少し心配したはる@BPDの妻を持つ夫さん、久し振りのツイートあり。
https://twitter.com/non_bpd/status/978389277967974400
もっと自由に。
少し心配したはる@BPDの妻を持つ夫さん、久し振りのツイートあり。
https://twitter.com/non_bpd/status/978389277967974400
こんなツイートを見た。夫が境界性パーソナリティ障害(BPD)の方。
彼女が出来たから価値のない人間に仕分けされたのではなく、奥さんが価値のない人間だから彼女を作った。私が離婚を切り出すと前から思ってたみたい。考えたこともなかったのに。想像で捨てられると言う思いがエスカレートして行った。何がそう思わせたのか全く心当たりがない。
— オタル (@kgyd35ryi) November 30, 2015
BPDは自分の中で勝手に見捨てられる不安を募らせ、先手を打って自分から相手を捨てるという行動がよく見られるらしい。
相手からして見れば全く理解不能。
普通の不倫なら奥さんに優しくしたり、まだかわいい。無視され、別人が憑依してるかの様に粗末にされ、言葉では表せない程、残酷な人に変わった。残酷な人と分かった以上もう逃げ出したい気持ち。何かが憑依してるようできみ悪い。また言いよってきてお前しかいないという。それがまた残酷。残酷の連続
— オタル (@kgyd35ryi) December 26, 2015
それでこうなってしまう。
付いたり離れたりを繰り返すケースもあるが、それっきりになるケースもあるらしい。
付いたり離れたりを繰り返す結果、相手が精神的に疲弊し、遂に自殺というケースも少なくないとも。
*+*
以前紹介した
さん。
3/14のツイート以来11日間ツイートがない。
その直前のツイート。
https://twitter.com/non_bpd/status/973685194048733184
https://twitter.com/non_bpd/status/973687509879177216
人生を終わりにしたいと2回続けて、そのあと短いツイートをしたきり。
本当に大丈夫か心配だ。精神的に疲弊し、精も根も尽き果ててしまうケースは少なくないらしいのだ。
このブログでBPDのことばかり取り上げる事になるとは思わなかったけれど。
BPDを理解するのに役に立つかも知れない、患者に寄り添った立場で書かれたページへのリンクを紹介した。
その中で、もとBPDの臨床心理士さんがこう書いている。
高機能型の境界性人格障害の人は
・人を喜ばせることが好き
・人のために、自分のことを犠牲にしてしまう
・困っている人、弱い人を放っておけない
という面を持っているはずです。
とても良い特徴のようですが
人を優先させてしまうせいで
自分のことをおろそかにしたり犠牲にしたりしてしまい
自分を大事にできなくなってしまいます。
高機能型の境界性人格障害の人には
これが症状を悪化させる原因になってしまうんです。
これらは全て
共感性の高さから来るものです。
これはBPDではない自分にも当てはまる。共感性と言えるかどうかはよく分からないが、誰かのためについ頑張ってしまう傾向が未だ残っている。ボランティアに自分の人生の大事な時間をつぎ込んで、結局自分の人生を大切に出来なかったり、自分の時間を潰してまで誰かのために頑張ってしまったり。自分の人生で自分を人生の主人公にしきれない。
BPDに見られる特徴ではあるけれど、機能不全家族で育ったアダルトチルドレンの傾向の一つととらえられる。何をしてどんなに成功しても親に認めてもらえなかった子供時代の影響によるものだ。
今の自分は少しでも自分のために行動しようと思うようにしている。他人のために頑張りすぎない、他人に飲まれない、なるべく自分の人生を豊かにするために自分の時間を使う。そうでないとつい他人に飲まれ、どうかすると都合よく使われてしまう。
ボランティアで頑張ってきた人が、突然去ってしまうケースを見てきたけれど、おそらく同じようなことだったのだろう。
今更遅すぎるのだけど。それでも破滅的に自己犠牲で生き続けるよりはましだろう。
境界性パーソナリティ障害(以下BPD)は、他人が受ける被害が大きく、被害者の立場から語られることが多いような気がするが、家族などからすれば離れることも出来ず、何とか支えて行かねばならない存在で、その心性を理解することが極めて重要である。
BPDの理解のために役立つかも知れないサイトを自分のメモがてら3つ紹介しておく。
精神医学系の星和出版のサイト内にある、BPD患者の家族会のサイトのログ。
逆境から立ち上がった臨床心理士
(BPD関連コンテンツへのリンク)
BPDだった臨床心理士が自分の経験を記述している。
It’s not your fault
親しい人が「境界性パーソナリティ障害」だと気づいた時に ~A to M~
某塾の国語の授業を見ていたら、漢字の書き順に異常にこだわっていた。
書き順は国によって違うし、変化することもあるようだ。書体によっても変わる。
そこにこだわることにどれだけの意味があるのか、自分にはよく分からない。
中高一貫校をお受験してきた人達はかなり叩き込まれているようなのだけど、自分には「?」なのだ。叩き込まれているのはあくまで教育の都合で統一的に示されているものでしかない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%86%E9%A0%86#cite_note-1600_p283-1
http://home.hiroshima-u.ac.jp/forum/29-2/hitujyun.html
過剰、異常なまでのルール化が小学校中学校の教育では行われがちだが、それを受けて受験が行われるので、受験対策は更に異常になるということだろう。
お受験は考えたら負けの世界? ついて行けない。
前に取りあげた、境界性パーソナリティ障害(BPD)の妻を持つ方のツイート、かなり限界に来ていることを感じさせる。
共依存という概念について。
両親などから何らかの虐待を受けて育った人に共依存という関係を作ることがよく見られる。
子は無条件に親に依存するが、虐待親は子を見捨てると脅しながら思うように操り支配する。そうして育った子は愛情を知らず、依存ー支配関係しか知らないため、対等、相手を尊重する人間関係を作れない。その結果、自らが受けてきた依存と支配の関係と同様に他人を自分に依存させることで支配する関係、すなわち共依存の関係を作るのである。
しかし、依存させることで自らの存在価値を確認しているのであり、その関係は発展性がなく、相手の独立を阻んででも共依存の関係を維持しようとする。当然破綻しやすく、しないまでも相手の未来を奪ったり、相手や自らを苦しめる結果になりやすい。
たとえば、売れないミュージシャン志望の男性をかいがいしく世話をする女性は共依存者で、男性が真っ当に働こうとしたり、何らかの成功を収めたりすると自分の存在価値が否定されるのでそれを阻もうとする。
ギャンブルにはまる男性、暴力を振るう男性に「どうしようもないこの人には、私がいなくては駄目なの」と耐えて世話をし続ける女性も共依存者である。相手を世話し続けることで自分の存在価値を認めさせて依存させているのである。
「人を世話・介護することへの依存」「愛情という名の支配」共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平安を保とうとする。
「ある人間関係に囚われ、逃れられない状態にある者」としての定義が受け入れられている。
Wikipedia 共依存より抜粋
精神医学の概念ではなく、看護現場で生まれた概念で、アルコール依存症患者との関係に束縛された結果、人生を歪められてしまった家族の特徴を説明するために用いられた。そこからより広く用いられるようになっている。
共依存者には以下の特徴が見られる。
メロディ・ビーティ 『共依存症いつも他人に振りまわされる人たち』 講談社、1999年4月。ISBN 4062690675
Wikipedia 共依存より抜粋
(上についてはこちらを見ると参考になる)
虐待を受けて育ち、共依存相手と結婚をし、ほどなく破綻したある知り合いには、見事なほどにこれらの多くが当てはまる。
こうした人は親の共依存・支配から脱することに失敗し、やがて支配を受け入れ、親が死ぬまで支配され続けることすらあるらしい。
また、共依存出来る相手を求め続け、破綻をしては求めることを繰り返しやすいらしい。
その結果、生きづらく、幸せになることが非常に困難な一生を送りやすいようだ。
なんとも哀れだ。
親は子供を独立させるために存在するというのに、虐待し、思うままに支配し、独立を阻み、子供を依存させ続ける。親の子離れ問題でもある。