思い起こすと

 思い起こしてみると、過去に関わりのあった女性に、境界性パーソナリティ障害や自己愛性パーソナリティ障害の傾向ある人が幾人かいたように思う。
 ある、それなりに社会適応して生きている人でもよく考えてみるとものすごい白黒思考があった。
 絶賛していたかと思えばちょっとしたことをきっかけにこき下ろし始めることを繰り返している。人間関係を自ら破壊にかかる。 そして自分に合う相手を捜し求めている。このあたりはかなり境界性的だ。既婚者で、離婚をする気などなく、恋愛感情的ではない部分、音楽活動的な部分を中心に満たされることを望み続けている様子ではあるが。
 自分が称賛されることを求め、そのために活動する。その一環で自分が育てる地域の子供たちにスポットライトが当たっても自分にスポットライトが当たらないという状況は許せないらしく、その機会を破壊してしまったり。このあたり自己愛性的。

 境界性と自己愛性は近いらしく、両方の傾向をもつことはあるだろう。

 程度の問題ではあるけれど、境界性や自己愛性傾向の人はそれなりにいて、彼らは他人を巻き込むのでトラブルメーカーである。

 では、普通の人とは何なのか。病的と言えるかどうかの境界はどこにあるのか。

 そもそもパーソナリティ障害は統合失調症などの精神疾患よりも軽度であるという前提である(パーソナリティの著しい偏りと扱う)。

 結局境界を明確にすることは困難で、社会適応出来ないレベルで対人関係に問題を抱える場合には、何らかの対処をした方がいいだろうということになっているようだ。

 もっとも病識がないか薄いので、自分から治療を求めることは少なめ。特に自己愛性はほぼ無さそうであるし、治療の方法もあまり明確ではない。

 境界性には弁証法的行動療法が良い成績を上げていると言うが、それでも必ずそうだと言うことでもなく、これまであまり重視されてこなかったトラウマを治療の対象とすることでうまく行くケースもあるらしい。

 自分は自傷を繰り返して試し行為をする破壊的なパーソナリティ障害の人とは直接関わったわけではないが、性格や教員という職業もあって精神に問題を抱えた人に執着されやすい。ターゲットになることで自分の精神を侵食されやすいとも言えるので、対人関係に注意を要するのだろう。

 そんなことなので、自分はあまり人と接しない方がいいのかも知れない。もともと他人に執着する傾向は弱いので、それでいいのかもしれない、などと最近思う。