まさしくその通り

 

全くその通りだと思う。

まずは状況・構造の認識。

それができない人、目をそむける人が「治らない人」なのだろう。

精神科治療、日米の違い

精神医学の分野は、日本は遅れていると言われている。
日本ではある頃からDSMの診断基準に沿い、薬物療法を行うことが精神科の方法論となり、カウンセリングの能力が失われて行っているとはよく聞く。
実際中堅の、大学病院で指導医の立場にある医師と話をしても、「自分の立場は見立てをして、本当の病気(うつ病、統合失調症など)と、臨床心理士にカウンセリングさせるものを仕分け、本当の病気を投薬治療するのが仕事である」という言い方をしていた。
大学では精神分析を教えることがほとんどなく、若い精神科医は精神分析的な手法やアダルトチルドレンのような概念をほとんど理解していないとも言う。こんな中で臨床心理士は医師とどのようなやり取りをできうるのであろうか。

欧米では患者中心の医療へと移行が進んでいるという。また、カウンセリングが重視され、投薬は少なくなっているという。
カウンセリングの問題は多少なりとも承知しているが、日本に於いて短時間の診療で安易に薬を処方される実態を聞いたりもしているので、しっかり医師やカウンセラーに向き合ってもらえる方が遙かに良さそうだ。

ググってみて、一つ日米の違いに触れているブログ記事があったので引用してみたい。
何より欧米では人権を重視していることがわかる。
国民に基本的人権を認めないとする極右が政治を牛耳っている日本ではおよそ考えがたい。

2013/10/27
精神科治療、日米の違い

(この記事は、若手医師と医学生のための情報サイトCadetto.jp http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/cadetto/ に寄稿されたものです。Cadetto.jpをご覧になるには会員登録が必要です。)

私の勤務する大学病院が位置するメリーランド州ボルチモア市では毎年夏にF1のグランプリレースが開催されます。開催中、交通規制によって街中が大渋滞となるので一部の精神科外来クリニックは予約を受け付けず閉鎖となります。

ところが、電話番として一人クリニックに残っていた受付職員からメールがあり、私が担当する外来患者さんのご家族から、患者さんとご家族の安全が危ぶまれる状況にあるので至急連絡がほしいとの電話を受けたと報告がありました。ご家族に電話してお話を伺ったところ、患者さんに自傷他害の恐れがあることを確認し、この患者さんは至急精神科医の診察とおそらく入院治療が必要だと判断しましたが、患者さんご本人(成人)が電話の応対を拒否されていて連絡が付きません。

アメリカで、このような緊急事態にどのように対応するかというと、メリーランド州(州によって多少異なります)では患者さんご本人以外が緊急診察の要請(petition for emergency evaluation)を裁判所に提出することができます。ご家族、友人、隣人等が要請する場合は法廷に出向いて裁判官の許可を得なければなりませんが、医師、臨床心理学者、臨床社会福祉士などの資格を持つ者は裁判官に相談せずにこの判断を行うことを法律で認められています。この要請が受理されると警察が患者さんのご自宅に出向き、最寄りの病院の緊急救命室(ER)にお連れする、という制度です。ERで外来担当医とは別の精神科医の診察を受け、直接患者さんを診察した医師2名から自害または他害の恐れがあると認められた場合のみ患者さんご本人の意思に反しての入院(2 physician certified admission, 日本の措置入院にあたるかと思います)となります。

ちなみに冒頭の私の患者さんのケースでは、私がご家族からお電話をいただいてから患者さんが市民病院のERに運ばれるまでの時間は約8時間、入院が決定され入院病棟に移動されるまではそれからさらに約24時間かかりました。お電話をいただいた際、私はボルチモア市から55キロほど離れたモンゴメリー郡にいたのですが、上記の緊急診察要請は患者さんのご自宅の最寄りの裁判所または警察署でしか受理されない決まりになっているようで、ラッシュアワーとグランプリレースの大渋滞の中2時間以上かけて申請書を提出しに向かわなければなりませんでした。緊急事態においてこのような時間の無駄を防ぐため何度も警察に電話しましたが「ボルチモア市はモンゴメリー郡の管轄ではない」「警察署ではなく24時間受け付けの裁判所に行け」(実際に足を運びましたが閉まっていました。) 挙句の果てには「あんた何年医者やってるの?」と警察になじられ電話を切られる始末です。ご家族が警察に電話、また裁判所に申請書を提出する選択肢もあるのですが、やはり患者さんにとって一番身近な存在であるご家族にはその後の患者さんとの関係に亀裂が入ることを恐れてなかなか決心がつかないのが大半です。私も、これからのこの患者さんとの信頼関係、外来治療方針等を考えると眠れませんでしたが、患者さんがERに到着してからおよそ24時間後にようやく、自ら任意入院を希望され入院されたとの確認がとれたので、正直本当にほっとしました。

日本には任意入院と措置入院の中間に当たる医療保護入院という制度があります。対象となる患者さんが精神疾患のために入院治療が必要な状態であること、しかし病状のためにそのことを本人が理解し自ら入院契約に同意する能力を欠いていることが精神保健医の診断の結果確認された場合、家族等保護者の同意をもって成立する入院で、日本の精神科の入院の約3~4割を占めると言われています。

「精神病や認知症と思われる身内を抱えて困った家族が、本人をなだめすかして病院へ連れていく。その病院で精神保健指定医の資格を持つ医師が『入院が必要です」と診断し、家族が同意書にサインすれば、本人がいやがっても強制入院になる。それが医療保護入院の一般的なパターンだ。」(以上、2013年6月20日 読売新聞http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=79920より一部引用)。春の通常国会で精神保健福祉法改正案が成立し、従来よりもさらに強制入院のハードルが下がるとこの記事は指摘しています。

アメリカには日本の医療保護入院のような制度はなく、強制入院の対象が自傷他害の恐れがある患者さんに限られるため、日本に比べて強制入院のハードルが高くなっています。さらに民間保険会社の介入などによりアメリカの精神科平均入院日数は1週間前後で、月単位、年単位の入院が多い日本に比べて大変短いです。アメリカの主な州で強制入院certified admission(日本の措置入院に近い制度)の場合は2週間ごとに医師と患者さんが法廷に出向いて裁判官が入院続行の必要性を判断することが義務付けられています。このような制度は、医療従事者側の視点からすると患者さんが迅速に適切な治療を受ける妨げになると思うこともありますが、患者さんの人権擁護のためには必要不可欠なことだと思っています。http://ameilog.com/nanaokuzawa/2013/10/27/094938

脳スキャンで治療効果、再発を予測

いつも読んでいる日経サイエンス2018 07月号の記事から。

うつ、依存症、社交不安障害
肥料効果を脳画像で予測

J.ガブリエル(マサチューセッツ工科大学)

社交不安障害の認知行動療法への反応が脳スキャンから予測できるという。事前の脳スキャンfMRI画像で怒った顔への反応が強かった患者では認知行動療法がより大きな改善に繋がる傾向が見られたという。また、拡散テンソル画像とMRIを使った、脳のネットワーク評価による診断基準で、どのうつ病患者に対する認知行動療法が有効化に関する予測精度は5倍向上したという。

また、覚醒剤アンフェタミン乱用の治療終了時の脳画像から、どの患者が12ヶ月間に再発されたかを予測できたという。

更に、肥満予防については、治療を受けたグループの、事前の高カロリー食品の写真を見た際のfMRI画像で脳の食物への注意と報酬領域の活性化を突き止め、この活性化が強い人は治療期間中減量にもっとも苦労したという。終了時のスキャンで注意と報酬領域が大きく活性化していた人は、9ヶ月後に食事療法から脱落していた例が多かったという。

記事は脳画像が治療効果や再発、学習などの予測に役立ちそうだ(課題もある)という内容だが、様はその人毎に違うと言うことが前提になる。

このブログではこのところACやBDPについて扱っているが、治療効果についてはその人によって違うということを言ってきた。同じBDPというカテゴリーに精神科医によって診断されていたとしても、そもそも診断基準自体が曖昧であるし、精神的なものは測定が難しく、精神科医の見方や経験によっても診断は違ってしまう。同じ人が精神科医によって異なる診断を受けることはよくあるらしい。誤診であったとされても、その新しい診断が正しいかどうかもあやしさが残る。そもそも精神医学領域の診断基準自体、常に批判がある。

精神医学領域はかなり自然科学から遊離していて、相当に想像の産物による。いまはこてこての精神分析による診断と治療はなくなっているものの、診断基準と薬による治療がこの領域では「科学的」とされているように思われるが実際に科学的な診断が出来る部分は少ない。たとえば、うつ病に関するセロトニン仮説はよく支持される程度にエビデンスはあるが、うつ症状そのものがもっと多様であることも分かっており、精神医学での薬物療法もどのタイプの薬が効くか効かないかという経験をもとに、このタイプの鬱は別のタイプの鬱とはしくみが異なるらしいとかと判断しているようだ。さまざまな精神疾患で鬱は登場するが、不明な部分が多すぎる。鬱一つでもこうなので、DSM等の診断名がつく分類では、経験と想像の賜物と言っていいぐらい、不明なものを相手にしているものがある。他科では当然とされる他覚的知見が得られがたい精神医学領域は、科学的に症状をとらえること自体が困難で、本人の弁や行動、観察によるところが極めて大きい(もっとも、医療の他覚的所見偏重の問題もある。他覚的所見が得られないがために詐病とされたり精神科送りされたりするが、のちに見逃されていた機序が明らかになることもある。むち打ち症状が典型的。だが、症状があっても医師の知識不足で見つけられないこともままありそうで、以前取り上げたものもそうだ)。

モノアミン仮説 脳科学辞典

 

 医学領域そのものが自然科学一般に比べて経験則的な側面が強い(現代の創薬は作用機序を元にデザインされることが多いが、経験が優先されて作用機序の不明な薬も使われてきた)が、精神医学領域はそれが際立っている印象がある。

BPDについてはBPDに特異的に使われるクスリはなく、抑鬱、不安に対してSSRI(セロトニン再取り込み阻害剤)を用いる程度が基本とされているらしい。

パーソナリティ障害の治療ガイドライン 牛島定信

 

また、DSS(ドパミンシステムスタビライザー:ドーパミン系安定剤)をあげている資料もある。

いずれにしろ根治を目指すものではなく、問題があるなら別の方法で表面上正常と似たような状態を作ればいいじゃない、というものであるから、副作用も起きるし症状がある限り薬も必要になるのだろう。多くの薬はガン細胞があるなら取り除けばいい、と言う発想とは大きく違う。

BPDに対する認知行動療法も、比較的効果はあっても万能である訳ではない。そもそもBPDが同じ原因を持つ一様な群とは考えられないので、人によって成績は異なるだろう。

結局のところ、詳細に医学的所見の得られる部分を解明、分類して、それぞれに適する治療薬、治療方法を明らかにするしかないが、いくらBPD患者が多いとは言え、それだけのデータを揃えることが困難だ。

取りあえず、脳スキャンで治療成績や再発の予測が出来る程度に知見が集まれば、最適な治療が現段階では困難にしても、効率化は出来るだろう。現存のやり方で効果があるとわかれば、積極的な治療を勧められる。

しかし、治療成績が悪い、再発可能性が高いということがわかった場合、それに対してどのような対策が取り得るのか。そのことで、本人や家族の徒労感が増し、自暴自棄的な行動を誘発する可能性もあり、難しい。

ただ、表面的に症状が緩解しているように見えても、脳スキャンを根拠に治療期間を延ばすなどの対応はBPDの場合効果はありそうだ。なにしろ高機能型BPDは医療者に症状をつかませないことに長けていて、それでも問題は確実に持ち続けているのだから。行動がおさえられて低機能型から高機能型に移行した場合、表面上寛解となって医療から離れてしまう。

そもそも高機能型BPDは社会適応出来ているために医療を受けることが少なく、医療側から捕捉されにくい。診察を受けても問題なしとされてしまうこともあるようだ。社会適応性や本人の生きづらさの度合いに治療の必要性を認める精神科の方針では治療対象になりがたい。パートナーや家族が連日暴力や暴言等に悩まされていたとしても。高機能型BPDが日本の医療者に問題として取り上げられづらい理由もここにありそうだ。ここに密室性の高い問題を起こしやすいBPDの闇があるように感じる。

精神科医が認めない限りカウンセリングは自由診療になる。この場合、保険が効かないので費用が莫大になる。アメリカでは心理士が判断でき保険が効く。おそらくアメリカで高機能型BPDが認識されているのはこうした事情が関係しているのではないかとも思われる。

近い精神疾患とされ、身近なものが大きな被害を受けやすく治療を受けることが少ない自己愛性パーソナリティ障害も同様だ。

 

 

解離・PTSD等の方向けLINEスタンプ

 

応用範囲はもう少し広いかも。

夫婦は支え合うもの

まさに。

お互いに尊重し合える関係のためには、お互いの自立性は必須。どちらかがどちらかに依存していたのではうまく行かない。

BPDと健全なパートナーシップを築くのは、そのままでは非常に難しそうに見える。治療は必須で、その上でnon-BPDの多大な努力によってなんとか関係を維持できるものなのかも知れない。

 

解離性

BPDと解離性同一性障害(DID:いわゆる多重人格)は区別しがたいと言うが、そもそもBPDは解離性症状を診断基準の中に入れているので診断も併記になりやすい。

結婚相手の男性がBPDという方のツイートだが、まさに解離性同一性障害(DID)特定不能の解離性障害の人格交代のように見える。

一つ前の投稿で取り上げた境界例ガールのサクセス日記。のブログ主もDIDの診断を受け納得しているらしい。3つの人格がいるとのこと。

以前にも書いたが、自分は他人の心の動きを感じ取りやすい人間だが、その私が普通の人ではまず感じたことがない不連続な心の動きを感じ、言動表情、言葉遣いに至るまで変わる、人格レベルの変化ではないかと感じるBPDらしき人と接していたことがある。少なくとも3つの人格らしきものを見ている。

他人が乗りうつっているわけではなく一人の人格が分裂しているのが解離性同一性障害で、明確な人格の区画、独立性がなく、記憶が共有されていたりする場合は特定不能の解離性障害と診断される。こちらの方がDIDより遙かに多く診断される。あたかも別のものような扱いだが、これらは不連続なものではなく連続なものなのだろう。DIDを自称する人は少なくないが、それぞれ違いがあり、教科書的な定義でとらえきれるものではないようだ。

BPDと解離性障害が併存なのか、それともBPDとDIDや特定不能の解離性障害のどちらかで表面上区別がつかないためにBPDに見えるだけなのか。

そもそも一部の研究者が考えているように、これらはそもそも連続的なものなのか。

個人的な印象では連続的なものではないかという気がしているが、BPD自体単一ではなさそうなので、一部は連続的なものであったとしても、全てが連続的なものではないのかも知れない。

 

BPDが発覚しにくいケース

本当に、BPDは難しい。

遺伝的素因+生育環境の影響で発症する可能性が高い。

自殺企図、自殺が多い精神疾患でもある。

もちろん、本人にとっては不幸なことでしかない。

しかし、この病気が厄介なことは、本人が苦しむのみならず、他人を巻き込み、傷つけ、それが何人もの人に及ぶ点にある。多くは親愛を求める相手(多くは異性だが同性のこともある)、家族。暴力、暴言、脅し等々で疲弊させられる。時に自殺してしまうケースもある。

薬も効かず、行動療法による認知の歪みや行動の改善を図るしかないと思われるが、入院をするとスタッフや患者の人間関係に入り込み相互の不信感を高めるなど問題を起こしやすい。そのため、BPDを拒否する医療機関もあるらしい。

本人が苦しむと書いたが、本人に病識がないことも多い。精神的に不安定で、寂しさ、苦しみ、怒りが渦巻く内心を抱えていても、他罰的傾向が強いためか、次々と無限の愛情を期待する相手が代わるだけで、自分の問題だと気付かないことも多いらしい。そのため、治療を受ける場合の多くは家族やパートナーのすすめによるもので、自ら受けるケースは少ないらしい。

目立つ問題行動は、自傷傾向。リストカットや大量服薬、セックス依存、過食、アルコール依存、大金を使うなど、落ち込みや虚無からの開放を求めて行うことが多い。

リストカットやアルコール依存などのわかり易い問題行動は即入院になりやすいが、表面化しづらい依存ではそのままになってしまいやすい。

ネット上にこんなものがあった。

■自傷行為として性に溺れざるを得ない女性達。(SEX依存症)

「類は友を呼ぶ」ということなのかもしれませんが、
私のリアルな友達には「BPD傾向の強い女性」が多いです。しかし彼女達は精神科などにも通わず、
「なんか人生が上手くいかないけど、それは全て周囲が悪いのよね」
…と他人に責任転嫁しながら生きています。そして彼女達が「生きづらい」ことは間違いないのですが、
自傷行為共依存の対象が常にありますので、
自傷行為で心を埋めて自分を騙しながら生きている状態」
…と言えるのです。私自身がかなり重度の自傷行為人間ですので、
「類は友を呼ぶ」
と言える彼女達の自傷行為も、
非情に酷いものです。しかし彼女達が「それなり」に社会で生きられているのは、
「一見自傷行為には見えない依存症がメインだから」
…ということなのです。これが私のように、
「手首を切りまくりました。ピアスを拡張しました。」
…となればみんなが「気持ち悪さ」を感じます。しかし彼女達は基本的に、
共依存性依存症(セックス依存症)」
…を激しく何度も繰り返しています。そしてそんな彼女達に対して一般の方々は、
「男好き。淫乱。恋愛依存症。頭がおかしい。」
…という言葉でスルーしてしまうのです。

社会のひと達は、
「男性やSEXに依存しなければ自分を保てない心の叫び」
…というものには気付いてくれません。

境界例ガールのサクセス日記。

http://bpd1976.blog27.fc2.com/blog-entry-174.html

私の知るある女性もまさにこの様な人で、多くの男性と接触があり、セックス依存があるようだった。つき合うだけでなく結婚や同棲に失敗しているが、明らかに本人にも問題があるものの本人の弁ではすべて相手のせいになっている。母親に問題があり、虐待を受けて育っているが本人は【普通だ】と言う。解離などの弱い症状の自覚はあるが明確な病識はないようで、もちろん治療は受けていない。厄介なことに社会的に適応出来る高機能型だ。

自分の生育歴や過程が【普通ではない】ことに気付くことは、少なくとも子供の段階では難しいとは言え、中年になっても気付かないのなら、よほど自らを省みる能力に欠けていると言わざるを得ない。実際、自分を見つめ直すことを避け、記憶を操作して都合の悪いこと、問題をなかったことにしてしまうので、一筋縄ではいかなそうな人だった。

私はこの人の問題には気付いていて、何とか力になってあげたかったが、もともとあちらから望んで近付いてきたものの、突然不明な理由で脱価値化されて音信不通となり、今ではなんともしがたくなっている。

突然接触を断った理由は本人が事実関係に反することを言って非難するだけで、説明を避け続けたためわからないままだが、もしかすると触れられたくない内面や過去に目を向けられることに拒絶感を持ったことも一因だったのかも知れない。

あるがままでは何も問題は解決しない。しかしあるがままで無限の愛情を得ることを求め続ける。それではいつまで経ってもさまよい歩くしかない。

 

 

 

 

 

BPDに対する最近の自分の認識

多分、非常によくあるBPDのパターンと、それに対するnon-BPDの切実な悩み、それに対する適切なコメントであると思うものを転載。

境界性人格障害と関わった人のコメントより【4】自分がBPD(ボーダー)であるという方のコメント
* 2009/11/12 18:08 * 投稿者:Nさん初めまして。
境界性人格障害のことを調べていてここにたどり着き、いろいろと勉強させていただきました。私には春から付き合っている彼(今は付き合っているのかいないのか微妙なのですが…)がいるのですが、その彼がBPDなのでは…と思っています。
半年の間で何度も何度もいざこざがあり、何度別れているかもわかりません。
付き合っているか微妙というのは、今もまたごちゃごちゃしてしまっている最中だからです。すぐに言い合いになってしまう原因のひとつにこのBPDがあるのではないかと思うんです。
私は彼の性格があってその上でその症状が重なってしまっている、というとらえかたをしているので、全てをこの障害のせいにするつもりはありません。
(それこそ彼の性格だけでなく私の性格も原因のひとつのはずなので)だけど、原因のひとつとしてもやっぱりこの障害は大きくて…
好きだと言ったすぐ何分後に死ねと言われたり、この障害とは全く別に問題があって彼から聞くことが非現実的なことで本当なのかと悩んだり(BPDの方には虚言がある場合があるとも聞いたので…)
正直彼を受け止めようと思っていてもつらいです。
彼も『普段感情を抑えていると、一回(私に対して)キレると自分でコントロールができない』と言って悩んでいるようです。

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私も境界例(BPD)の彼女と付き合っているとき、しょっちゅう別れているような感じでした。その原因のほとんどは彼女が言い出すことで、理由は
「私はあなたにふさわしくない」
「本当は私は好かれていない」
「私はもてあそばれている」とか。自分に対する愛情を確かめる事が中心で、別れ話をしてきて電話やメールに応答しなくなったり、家に遊びに来ていてこの状態になると「もう一緒にいれない、野宿するからほっといてくれ」と飛び出して真夜中でも走り回って逃げて一方的に連絡を絶とうとするけど、追いかけるのをやめたり連絡を取らなくなると
「なんでおいかけてこねんだ、お前の気持ちは所詮そんなもんやろ」
「マジで野宿させる気かよ」
とキレて戻ってくるパターンでした。勿論、境界例(ボーダー)に限らず精神疾患は幾つか併発する事が多いし、本来の性格的な要因が症例のベクトルとして働く事は間違いないし、そういう意味では私の付き合った彼女はとても子供じみた性格で、Nさん{BPDの虚言}と言われているBPDの妄想(理想)としての虚言が、より強く現れていたようにも思います。
(本人が理想と現実を埋めようとする作業は境界例の大きな特徴と言われています)前述したように、Nさんのお相手が必ずしもBPDかは断定できないし、躁鬱的傾向(双極性障害)やその他の症例なども調べてみてから対応を考えていったほうが良いかもしれませんね。どちらにしろ一人で抱え込まず、彼と悩みを共有し率直に話し合ってさあ得あえる形になれれば最も良いでしょうね。コメントに
「全てをこの障害のせいにするつもりはありません」
とあったので、誠実な人柄で根をつめすぎてご自分を追い詰めてしまわないか心配です。
境界性人格障害に限りませんが、精神疾患と関わっていくには双方の理解と協力が不可欠だと思います。それからもし彼がBPDだとしたら、彼の気持ちに期待し信じすぎるのも危険だと経験的にも思います。
境界性人格障害の人はとても純粋な反面、気持ちの移り変わりも極端な場合が本当に多いですから。
心がボロボロになった挙句、相手は新しい相手を見つけてまったく振り返りもしないとかよく聞きました。
勿論すべての人ではありませんが、症状と長く付き合うにはある程度距離を置いた方が結果的に心に余裕ができるし、そういった意味でもそのほうがいいと思います頑張り過ぎず、あまり無理をなさらない様になさって下さいね。http://blog.livedoor.jp/cornucopiablog/archives/1312632.html

BPDな人達も様々で、双極性障害や解離性障害、自己愛性パーソナリティ障害などを併発していることもよくあり見せる症状も複雑なようだ。

最近の自分の理解では、この他人を巻き込む厄介な精神疾患は、本人の資質が治療や予後を左右し、寛解してそれなりに適応して生きていける人もいれば、寛解もせずにそのままと言うことも充分あるものだというものになっている。環境にばかり原因を求めて治ると断言するものを私は信用していない。

遺伝的基盤と虐待等の生育環境の2つがこの疾患の発症に関わっているとデータから考えられているが、ネット上で元BPDを自認し活動している人は明らかに自分を客観的・分析的にとらえる能力があって、これは持って生まれた資質ではないかと思える。そういう人は積極的に調べたり治療を受けたりするし、自分の問題を自分でとらえて改善させようとする。

全く自分のことを見ようとしない、病気であることを決して認めず、ただ逃げ続け、他人を非難し、ひたすら他人を傷つけ続けるような人もいる。そういう人では幼稚なパーソナリティーが目立つ。さながら幼児が大人の皮を被ったかのように。こう言う人は改善の余地があまりないようだ。むしろこう言う人だから悪化したというのが本当のところなのかも知れない。

ある精神科医によると、パートナーと共に行う独自の方法でBPDは治ると言うのだが、その方法は約半数が途中で脱落するという。その脱落組に入ってしまうような人は前述の改善余地がほとんど無い人なのだろう。その方法が改善に繋がるにしても、治りやすい(寛解しやすい)人の選別を行っている側面はありそうにも見える。

一方、解離性が強く、人格交代的なことが見られることもあるが、結局どのような人格交代様なことがおきようとも全くの他人が憑依しているわけではなく本人が分裂しているのであるから、全責任は本人が負うしかない(人格交代が起きて、前後がわからない状態でも、引き受けるしかないから主人格のフリをして必死であると交代人格が訴えているものを見たことがある)。

都合よく記憶を改竄したり、虚言や辻褄の合わないことを言って自分に都合よく合理化する傾向も、本人が巻き起こした問題には本人が責任を取る必要がある。逃げ続けることを許すのはその方法を強化し続けることにしかならないだろう。

遺伝的基盤の上に重ねられた生育歴で、自分の心を守るためにとらざるを得なかった防衛機制が定着しているのがBPDという精神疾患と考えられる。自分を守るための防衛機制が他人を傷つけ続けるのならその防衛方法に問題があるが、それしか出来ないのが彼らの多くなのだろう。

巻き込まれたnon-BPD(BPDのパートナーになった人など、BPDの人と関わっているBPDではない人のこと)の人がいかに自分がそのBPDの人にとって唯一絶対の存在ではないことの気付くことが出来るかが重要なのだと思う。つい、non-BPDは目の前のBPDの人に特別な感情を抱き、コントロールされ、自分が何とかしなくてはいけないと思い込まされてしまう。しかし、BPDの人は無限の愛情供給源を求めているだけであって、相手は誰でもいいと言っても過言ではないかもしれない。見込んだ人にそれを求め続ける場合もあるが、次々に対象を変えて求め続ける人もいる。おそらく、愛情という本人にもよく分からない、自分が子供時代に得られなかったなにか絶対的なものを、何処かにあるはずと求め続けているのだろう。自分の空虚な部分を埋めるものがそれだと信じている。だが、その穴は埋まらないことが多いのだ。それほどまでに遺伝的基盤の上に形作られた穴は大きいのだろう。

虐待などの体験がなければそこそこに構築されていたであろう床は、遺伝的な基盤のために根太がそれほど強固でなかったとしても何とか支えられる程度にはなっていただろう。しかし、BPDを発症する場合、脆弱な根太の上に床板そのものがほとんど貼られていないのでは重みを支えることが困難だ。いくら愛情を供給しても根太の間から落ちていくだけだ。本人が床に問題があると気付いて床の強化に取り組まない限り、愛情を注ぎ込ませては床の下にこぼれ落ちていくことを空しく繰り返すのみだ。

BPDはそういう状態なのだろう。彼らは病気なのだ。健常の人とは違う。普通の人に対するようなことをしていても、決して報われない。決して相手を尊重しようとせず、一方的に搾り取られたり、傷つけられるだけだ。互いの尊重が人の間の関係構築では極めて重要だが、それがBPD相手では全く成り立たない。

BPD本人は空しいだろうが、それでもすり抜けずに溜まる愛情を求め続ける。自分の床に問題があることを認めないまま、どこかにちゃんと床の上に溜まる愛情があると求め続ける。

non-BPDは無限の愛情供給源にはなれない。それは不可能なことだ。

治療が必要なのは間違いないが、改善があるかないかはBPDがどれだけ自分に向き合える人かにかかっているのだと思う。自分に異常を感じ、何とかしたいという気持ちを持っているのであれば可能性はあるのかも知れない。

non-BPDは一度相手から離れ、自分にかけられた術をふりほどき、冷静になる時間を確保すべきだ。お互いに尊重しあえる、自分のパートナーとして相応しい存在であるかどうかをよく考えてみればいい。冷静にならないと考えられない。半年ぐらいの時間は少なくとも必要かも知れない。その上でどう接するかを考えるべきだろう。

天使のように見えたとしても、それは一時的に見せる姿だ(本人には「よい自分」であるのだろう)。親しい人に見せる本当の姿はすぐに不安に駆られ、怒りを爆発させ、底なしの愛情を求めつづけ、あからさまな嘘を平気でつき、他人を平気で見捨てる、non-BPDを悩ませ続けるその姿なのだ(本人には悪い自分)。それを見せれば逃げられてしまうとわかっているからこそ繊細なセンサーをフルに発揮して正反対の理想像を演じ、弱く不幸な自分への支援をせずにはいられないようしむけていたのだ。本人は何とかして自分の空しさを埋めたいともがいているのだが、巻き込まれた側は多くが責任感が強く自己犠牲的なタイプで、見込まれた結果多くを失う大惨事になりかねない。

non-BPDが相手に尽くすことに自分の存在意義を確認するようではそれは共依存に過ぎない。共依存は犠牲の上に成り立つ歪んだ関係であり、いずれ無理が来て破綻する可能性が高い。

今でもBPDは極めて対応が難しく治療が難しい精神疾患ととらえられている。

non-BPDが責任を負うことでも責任を取ることでもない。

素人に過ぎないnon-BPDに出来ることは、医療機関などに支援を求めることだ。そうすればかつての天使のような姿は無理にしてもそこそこ安定な関係を構築できるところまで行くかも知れない。相手によっては強い執着で結ばれた安定な関係を作ることもできるかも知れない。しかし、BPDがそれを拒絶し続けるのであれば改善の余地を見込むことは困難と思われる。ならば、ずっと不安定に愛情をむさぼり続けようとするBPDと向き合う人生を送るか、自分の人生を考え直すかの選択をすることになるはずだ。

何にしろ、一番良いときの幻影を負うのはやめるべきだ。普通の人だってそんなものは一時の姿で長続きはしない。BPDなら穴だらけの床に積み上げられるかも知れない愛情を得るために全力で演技をしていたのだから、その姿がそのまま戻ってくることは期待しづらい。そして自分が全て受け入れられていたと感じるのは勘違いの可能性が高い。BPDはあなたそのものを見ていたのではなく、そこにあるかも知れない愛情の幻影を見ていたに過ぎないのだ。一刻も早くその愛情で満たされたいために、普通の男女の関係なら時間をかけて経るプロセスをすっとばかし、極短い時間で全てを受け入れていたのだ。相手を理想化するのは一種の自己欺瞞なのかも知れない。結局相手などまともに見てはいない。だから、期待と違うと思うとあっという間に豹変するのだろう。少なくとも私にはそう思える。

時間をおき、距離を置き、冷静になって考えるべきだ。

距離を置いて、相手が自分を求めてこないのなら、追っても仕方が無い。相手は現実には存在しない無限の愛情をひたすら求め続ける病気の持ち主だ。何処か他にそれを求めているのだろう。

相手がまた自分を求めてくるのなら、その相手が自分を見ているのか、無限の愛情の供給源の可能性としてみているだけなのかを見極めるべきだ(おそらくは後者だが)。そして、病識を持ち、自分の問題を解決しようと思える人かどうかを見極めなければならないだろう。治療を受けようとせず、あるいは非協力的で、ひたすら他人のせいするだけなら、自分の人生のために離れた方がいいだろう。そういう人とよい人生を送ることはかなり困難だろう。

見捨てられることを怖れるのがBPDではあるが、まともなパートナーシップを構築できない相手なら、離れることは当然のことだろう。相手が見捨てられることを怖れているからと言って、自分が無理をし続けてもよい結果はない。見捨てられる不安を抱く人間になってしまったのは決してあなたのせいではない。

それでも見捨てられないと、治療も受けようとしない相手を愛し続け、ぼろぼろになってでも尽くしたいというのであれば、もう何も言えることはない。

豹変してあなたを放り出すBPDも、それは自分が見捨てられることを怖れたために先手を打ったのかも知れないし、自分がコントロールを失うことを怖れる飲み込まれ不安が強まったためかも知れないが、結局は相手のことを考えられず自分の不安に埋没してしまっている。彼らは自分しか見ていないのだ。自分の内部にばかりとらわれ続けてしまう。相手のことは真には見ていない。

BPDは大概一人相撲をとり続けている。霞のかかったような現実感のない世界の中で「愛情というもの」で満たされたいと手を伸ばし続けている。常にわき上がる不安や怒りを何かで埋めようとする。愛情を希求し、孤独だが、真底は他人を受け入れない。ひたすら自分の中でわき上がるものに振り回され続けてそれだけにとらわれている。そんな存在。

少し違うかも知れないが、今はこんな認識でBPDを見ている。

追記:

BPDは共感性が高く、他人の心の機微に敏感と言われている。それ故にうまく他人に取り入ることも出来るし、人間関係に分け入って破壊的な状況を作り出すこともできる。ウィークポイントを突いて苦しめることもするだろう。虐待経験故に何とか心の機微を読み取って危機を回避しようとしてきたためだと説明されることがある。

そういう敏感さの一方で、他人のことを真に考えた行動をしないように思われる。感情の動きに敏感で、他人の嘘を読み取ったり理想的に振る舞うすることには長けているが、自分中心の視点でしか行動しないので、相手を思いやって傷つけるようなことは避けるとかいうことにはならないようだ。むしろ相手の弱いところを滅多刺しにしてしまう。また、時に過剰に読み取ったり、妄想に基づいたりして、不安を増大させ行動してしまう。

相手の心の機微を読み取れるからと言って人格者とはほど遠い。むしろそれを利用した対人コントロールや攻撃性が厄介だ。

「BPDは共感性が高い」という言い方は少し違うと思う。感情の動きやこころを読み取ることに長けているという言い方の方が正しいだろう。BPDやアダルトチルドレンは虐待を避けるために虐待する側の心を読み先回りすることで危機を回避しようとしてきたと考えられる。自分自身、他人への共感性は高くはない(共に喜んだり悲しんだりと心が他人と同調するようなことはあまりない。むしろ冷静を保ちやすい)が、感情の動きを読み取り洞察する能力は高い。

 

追記2:

BPDのいい面だけを見ても、悪い面だけを見ても理解は出来ない。両面合わせてその人として理解し、受け入れることが出来るようになる。よかったときだけを思い浮かべ、都合よく理解しようとしてもうまくは行かないだろう。飲めば改善するという期待でBPDの際限の無い要求に従い続けることではなく、本人の責任をnon-BPDが明確に理解し、それをBPDに示し、失いかけた自分の生活、生き方を従前通り確保した上で、冷静に自分の選択をしなければならない。受け入れ、医療機関の支援を受けつつ関係を保つか、別れを告げるかだ。