラウマ(精神的外傷)を主因として発生するような理解がなされがちであった。

画像診断が示すところでは大脳辺縁系や前頭連合野に萎縮が見られるなどの問題が知られるようになっている。

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一方、生育歴などのデータからは、必ずしもBPDが性的虐待などのトラウマ経験がある訳でない事も分かってきている。

そんなことも含めて書かれた、精神科医の方が残している以下のブログの内容は一見する価値があるように思える。

 

「家族と専門家のための境界性パーソナリティー障害治療マニュアル(仮題)」のための草稿

 

黒田クリニック

http://www.onyx.dti.ne.jp/~akino-k/

 

著者の黒田章史医師は以前BPD家族会の顧問をしておられた。

http://seiwa-pb.co.jp/bpd_family/date_place/post_20.html

 

 家族にない責任を求めるのは問題があるが、本当は問題があるのに目をつぶらせることにも問題はあるだろうと個人的には思う。
 子供が親に責任を求め、親をコントロールしてしまうような例もあるようだが、親が子を支配し続けているようなこともある。
 事実を知る人間が介在しないと問題を解決するのは難しそうだ。

(転載)境界例の方が身近に居る方に是非読んで欲しい

以下は、Borderline Personality Disorderと言うブログからの転載。BPDの心の内がわかり易い。

 


境界性人格障害は、境界例ともボーダーライン(Borderline)とも呼ばれています。 日本では、1980年代になってようやく注目を集めるようになりました。

境界例の方は、今までにないタイプの患者さんが多く、 薬物療法が効きにくく、手首を切る、大量服薬するなどの自殺企図が 多々見られ、精神科医や看護婦にすがってくるかと思えば、驚く ほどの反発を繰り返します。

また、主治医に対して、「あの先生は、信用できない。」 などと病院スタッフに言いふらし、 いつのまにか、医師と看護婦、看護婦とスタッフ間の信頼がなくなり、 入院病棟の緊張が、異様に高まる場合が多々ありました。

こうした今までにない、患者さんが、境界性人格障害という新しい タイプの精神障害であると医師が気づきはじめたのは、アメリカからの 文献が入ってきてからです。

境界性人格障害のおもな特徴 

見捨てられ不安 

境界例の方の多くが、愛する人や大事な人に見捨てられるという不安を絶えず抱えています。
人間は誰でも多かれ、少なかれ、愛する人や大事な人に見捨てられるという不安を抱いていますが、境界例の方の場合は、見捨てられ不安の感情が、非常に強く、周囲の人には、理解できないほどです。

J・F・マスターソン博士によると、この見捨てられ不安は、ハイハイを はじめたばかりの赤ちゃんが、母親を探し求め、泣き叫んでも母親を見つけることができない場合に起こる、さみしさ(孤独感)や、不安感、怒りの感情のように、心の奥深くから、わきあがってくるものであるといいます。

このような状態におかれた赤ちゃんが必死に泣き叫ぶ姿を想像して下さい。

境界例の方の見捨てられ不安は、この泣き叫ぶ赤ちゃんと同じような 状態にあるのです。
常にあるさみしさや、怒り。 むなしさや絶望感からくる落ち込んだ気持ち。 一人という孤立感やどうでもいいという自暴自棄の感情などは、
この見捨てられ不安が、原因です。

境界例の方には、この見捨てられ不安が、つねに付きまとっているので、繰り返し、繰り返し、さみしさや、怒り、 むなしさ、絶望感、孤立感、自暴自棄の感情が襲います。

このような状態では、安定した人間関係を結ぶことなどできません。
いったん相手を信頼できると思いこむと、今度は、見捨てられないように、しがみつこうとします。 相手が、困り果て、境界例の方を避けようとすると、今度は、一転して、 激しい怒りをぶつけたり、引き止めるために、自殺しようとさえします。
このように、境界例の方の周囲にいる人たちは、不安定で、衝動的な人間関係の うずの中に引き込まれていくのです。

良い自分と悪い自分 

境界例の方は、良い自分と悪い自分を分けています。
良い自分は、多くの人たちに愛される人間であり、悪い自分は、 多くの人たちに見捨てられる人間というように、本人の中では完全に 分裂しているのです。

自分には、良い面と悪い面があるというようには、受け取ることができず、 良い自分だけで、生きようとします。
両親や周囲の人間の期待を裏切らないためにも、おとなしい良い子でいようと必死に努力します。
悪いところを持った自分を周囲の人が、愛してくれるとは決して 考えません。

「良い子でなくては、愛されない。 良い子でなくては、見捨てられる。」との思いから、 良い自分であり続けようとします。

しかし、良い子であり続けることは、できません。
人間は、誰でも、悪い部分を持っているのですから。

人間関係が、複雑になる思春期頃になると、良い子であり続けることがだんだんと困難になってきます。
それでも良い子であり続けようとする境界例の方は、自分の悪い部分を 切り離し、不都合な点は、他人に押し付けることによって、問題を乗り切ろうとします。

悪い部分を完全に切り離している境界例の方は、その部分を他人に、 指摘されても、理解することはできません。

なぜなら、悪い部分を持った自分など、存在しないのですから・・・。

ある境界例の方は、自分の悪い面を全く知らずに、生活しておられました。

家族に、暴言や暴力を振るう場合があっても、すぐにその事実を忘れ、
おとなしく、ガマンすることのできる良い自分が自分自身のすべてであると思い込んで生きておられました。

家族がどんなに、暴力や暴言の話しをしても、それは自分ではないと思っているので、話しを聞きません。

それどころが、「あなたこそが、私に暴力をふるったでしょう。」と言い張る始末です。

この境界例の方の場合のように、悪い部分の指摘を続けることは、結局のところ、 激しい言い争いを招くことになり、

「悪いのは、自分ではなく、あの人のせいだ。」

というように、
自分自身の悪い部分を他人に転換し、この意見を相手が受け入れるまで、 爆発的な感情は、収まりません。

家族や、恋人や、友人にとっては、最初は、戸惑いを覚えながらも、
境界例の方の爆発的な感情に接するうちに、いつのまにか、 同じ考えに至ります。
境界例の方と同じ意見を持つに至る原因は、 このような理由によります。

境界例の方にとって、悪い人は、自分自身の悪い部分を持った人間である分けですから、とうてい受け入れることなどできません。

その結果、悪い自分から逃げる(悪い自分を切り離す)ためにも、その人に対する、 攻撃が始まります。

不安定な感情を持つ境界例の方にとって悪い人が、いつのまにか良い人になっている 場合も多々あり、その逆の場合もあります。

例えば、朝のお母さんは、良い人などで、境界例の方の良い面しかでません。
しかし、昼に、ささいなことで口論になったりすると、自分の悪い部分を受け入れることができない境界例の方は、お母さんのせいにします。
悪い人にされたお母さんは、批判、中傷などの暴言を受け、時には、 暴力さえ振るわれる場合があります。

1日に、境界例の方の態度が何度も移り変わるので、お母さんや周りの人間にとっては、 戸惑いとなすすべの無さだけが残ることになります。

このように、大好きな人が、半日後には、大嫌いな人になるという、 不安定な状態が続くうちに、心の中は、不安や孤独感・むなしさで 覆い尽くされ、

この苦しみから逃れるかのように、家庭内暴力や自殺未遂、 万引きや性的な遺脱行為を繰り返す境界例の方もおられます。

人を操る(対人操作)

先ほどは、境界例の方の爆発的な感情に接するうちに、いつのまにか、同じ考えを共有することについて 説明を致しました。

今回は、違った形での共有を説明したいと思います。

境界性人格障害の方は、相談の名人です。
いつも悩みを抱え、さみしげで、頼りがない境界例の方は、 信頼できると判断した人に、必死に相談します。

相談を受けた人は、「この人を助けることができるのは、 自分だけだ。」との感情に支配されます。

また、境界例の方は、この悩みを打ち明けるのはあなただけだと言いながら、他人を激しく批判します。

悩みを聞く者は、いつのまにか、境界例の方に否定的な人を批判的な目で見ることになります。
このため、境界例の方に否定的な人との間に、いつのまにか争いが起こります。

境界例の方には、人を操っているというような自覚は、 ありません。

自分自身が分からないことで苦しんでいる境界例の方にとって、 自分と同じ意見を持ってくれる人の存在は、それだけで、 安心を覚えることになります。 逆に、自分の意見を否定する人は、不安を増大させる存在なのです。

このように、境界例の方の人間関係のあり方が、必然的に争いを引き起こさせるのです。

自分で自分が分からない。

境界性人格障害の方は、自分で自分が分からない状態にいます。

自分が何を求め、何をしたいのか分からないと言われる境界例の方が、 多くおられます。

「なぜ、万引きしたのか、なぜ、あのような激しい性的遺脱行為に
没頭していたのか分からない、」と言いながらも、自分が望んでいるものが あやふやで理解できないため、そのような行為から抜け出すことができない状態におられる方が多々おられます。

自分で自分が理解できない、分からない、

何を望んでいるのか、何が、 したいのか・・・、分からない。

境界例の方は、このような苦しみの中で日々の生活を過ごしておられます。

飲み込まれ不安

BPDやアダルトチルドレンについて、「見捨てられ不安」の一方で、「飲み込まれ不安(恐怖)」が言われることがある。

 

愛情を求めるが、いつか捨てられるのではないか、という不安が根本にあってしがみつくなどの行動をしてしまう。

一方で、近付きすぎると自分が自分でいられなくなってしまう、自分が飲み込まれて相手の一部にされてしまうような恐怖がわき上がるらしい。

近付いて一体になりたいのに、独立していたいという、矛盾した欲求で激しく行き来してしまう。

ボーダーの人は、他者に没入したい衝動と、自立願望の間で引き裂かれます。

ある時は親密さや保護を求め、ある時はあなたを遠ざけようとし、つじつまが合わないものになります。

・コントロールを失うことへの恐れ

ボーダーの人は、人が近づきすぎると飲み込まれそうに感じたり、コントロールを失うような恐怖を感じます。

あなたが彼らと親密になり、彼らの本当の姿を目にすると、不快感を覚え、彼らから離れていくことを、彼らは恐れています。そして傷つくことを恐れて、距離を取るようになります。

しかし 距離を取れば孤独になり、見捨てられ不安は強まります。再び死に物狂いで親密さを求め、このサイクルが繰り返されるのです。

サイクルは数日,数週間,数ヶ月,数年単位かもしれません。

親密度が高まるほど、見捨てられや飲み込まれの問題も深刻になります。

出典:「境界性パーソナリティ障害=BPD」第2版 (星和書店)

BPDやアダルトチルドレンの不安は底なしだ。

 

解離性同一性障害はBPDの特殊な形態?

あるBPDの傾向を感じる人と接していたとき、顔つき、声、しゃべり方、態度が大きく変わり、突然乱暴な口のきき方をして罵りはじめる。さながら人格交代が起きたのではないかと思うように感じたことが何度かあった。それだけでなく、すくなくとも人格が3つぐらいに感じた。

BPDと解離性同一性障害(DID)は、表面上は似通って見える部分が多い。そのため、誤診も多いそうだし、実際には重なっているのかも知れない。
DIDが明確な人は、完全に交代してしまい記憶が途切れる場合もあるし、自分の中で複数の人格が会話をしたり、他の人格が出ているのを見ている状態であることもあると言う。
多数の人格が同居していると言うことは、常人には理解しがたい。
しかし、最近ではDIDと診断されることが日本でも増えていて(しかし、精神科医でもDIDの理解度はまちまちで、DIDを否定する人もいるらしく、DIDがBPDや統合失調症と誤診されることはよくあるらしい)、先日のエントリーのように、ネットに本人が動画を投稿しているものも見るようになっている。

BPDの人が突然形相を変え、別人のように怒りをぶちまけることはよくあると言うが、瞬間的に攻撃的な他の人格に交代しているケースもあるのかも知れない。

BPDの特殊な形態がDIDであると考える人もいるようだ。


BPD のすべて
著者: ジェロルド・J. クライスマン、 ハルストラウス

DIDは、多数の人格が共存すると言うより、人格が分裂していて一人の多様な部分がそれぞれに現れていると考えているようだ(それが故に今は多重人格ではなく、解離性同一性障害という)。多重人格について我々はビリー・ミリガンのケースを思い浮かべがちで、ダニエル・キースによってドキュメンタリーとしてかかれたものを見て、独立した人格が多数存在しているイメージを持ちがちだ。DIDを自称する人も、別の人格と認識しているようだ。しかしハードウエアは同一だから、その脳の使われ方が人格ごとに変わっているのだろうと想像をしたりもする。一つの脳に一つの人格が育ち、BPDがストレスから守るべく記憶や感情をなくす解離症状がより強くなったものがDIDという解釈も理解できる。虐待などの強いストレスによってDIDが生じている事実は、分裂によってつらい記憶を切り離すことでストレスから待避した結果と考えられる。

解離が見られやすいBPDを考えると、前に取りあげた様な表面的な類似だけではないのかも知れない。

自分が接した人が精神科でBPDと診断されるかどうかわからないのだが、精神的な幼さの一方で、人格様の変化がある人というのは今まで出会ったことがなかった。たくさんの人と出会い、自分の割とセンシティブな感覚で相手の心の動きを感じてきたが、人格の同一性、安定性は保たれている人ばかりだった。突然怒りが爆発する人間は複数知っているが、単に感情がコントロールできないだけで脈絡はあり、同一性は保たれていた。脈絡が読めない人格的な変化が突然起こる人というのは経験が無く、他人の心の動きを感じ取りやすい自分にとって経験の無い唐突な変化は理解不能だった。だから人格の交代を疑ったのだ。それぐらい変化が唐突で激しかった。

他のBPDが疑われた人については、人格が大きく変化するような場面には出会ったことがない。初対面から異常なまでの親愛を示すので危険を感じ、全力で離れたので詳細はよく分からない。感情のアップダウンが激しく精神的に不安定なところがあり、他人をとり込むための都合のよい嘘をつき、不倫であろうがこれと思った他人に依存をし、他人の人間関係を破壊するという典型的な行動があり、あとからBPDをうたがったのである。自分は逃げたにもかかわらず、他人をとり込むために「ひどいことをされた被害者」を装うためのネタに使われ、職場での人間関係を破壊されてしまった。

もっと近い位置であれば人格変化様のものを目の当たりにすることもあったのかも知れないし、単に感情が大きく変わるだけだったかも知れない。それは分からない。

BPDは感情コントロールが出来ないだけなのか、解離性が強く人格交代的な変化が起きているものなのか。BPDの診断基準では区別できない。BPDの人と多く接してみないとそこはよく分からないし、どちらもあるのかも知れない。

 

BPDの人が書いているものを見ても、自我の同一性は保たれているように見え、自己同一性にあやふやな感じがあり、自分のコントロールが効かない極端な価値判断、感情の急峻な変化が起こるために戸惑っているように見える。

もっと解離性の強い人では違うのだろうか。おそらくは程度問題なのだろうと私は思う。人格交代に近い、エピソードは共有しているが、表層を入れ替えて外との対応をしているようなことはありそうに思っている。

しかし、もっといろいろなものを見たり、実際に当人にあってみたりしないと分かりそうにない。

 

 

 

扁桃体とBPD

たった6回だけ投稿された、BPD本人によるブログ。

その中の1回。


テーマ:
 

彼と出会ったことで、ようやく自分も幸せを掴んでいい番なんだと、これがゴールだと、お互い結婚も意識して、それを目標にしてきたのに、

彼自身の問題、二人の問題、それらが、気づけばもう修復できないほどに、私の心を傷つけていて、突然心が折れてしまった。

結婚まで考えていたのに、自分の心が折れるなんて、もう自分の感情が信用できない。

今日自分が思っていることが、明日には変わるかもしれない。

自分が一番信用できない。

もう恋愛したくない。

もう男性に心を開きたくない。

この先、無理やりにでも私の心の鍵を開けてくれる人がいない限り、恋愛に幻想を抱かない。

期待しない。

私は一人で生きていく。

希望なんてなくていい。

期待しなければ傷つかない。

もう精神が掻き乱れるのは嫌。

こんな気持ちもまた変わってしまうのかもしれない。

やっぱり自分が信用できない。

せめて人を、巻き込まなければいいのかもしれない。

https://ameblo.jp/nozomi–0114/entry-11772070151.html

(改行位置は変更している)

BPDの人は、本当に些細なきっかけ、あるいは妄想で突然不安に襲われたり、精神的に不安定になったり、考えが大きく変わってしまったりもする。

彼らは、自分が突然変わってしまうことに戸惑う。自分が分からないと思う。自分自身をコントロールできない状態にある。

好き嫌い、価値評価を判断する大脳辺縁系にある扁桃体に異常があると、不安を抑えきれなくなると言われているが、BPDはそれに似ている。実際扁桃体の萎縮が見られるというし、扁桃体の過剰活動で恐怖や不安が呼び起こされていると考えられているようだ。

扁桃体の発達は子供の頃のストレスに影響されるらしい。そのために虐待や恐怖経験が扁桃体の萎縮(ストレスの種類によっては増大)や活動異常を起こしてしまうらしい。

参考:

脳科学からみた子ども虐待
~児童虐待・ネグレクトが及ぼす神経生物学的影響~
2015 年11 月3 日(祝)福岡女学院大学ギール記念講堂
講師:マーチン・H・タイチャー(ハーバード大学医学部精神科准教授)

↑非常に興味深い内容を含んでいる。

 

知能が高い人の脳ほどネットワークがシンプル

ネイチャーに面白い論文が。

「知能の高い人の脳ほど、神経線維が発達しておらず、神経回路がシンプル」

https://www.nature.com/articles/s41467-018-04268-8

 

シナプスの刈り込みが進んでシンプルになるのだろうな。

トコトンディープな思考を続けた結果、感覚的に早く深く物事が理解できるようになる実感としても、納得がいく。

解離性同一性障害と区別がつきにくいBPD

あるBPDが寛解しているというかたのブログを見たら、今は解離性同一性障害(DID)と診断されているという。BPD人格はお休み中と解釈しているらしい。

DIDは、いわゆる多重人格で、強いストレス、虐待などによって生じやすいと言われる。

DSMの診断基準に従うと、DIDとBPDは表面的に似通っているだけでなくBPDの診断基準が広めなのでDIDを含んでしまうと言う。

 

Wikipedia 解離性同一性障害 からの引用。

境界性パーソナリティ障害
DIDは自分が別れる(解離)のに対して、境界性パーソナリティ障害(以下BPD)の特徴は相手を分ける(スプリッティング)ことである。 DIDとBPDは両者とも分裂した自己像を持つが、それらが外部に投影されるか否によって、構造の差異が明確となる。 解離性同一性障害の場合、虐待者により虐待の秘密を口外することを禁じられるなどした場合、投影や外在化の機制が強く抑制され、葛藤を内部で処理するため病的な解離へと発展する。 それに対して、BPDのスプリッティングは分裂した自己が外部に投影されるため、周囲を非難し攻撃するが、解離のように自己間に完全な意識の断絶は生じていない[111]。BPDの印象を記述すれば「人が変わったように」「行動が極端から極端に激しく揺れる」となる。 周囲の人間を「良い人」「悪いやつ」の両極端に分ける。 「良い人」あつかいだったものが突然「悪いやつ」に変わる。 攻撃性を他者へ向けるなどである。 しかしこのBPDと解離性障害の鑑別も難しいとされる。 というのはBPDと解離性障害は非常に近い関係にあると認識されており、DSM-IV-TRではBPDの定義の9番目に「一過性のストレス関連性の被害念慮または重篤な解離性症状」が含まれている[112]。 それだけではなく、DSM-IV-TRのBPD診断基準は幅広であり、多くの解離性障害患者はBPDの基準も満たしてしまう[注 57]。 そしてDIDを含む解離性障害の診断がなされても、BPDも併記されてしまうことになる[113]。 さらにBPDを狭く定義しても、実際にDIDと併発している場合もある。しかし併記ならDIDの治療も受けられるが、DIDの患者は人格の交代を隠しており、つじつまの合わない言動に対して言い訳を用意している。 そしてその人格の交代が小心で臆病な人格から攻撃的で自己主張の強い人格に変わった場合には、人格交代に気がつかない限り、その極端な変貌はBPDに見えてしまいDIDには気づかれずに誤診されることが多い[114]。 BPDへの医師の接し方は淡々と接して「良い人」「悪いやつ」に巻き込まれないこととされる[115]。 しかしDIDの場合は相手の反応にとても敏感でありその心を読むことに長けている。 長けすぎていて医師のため息ひとつで見捨てられたと絶望し[116]、心を閉じてしまうことすらある。 DIDであることに気づかず、BPDとして扱うと治療はおぼつかない。https://ja.wikipedia.org/wiki/解離性同一性障害

DIDの人格交替はトランス状態を経るとよく書いてあるから、目の前で豹変した場合区別がつきそうなものだが、どうも実際はそう言うものでもなく、相当人によって違うようで、いきなりぽんと出てくるようなこともあるらしい(下の動画参照)。そうなると外から区別がつかないかも知れない。

そうなると、突然別人のように口調や態度が乱暴なものに変わりすぐ戻ることがある人がいたら、それだけではBPDなのかDIDなのかわからない。

 

https://www.youtube.com/watch?v=GLMxMiXDEH4

しかしながら、基本的な防衛機制が異なるので、BPDとDIDは区別がつくという。

1.激しく攻撃的⇔穏やかで優しい
…ボーダーラインの人は激しく不安定だが、解離性障害の人は穏やか
2.相手にぶつける「投影」⇔自分に抱え込む「取り入れ」
…ボーダーラインの人は怒りをぶつけるが、解離性障害の人は溜め込む3.他人を分ける⇔自分を分ける
…ボーダーラインの人は他人を二極化するが、解離性障害の人は自分の心を分割する

4.自分がからっぽ⇔自分はたくさん
…ボーダーラインの人の心は空虚だが、解離性障害の人は豊かな内的世界を持っている

5.すぐに親しむ浅い関係⇔時間はかかるが深い関係
…ボーダーラインの人はすぐ人を理想化するが、解離性障害の人は根深い不信感を持っている

6.現実にしがみつく⇔現実から逃れるリストカット
…ボーダーラインの人は現実にしがみつくために、解離性障害の人は現実から逃れるためにリストカットする

7.親への執着⇔親との関係が希薄
…ボーダーラインの人は親からの見捨てられ不安がベースにあり、解離性障害の人は親への絶望がベースにある

その一つについて。

対人関係のストレスに対処するとき、わたしたちはみな、この「投影」か「取り入れ」か、どちらかの方法をおもに用いています。

「投影」とは、たとえば問題点を指摘されたとき、アドバイスを受け入れるかわりに、「あんたこそそういう点が問題だ!」それを跳ね返すことです。

いっぽう、「取り入れ」とは、「確かに自分には問題がある…」と受け入れることです。

わたしたちの大半は、この二つをバランスよく用いて日々の人間関係に対処しています。

しかし、ボーダーラインと解離性障害の人は、この防衛機制の用い方が極端に偏っています。

ボーダーラインの人は、「投影」を用いることが非常に多く、何かを指摘されたときに反発して攻撃的になり、つい相手をこきおろしてしまうことがよくあります。

しかし解離性障害の人は「取り入れ」ばかりを用い、何を言われても反論せず、不満や怒りは自分の内側に溜め込んでしまいます。しまいに溜め込まれた怒りが、攻撃的な別人格を形成して、時々人格交代することもあります。

そのようなボーダーラインの「投影」戦略と、解離性障害の「取り入れ」戦略の違いは、こう説明されています。

ボーダーラインの場合は、思春期前に、親が自分を物のように扱っていたと考えるようになって、そして恨みに変わっていったという感じです。

でも解離の場合は、小さいころからどんどん内側にためていって、別の人格をつくってしまう、怒りさえも意識しないという感じです。(p208)

解離の舞台―症状構造と治療 で、柴山雅俊先生は、それを「我の強さ」に置き換えて表現しています。

解離の患者は、他者と対峙したとき相手を押し返す力が概して弱い。自己主張や自己表現が苦手で、傷ついたり不快を感じたりしても、(人格交代しない限りは)相手に抗議することができない。

外界を変えようとする(alloplastic)のではなく、自らを変容させること(autoplastic)によって困難な状況を生き延びようとする(フェレンツィ 2000)と言ってもよい。

このあたりは境界性パーソナリティ障害に見られるある種の我の強さと対照的であろう。(p228)

解離性障害の人は、批判されても言い返すのが苦手で、自己を変容させる「我の弱さ」が特徴で、境界性パーソナリティ障害の人は逆に、批判に応酬する「我の強さ」が特徴です。

このような人間関係への対処の仕方の違いが、穏やかで優しい解離性障害と、攻撃的で激しいボーダーラインという違いをもたらすのです。
https://susumu-akashi.com/2015/10/bpd-dd/

その他、様々な違いがあり、区別がつくという。

詳しくはリンク先を参照。