アダルトチルドレンと見捨てられ不安

アダルトチルドレンは精神科で扱う診断名ではなく、パーソナリティ障害(PD)と重なるより広い概念だ。

そのため、BPDの見捨てられ不安試し行為はアダルトチルドレンでもある。

私は、BPDが「見捨てられ不安」のためにしがみつくばかりではなく、自ら相手を捨ててしまうと言う行動に強い関心を持っているが、アダルトチルドレンの解説の中にも同様の行動が示されていたので引用する。

 

アダルトチルドレンの傾向~「自分から捨てる」という人もいる

「見捨てられ不安」からくるアダルトチルドレンの人間不信

あまりに見捨てられ不安が強いと、「相手が離れていったときに自分が苦しむのは辛いから、こちらから捨てる」という行動に走る場合もあるそう。

せっかくお友達になったのに、相手を疑う気持ちが強すぎるために「常に離れていく不安」を考えることが辛くなってきてしまうのです。このため、首の皮一枚でつながっている様な感覚に陥ってしまい、「いっそのこと自分から切る」という極端な行動に走ってしまうのです。

それ以前に、相手がせっかく好意をもっていても「どうせ信用したところで相手は離れていくんだから」という疑心暗鬼な状態から抜け出すことができず、友達を作れない場合も。

「見捨てられ不安」というと、相手にしがみついてしまうあまり「相手から見捨てられてしまう」という発想の人が多いのですが、このように自分から関りを絶ったり、そもそも関わらろうとしないケースもあります。どちらにせよ、心の底には深い人間不信がありますので、当人は大きな寂しさを抱えてしまっています。

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常に不安が付きまとう!見捨てられ不安の特徴①
見捨てられ不安を抱えたまま大人になってしまうと、人間関係で問題が起こるようになるになります。子どもの頃の親に対しての不安を他者に向けてしまうのです。恋人や友達と付き合っている時でも、心のどこかで「見捨てられるのではないか」という不安を抱えてします。大切な人を遠ざけたり、攻撃する
そして、些細なことで「自分は見捨てられた」、「裏切られた」と思ってしまい、友達や恋人を遠ざけたり、攻撃してしまうのです。周囲の人にとっては、なぜいきなり避けられるのか、攻撃されるのかわかりませんから、次第に距離を置くようになります。見捨てられ不安が原因で他者を遠ざけたり、攻撃したりすることを繰り返していると、十分な信頼関係を気づくことが出来ません。これが、アダルトチルドレンの生きづらさの一つになるのです。アダルトチルドレンを克服したい人のための体験談サイト
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アダルトチルドレンの特徴、3つめは「自分はいつか捨てられる」という【見捨てられ不安】です。

この見捨てられ不安を持ってしまうと、

捨てられないように相手に合わせようとする
捨てないか、捨てる気になっていないか常に確認しようとする
捨てられるくらいならこっちから捨ててやる、と起こりもしない未来予測をしがち
どうせ自分は捨てられるに決まっている、と、最初から関わりを持とうとしない
相手が自分と違う考えを持つことが許せず、正当性を主張しようと躍起になる
これらの特徴が出がち。

へりくだっていても、上から目線で偉そうにしていても、奥にあるのは「自分はいつか捨てられる」という想い。

この想いを克服していかない限り、人生に望ましくない結果をもたらし続けるのです。

AC大阪
http://ac-counseling-osaka.net/tokucho/

この見捨てられ不安を克服していかないとBPD/ACに平穏はないのだろう。見捨てられることはないのだという安心を得られることが必要だが、彼らは大切な人に見捨てられまいと相手にしがみつくあまり試し行為を繰り返して相手を苦しめ、離れらえてしまったり、自ら相手を遠ざけたりするために、関係を自ら壊してしまう。

それを超えることが家族やパートナー、支援者の大きな課題と言える。ただ従い続けるのではなく、腫れ物を触るように扱うのでもなく。

対応の仕方を学ばなければならない。

たとえば次のようなページを参考にしてみるとよいだろう。ランディ・クリーガーのワークショップをまとめたものだ。

境界性パーソナリティ障害(BPD)の方を周囲から見守る人のための
5つのパワーツール

http://www.solea.main.jp/?eid=652292

 

見捨てられ不安と共依存の話

BPDに特徴的と言える「見捨てられ不安」が、共依存とも関係が深いという話を引用する。例によってBPD家族会のログから。

見捨てられ不安の本質?

bpdfamily (2011年9月10日 08:50)

BPDの根源に他の人より特に強い見捨てられ不安があると言われています。

ASK選書14に「苦しさの一番奥にあるのは見捨てられ不安だった」というブックレットがありますが、その中で、臨床心理士の遠藤優子さんはユニークな観点から、見捨てられ不安をとりあげられています。そうなんだろうなあとも感じます。以下は遠藤さんの文章の要約です。

見捨てられ不安とは人間間関係の問題ではありません。これは自己愛の問題です。見捨てられ不安は存在の不安として自覚されます。自分はここにいてもいいのだろうかという不安です。このような自己肯定の問題があるために、ここにいても大丈夫だという承認欲求が生まれます。大事にして欲しい、愛して欲しいという欲求です。

やっかいなことにこの欲求は決して言葉では表現されません。「私を認めて欲しい」「大事にして欲しい」と自分から頼んだとしたら、頼んだものが得られてもちっとも満たされないからです。

「こうして欲しい」と一切表現せず、相手が自ずから気づいてくれて、相手自身の願望で大事にしてくれたり、愛してくれるのでなければ意味がないのです。

しかし、どうして欲しいか言葉にしなければわかりません。「言わずに察して満たして欲しい」という承認欲求が強くなればなるほど、見捨てられ不安も強くなります。さらに、相手は自分の欲求に応えてくれずに見捨てるにちがいないという予期不安まで出てきます。しかし、こんな欲求に応えられる相手なんて現実にはあり得ないわけです。

例えば、摂食障害は「弱さを表現していい病気だ」と言われています。何らかの形で「私を愛して」「私を認めて」と表現するのです。

見捨てられ不安が人間関係の問題というよりも、本人の自己愛の問題だとすると、どうすればよいか。それはその瞬間瞬間に自分に向けられた承認や愛情を本人が受け止められるようにすることです。例えば、誰かがにっこり笑ってあいさつしてくれたとか、誰かがその服素敵だねと声をかけてくれたとか。些細なことでもそれがたまっていけば「この世界もなかなかいいものだ。自分もこの世界に受け入れられているようだ」という感覚が養われていきます。

以上が遠藤さんの文章です。

よく、心理学の本なんかに赤ちゃんとお母さんの関係が出てきます。小さい頃は遊びに夢中になってしまい、気づいたらお母さん(絶対的な安心・安全な対象)が近くにいないで、どこかに行ってしまった状況を認識すると、赤ちゃんは必死に泣き叫ぶ。しかし、ある程度大きくなって、「心の中にお母さん」ができてくると、たまにいなくなっても混乱しなくなる。さらに安全基地が家にあると、外にでかけて他の人に接するという冒険もできてくる。何かあったら泣きながら家に帰ってきて、お母さんに抱っこしてもらう。こんなことを繰り返しながらだんだん、親との距離をとりながら自立していく。そのうち、親に代わる安心・安全対象(恋人)を見つけ、そこがその人の安全基地になるということかなと思います。

BPDの人は言わないでもわかって欲しいではなく、やはり口に出して言う練習、相手の方はBPDの人が言いやすい環境作り(正論を言うのではなく、まずは聴く)によって、問題行動(リストカット等)を減らすことができるような感じもします。

 

相手自身の意志によって愛されたいという欲求を持ち、それを自分が表現することなく満たされることを望む。しかし表現しないから、見捨てられるのではないかという不安も大きくなる。そんな一人相撲をしているのがBPDだと。

ここにはないが、一方で好きだと言われてもその気持ちを疑うのもBPDだ。「自分が本当に好かれるはずがない、今はそんなことを言っていても本心ではなく、いずれ見捨てられるのではないか、何か他の狙いがあるのではないか」そういう猜疑心に埋もれていくのだろう。そして相手が降参して離れていくまで相手の愛を試し続ける。

結局は自分という存在に全く自信が持てないからそう思うのだし、それは虐待などの生育歴によるところが大きいだろう。

BPDの人自身がきちんと自分の思いを口に出せて伝えられることがとても大切なはずで、それができるようにして行くことが課題なのだとは、指摘の通りだと思う。

 


アダルトチルドレン(AC)にみられる共依存も見捨てられ不安によるという。アダルトチルドレンは虐待など機能不全家族に育った人のことで、様々な問題を抱えているが、特徴的なものに共依存がある。アダルトチルドレンは、精神科では症状から診断名を与えられることがあり、BPDもその一つだ。

共依存も見捨てられ不安から

bpdfamily (2011年9月10日 21:53)

引続き、臨床心理士の遠藤さんは「見捨てられ不安」について以下のように書いています。

「共依存(2者が依存しあう関係)は、見捨てられ不安に何重ものひねりが入っています。実は自分が切実に求めているもの(世話されたい、愛されたい、甘えたい)を相手に与え、相手に必要とされることで自分の存在の承認を得ようとするのです。だから相手に自立されると困ります。自立できない人が自分のそばにいてくれないと困るのです。私はこれを「自己愛的な主義」と呼んでいます。見捨てられ不安はしばしば利他主義の仮面をつけています。本当は誰かから「私を大事にして」と言って欲しいのに、そうではなく、「私はあなたのためを思ってやっている」なんていう(子どもからすれば恩着せがましい)表現を使ってくる。

子離れできない親、自分の思い通りにならないと怒り出すカウンセラー(こんなにしてあげたのにみたいな)、みんな「自己愛的な他利主義」であり、見捨てられ不安があるということでしょうか。

子どもの見捨てられ不安は実は親の見捨てられ不安を反映した場合もありますね。心配症の親は見ていられないので、子供が危うくなると先回りして子どもの手助けをしてしまう。すると子どもは困難へのスキルが獲得できないので教科書を相手にした勉強はできるけれども、変幻自在に変化する生身の人間がひしめき合う社会に出て失敗する(たいていBPDの人は社会に出て失敗する)。もどってきた子どもに対してやはり私がいないとこの子はだめだという理屈をつけて自立できない子どもを作って、子どものひきこもりが始まる。子どもは子どもで同世代の人たちが華々しくがんばっているのを見て、こんな自分にしたのは親のせいだといよいよBPD化する。

 

少し趣旨の違う部分で興味を持った。

アダルトチルドレンは、社会に出たり結婚で失敗することが多く、そこで戻ってきた子を親が囲い込んでしまい、親が死ぬまで自立の機会を失うことが見られるようだ。

結婚などを通じて反抗・独立を試行していた場合、その失敗は親の正統性・支配を認めるものになるかもしれない。その結果、子供時代同様の親による共依存の関係に再度はまり込むことになるのかもしれない。

親の見捨てられ不安が共依存関係を作り、その中で自己愛を確立できず、子も見捨てられ不安から他人との共依存関係を作ろうとする。

 

共依存はBPDのパートナーがもっていることが多い傾向(おそらくBPDの人がそういう相手を選んで依存している)だが、見捨てられ不安から来るならば、BPD傾向のある人も共依存傾向をもっていて不思議はないと思える。BPDを自認する人が自分の共依存傾向に言及していることもある。

 

 

社会参加、社会適応は目標に出来ない高機能型BPD

家族会のHPにあるログで、BPDについてのインデックスを選ぶとトップに来る記事に以下の記述がある。

 BPDには対人関係,情動制御,衝動性,認知に関する問題という、4つの病理が認められます。
 これらは、対人関係やコミュニケーションの問題が大きく与っています。
 
 コミュニケーションのつまずきに対して、以下の2つの問題が生じます。
・世間に参加するのに妨げになる、厄介な「反応傾向(癖)」を身に付けてしまうこと
・世間に参加するのに不可欠な能力を習得しそこねてしまうこと
 
 BPDを治療するには、単にDSM診断基準の症状に対応するだけでなく、こうした問題に治療的に取り組むことが不可欠です。
 BPDが難治とされてきたのは、こうした患者の心理社会的機能の不全に、適切な対応がなされてこなかったからでしょう。
 
 コミュニケーションのつまずきに対する脆弱さを改善することで、BPDの問題行動や症状を大きく減らすことが可能です。
 
 
【コミュニケーションのつまずきに対する脆弱さ(神経症傾向)】
     ↓↑
【BPDの症状】
 ・対人関係の問題
 ・衝動性
 ・感情不安定性
 ・認知症状
 ・同一性の障害
【世間に参加するのに必要な社会的能力の未習得】《治療の主目標》
 ・〈学び/学ばれる関係〉に耐えられる能力
 ・人の気持ちや考えをなぞる能力
【身に付けてしまった厄介なクセ】《治療の主目標》
 ・風変わりな反応傾向(癖)
 精神科は治療の目標を社会参加、社会適応に置く事が多い。問題があっても、薬で症状を抑えたり、社会生活に必要な対応の仕方を身につけることでうまく社会で生きていけるならば病気と共存してやっていけばよいと言うことだ。
 ただ、以前の記事でも取り上げた通り、この考え方はBPDでは必ずしもうまくない。社会機能は充分にありながら、家庭やパートナーとの関係でのみ問題を起こす高機能型(社会適応型)BPDが存在し、むしろ増えているからだ。上記のように「世間」「心理社会的機能」に重きを置いた対応は、必ずしもBPDが抱える問題の解決にならない。本人の生きづらさの解消、家族やパートナーに対する問題行動の消失と良好な関係の構築などを目標にすることになるはずだ。
 高機能型BPDは病識をもつことが少なく、自傷のような問題行動もないかほとんどない。そもそもBPDが他責傾向を強く持つので、自ら悩んで精神科の門を叩くことが少ない。家族やパートナーが勧めて何とか精神科を訪ねることがあるかどうかということらしい。それでも普段は普通の人を完璧に演じているので、治療対象と判断されないこともあるようだ。
 暴力、暴言、嘘、他責などで困り果てている家族は多いようだ。
 認知の歪みを修正するような精神療法を受けていくことで改善は期待できるというし、日記をつけていき、自分がどんなことを原因として感情の動きが起きたのかを把握していくだけでも改善が起こりやすくなるともいうが、本人が主体的に取り組もうと思わない限り困難だ。
 治療、カウンセリングを拒絶し続ける高機能型BPDは、パートナーには非常に困難性が高いと思われる。相手がしがみつき行動をしているのであれば治療へ向かわせることも可能かもしれないが、脱価値化をしていては声が届く余地がない。その場合はすっぱりあきらめた方がいいのではないだろうか。一旦は破綻しても時間を置いて相手が復縁を求めることがある。相当苦しい道になるので、その場合はまさに思案のしどころだ。それまでにトコトン学んでおく必要がある。
 一方、子が高機能型BPDである場合、離れるという選択肢はない。家族会のような存在を頼りにすべきだろう。

BPDの人と対することになって人がたどる過程

BPDと見なせる人もいろいろなので、暴力、暴言が目立たなかったり、自傷をしない人もいるだろう。それでもその内面にあるものは同様で、何かをきっかけに生じた激しい不安や怒りなどが渦巻いているはずだ。ある日突然起きるそうしたものによる豹変によって混乱させられ、苦悩させられる。原因がよく分からない。自分の落ち度も思い当たらない。しかし突然に相手が変わってしまった。嘘や辻褄の合わないことまで言い、責任転嫁してくる。どうしたらいいかまるでわからない。

そうした混乱で自分の生活が全て埋め尽くされてしまう状態に陥ってしまう。現実の苦しさの一方、とても良かった時期の幻影にも引きずられる。

そんな中で、一刻も早く自分を取り戻し安定させることが取り組むべきことだろう。少しでも状況を理解して、適切な対応を学び、どうするかの結論を出していくしかない。

一般にたどる過程について、星和出版のランディ・クリーガーの本からの引用(家族会のHPからの孫引き)

なお、「ノン・ボーダー」とはBPDと対している人のこと。

 ノン・ボーダーの人は、ボーダーの人との関係をとても続けられないと思いながら、去ることは想像ができないし、不可能のようです。
ノン・ボーダーの人は皆、同じ気持ちを抱いています。
今は見えていなくても、あなたには選択の自由があります。

○ノン・ボーダーの人が経験する5つの段階
一般的に次の段階を順に経験するでしょう。
大抵は行きつ戻りつします。

1.混乱段階
ボーダーの人の行動の理由を理解しようと苦しみます。
見込みのない解決策を探したり、自分を責めたり、混沌の中で生きようとしたりします。

 BPDの知識を得ても、知的なレベルで本当に理解するには何週間も何ヶ月もかかるでしょう。
感情的なレベルで理解するにはもっと長い時間が必要です。

2.外向段階
・注意をボーダーの人に向ける
・ボーダーの人に専門的な援助を受けるよう迫ったり、彼らを変化させようとする
・問題行動を誘発しないよう全力を尽くす
・ボーダーの人を理解したり、共感しようとするうち、学ぶことは全て学ぶ

 ノン・ボーダーの人が怒りや悲しみを理解するには、長い時間がかかります。
特に、親や子供がBPDの場合はそうです。
障害は本人の責任ではないと頭では理解していても。

 自分の怒りを抑圧し、代わりに抑うつや無力感や罪悪感を抱きます。
この段階で必要なのは以下のことです。
・自分の感情を認め、対処する
・ボーダーの人に自分の行動の責任を持たせる
・彼らが望み通りになる幻想を捨てる

3.内向段階
ノン・ボーダーの人は内面に目を向け、正直に自分を見つめようとします。
この段階の目標は、二人の関係で自分が果たしてきた役割を、より深く理解することです。
自己批判でなく、洞察と自己発見です。

4.決定段階
相手との関係について、何らかの決断を下そうと悩みます。
何ヶ月、何年も続くかもしれません。

 自分自身の価値観,信念,期待,思い込みなどをはっきり理解する必要があります。
例えば、離婚に反対する保守的な家系の出身のために、暴力を振るう妻と別れずにいるのかどうか?
他人のものではなく、自分自身の価値観で行動することが大切です。

5.決定期
決意を実行に移します。
時間をかけ、何度も迷い、別の選択を模索する人もいます。

○白か黒かではない関係
白か黒かだけではなく、沢山の選択肢があります。

・ボーダーの人が境界を侵したときは、一時的にその場を離れる
・関係をしばらく絶つ(数日~数ヶ月)
・ボーダーの人の行動を個人的に受け取らない
(相手が私だからやっているのだと受け取らない)
・関係は続けるが、別々に住む
・親密度を弱める
・一緒に過ごす時間を減らす
・趣味や友だち付き合いなどに、バランスよく時間を使う
・ボーダーの人が治療を受け、変化しようとする場合だけ、関係を続けると伝える
・彼らに約束を守らせ、破ったら去る
・あなた自身がセラピーを受け、問題が解決するまで、決定を先延ばしにする

○自分自身への問い
パートナーとの関係について、自分自身に問うべき質問があります。

・この関係から何を得たいか,何を必要としているか
・自分の感情をさらけ出せるか
・身体的な危険はないか
・子供にどんな影響があるか
・自尊心に影響を与えているか
・ボーダーの人と同じくらい、自分自身を愛しているか
・ボーダーの人が変化する用意ができたときだけ、受け入れているか変化がなくてもやっていけるか
・お金など、実際的な問題は何か
・自分が幸せになる権利があると思っているか
・人の犠牲になるときだけ、自分に価値があると思っているか
・最も気が休まるのはいつか
(その人といる時か,一人の時か,他の人といる時か)
・家族たちに逆らっても、自分の決定をできるか
・本当に自分自身で決断しているか,人がしてほしいことをしているだけか
・自分の決定の法的な結果はどうか
・私が友人の立場だったら、どうアドバイスするか

*「境界性パーソナリティ障害=BPD」第2版(星和書店)より

 

BPDの人を加害者として忌み嫌ったり攻撃したりするような言論もネット上には散見されるが、そうしたものをみてもBPDの人の行動の一面が見えるだけで、理解にはなかなか繋がりにくい。

BPDの家族やパートナー向けの書籍などを参考にすべきだろう。

 

 

 

BPDの解説ページ紹介

境界性パーソナリティ障害

境界性人格障害の治療と対策、人格障害の患者への接し方

というサイトがあった。運営者情報によると

メンタル疾患にかかわる看護師、保健師をしています。自分自身も愛着障害や境界性パーソナリティ障害があって、それを克服するために苦心してきました。現在は完全に克服しているのですが、そうなるまでにたくさんの勉強、研究をして資料を集めてきたので、同じ悩みをもつ人に少しでも役立てもらいたくてこのサイトにまとめています。

とある。精神科医とは異なる、患者であった当人の視点がある解説で、心性、傾向の理解の助けになりそうだ。

ただ、トンデモ、陰謀論で名の知られる内海聡の本が出てきてしまうあたりちょっとどうかと思う。陰謀論に偏る薬に関する見解については極端な部分があると思う。

BPD“認知・感情・行動”のパターン

Wikipediaも含め、診断基準を軸にした解説はいまいちわかりにくい。

BPD/元BPD当人が自分の内側について書いているものは、感じ方について独特さが分かるものがある。ランディ・クリーガー著の書籍ではそうしたものが多く取りあげられている。理解の助けになりやすいだろう。

それ以外のもので、なるべくわかりやすく多くの言葉を使い説明しているものを見ると、つかみやすそうだ。精神科医よりカウンセラーがかいたものの方が、比較的わかりやすく思えるものが多い。

たとえば、以下はどうだろうか。

境界性人格障害(境界性パーソナリティ障害)の“認知・感情・行動”のパターン

http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/griffin/borderline001.html

 

交流分析(ゲーム)

あまり交流分析のことは知らないのだけれど、知り合いのかつての行動に重ねて面白かったので、引用させていただくことにした。

交流分析については

交流分析とは?エゴグラムから人生脚本まで分かりやすく解説

など。

交流分析には、必ず不快で終わるゲームというのが出てくるのだが、その一つ「ラポ・ゲーム」を取りあげる。

『ラポ』

「さあ、とっちめてやるぞ」と同じタイプのものだが、性的なニュアンスがより強く、女性が演じやすいゲームである。男性の前で、華やかな服装で魅惑的に振る舞う。男性が引かれて近づいてくると、急に態度を変えて、肘鉄砲を食らわす。「心と心のふれあいを大事にしたかったのに、結局は私の肉体に引かれたのネ。男はみんなケダモノ」と、激しく攻撃する。基本的な構えでは、「男性はOKでない」の構えである。常に、それを確認するために、被害者から迫害者に転じるゲームを演じる。

 男性と親密な関係になると、恋愛関係をこわしてしまう女性。また、一見偶然のようだが、いろいろなトラブルに次々に巻き込まれる人たちは、このゲームの可能性が強い。

 特に、ヒステリー性格(自己顕示欲の強い性格)の女性に多く、また、成熟した女性性が確立されていない場合に、演じられるゲームである。彼女たちの多くは、自分は被害者と思い込んでいる。

 ちなみにラポとは、レイプをもじったもので、軽い男女の戯れから、複雑な三角関係、果ては、こじれてしまう離婚問題まで、さまざまな男女模様を含む。

(『万能感とは何か』、ASIN:4101291314、p122)

 

みんカラの方で「カエル化現象」を取りあげたが、現象としては似ている。カエル化現象は好きだと思ってつき合おうとするが、好きになられるととたんに嫌悪感が生じてしまうというもの。その背景は、自己肯定感の低さと言われている。自信がないから「自分を好きでいてくれるはずがない、だから先に嫌ってやる」と言うもの。BPDにありがちな心の動きだ。

対してラポ・ゲームは女性の男性への不信感、嫌悪感などがあり、誘惑しては迫害する。

BPDの特徴(図)

http://www.aiseikyo.or.jp/kokoro/member/report/images/pdf/111023_kimura.pdf

典型的なBPDはこの図のようにとらえられるだろう。

4で問題を起こし、障害と扱われ、治療対象と言うことになる。

高機能型BPDや他人との接触を避けるタイプでは症状が現れにくいため障害が発覚しにくく、精神科の門を叩いても早期に症状が見られなくなり、構造がそのままでも治療をやめてしまいやすいということらしい。

緩解しても発症を繰り返しかねないわけだ。

自己愛性パーソナリティ障害

境界性パーソナリティ障害と見分けがつきにくいと言われることがある、自己愛性パーソナリティ障害に少しだけ触れておく。

大きく2つのタイプがあるが、共通して

・自分は特別で優れていて、称賛されるべきという自己像をもつ。

・極めて傲慢。

・裏腹に傷つきやすい脆弱性を持ち、尊重されないと強い怒りをぶつけたり激しく落ち込む。

・共感性が低く、他人の立場に立ってものを考えることが出来ない。

という特徴を持つ。幼稚性があり、自己愛が未成熟なPDである。

ネットの記事を引用してみる。

 自己愛性パーソナリティ障害の2つのタイプ

自己愛性パーソナリティ障害の人は「3つの自己」を持っているといわれています。

・誇大化させて形成された尊大で傲慢な自己
・自分は欠陥がある人間だというイメージを持った自己
・奥底に隠れている本当の自己

この「3つの自己」がどれか一方に偏っていると、「自分は特別な人間だ!」と思い込んだり、「自分は誰よりもダメな人間だ・・・」と思い込んだりしてしまいます。「3つの自己」の偏り具合によって表出する人物像が異なってきます。

根本にある自己愛の未成熟さや原因は共通ですが、その表出の仕方によって、自己愛性パーソナリティ障害は次の2つのタイプに分類されます。誇大的・自己顕示的で他者の反応に鈍感な「無自覚型」と他者の反応に敏感で注目されるのを避ける「過敏型」です。

◇周囲を気にしない「無自覚型」タイプ
このタイプの人は、自分はできる・自分は特別だと思い込み、社交的に振る舞いつつも他人のことには興味はなく自分の利益だけを考えています。このタイプの人が他者と親しく付き合うのは、自分に何かしらの利益があるからだと考えているためですが、自分の意向に沿わないときや責められると激怒することがあります。このような言動は本来の弱い自分を守るための防衛本能だといわれています。その他にも次のような特徴がみられます。

・わがまま・傲慢な態度をとる
・自分に夢中で他人のことは全く考えない
・注目の的でないと気に入らない
・他者に対する言葉づかいは常に攻撃的
・他者の反応を気にしない/怒りに表わすことで気にしないことにしている
・他者の気持ちを傷つけても平気

◇周囲を過剰に気にする「過敏型」タイプ
このタイプは身の丈に合わない理想化した自分自身を掲げますが、現実の自分との間にあるギャップに悩みます。他者からの評価に過敏ですぐに傷つきますが、自分には本当は才能があるという思いを持ち続けています。それゆえに自分自身を責めて落ち込んでいくサイクルが続きます。他にも次のような特徴がみられます。

・内気で恥ずかしがり屋
・自分の意見や感情を出さない
・傷つけられたと感じやすい
・注目の的になるのを避ける
・他者の反応に対して敏感に落ち込む
・他者からの評価を気にする

この障害がある人が自分を誇大化する理由は、本当の自分に自信が持てないなどの理由があります。本当の意味で自分自身を受け入れることができていない状態なのです。

 実際には、2つに分けきれず、多様性があろう。

ICDの診断基準は以下になっている。

次のうち,5項目以上が存在すること.
(1)誇大な自尊心をもっていること(すなわり,業績や才能を実際よりも過大視し,相応の実績がないのに自分が優れていると認められているはずだと思う).

(2)際限のない成功・能力・才気・美貌,あるいは理想の恋愛について,非現実的な考えにふけること.

(3)自分は「特別」で比類がなく,他の特別な,あるいは地位の高い人々(または組織)だけが自分を理解でき,それらの人たちと付き合うべきだと信じている.

(4)称賛を必要以上に要求する.

(5)権利意識が強い.ありえないのに,自分に好都合な特別待遇を期待したり,または自分の要望がそのまま受け入れられることを期待する.

(6)自分の目的を達成するために他人を利用する.

(7)共感性の欠如.他人の感情や要求に気づいたり理解したりしようとしない.

(8)よく他人をねたむ,あるいは他人が自分をねたんでいると確信する.

(9)横柄で傲慢なふるまいや態度.

『ICD-10』(『国際疾病分類』第10版 p494)

出典:http://amzn.asia/1IxIJ4p

これらにあてはまる人でも、そういう困った性格の人と扱われることがほとんどで、周囲は振り回されるものの、本人は特段生きづらさを感じていないことが多いという。そのため、障害として精神科を受診することも希だ。

生きて行く上での困難に直面し、二次障害としてのうつや自傷、不眠、などが現れることではじめてPDがあることが分かることが多いらしい。

見捨てられ不安こそがBPDの心性の核

BPDは、親密になることを望み、同時に見捨てられることを怖れる。BPDの核となるのはこの見捨てられ不安と、それによる感情の不安定だ。
診断基準(DSM-5)
対人関係、自己像、感情などの不安定性及び著しい衝動性の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる、以下のうち5つ(またはそれ以上)によって示される。
  1. 現実に、または想像の中で、見捨てられることを避けようとするなりふり構わない努力(注:基準5で取り上げられる自殺行為または、自傷行為は含めないこと)
  2. 理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人関係の様式
  3. 同一性の混乱:著明で持続的に不安定な自己像または自己意識
  4. 自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも2つの領域にわたるもの(例:浪費、性行為、物質乱用、無謀な運転、過食)(注:基準5で取り上げられる自殺行為または自傷行為は含めないこと)
  5. 自殺の行動、そぶり、脅し、または自傷行為の繰り返し
  6. 顕著な気分反応性による感情の不安定性(例:通常は2~3時間持続し、2~3日以上持続することはまれな、エピソード的に起こる強い不快気分、いらただしさ、または不安)
  7. 慢性的な空虚感
  8. 不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難(例:しばしばかんしゃくを起こす、いつも怒っている、取っ組み合いのけんかを繰り返す)
  9. 一過性のストレス関連性の妄想様観念または重篤な解離症状

    日本精神医学会/監修『DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル第5版』(医学書院,2014)p.654より引用

出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4260019074/

 対人関係に関連した診断基準の1と2は、BPD患者が他人と親密になりたいと強く望みながら、「見捨てられる」のを同じくらい恐れるという、一見矛盾した奇妙な対人関係について述べたものです。
 他人に対する理想化から価値下げへの態度変更は、「見捨てられた」と感じた際に、しばしば急激に生じますから、対人関係は不安定で激しいものとなってしまうのです。
 
 人間は他人と親密になりたいと望むのは当然です。
 従ってBPDの対人関係の特徴は、「拒絶される」「見捨てられる」ことに対する恐れだということになります。
 
 ただしBPD患者が語る「見捨てられ」や「拒絶」は、些細に見えるような、予想外の出来事の積み重ねなのです。
 それは〈物〉ではなく〈人〉との関係で起こりやすいことも覚えておいてください。
 
 相手の表情,口調,視線の予想外の変化など、一見小さな出来事の数々が、患者にとって大きな苦痛が生じるきっかけになってしまいます。
 それは「大切な相手」であるとは限りません。
 初めて会った店員が挨拶をしてくれなかったといった状況でも、BPD患者が絶望し大騒ぎする引き金となります。
 
 
*「治療者と家族のための 境界性パーソナリティ障害治療ガイド」  黒田章史(岩崎学術出版社)より
BPDの感情の不安定化は些細なことがきっかけで起こるので、なぜ怒り出したり拒絶をはじめたのかがわからない。直接の攻撃をせずダンマリにでてしまうタイプだと、強い親愛を示していたところから突然豹変し音信不通になるので何も分からず、自分を責めることも出来ず途方に暮れるしかなくなる。怒りが表に出て暴力や暴言に出る典型タイプもつらいが、ダンマリやねちねち間接的に攻撃をするタイプもつらい。
しかも、怒りをぶつけたり不安定化するのは、特定の相手が対象とは限らない。
突然店員相手にキレる客は時折いるようだが、その中にBPDの人は高確率で含まれるのかも知れない。
赤の他人にキレているBPDへの接し方も家族やパートナーは学ぶ必要があるだろう。
多くの場合、BPDの感情不安定はBPDが些細なことに異常な敏感性をもったり、そもそもが妄想によったりするので、怒りをぶつけられる等のことがあっても、自分自身を責める必要は無いはずだ。BPDの家族のための本などを読むと、そのことはよく強調されている。BPDに振り回されて疲弊し、病んでしまうことがもっともよくない。いくら頑張っても当事者だけで適切な対応ができるものではないから、パートナーならいったん離れることも考えた方がいいのだろう。
BPDな人に悩み苦しむ人は、家族のためのいくつかの本に目を通すべきだ。
(この所、このブログに検索でたどり着いてご覧になっている方が少し増えてきたようだ。あまり有用な情報を提供は出来ないが、わかることは出来るだけ書いてみたい)