解離性同一性障害と区別がつきにくいBPD

あるBPDが寛解しているというかたのブログを見たら、今は解離性同一性障害(DID)と診断されているという。BPD人格はお休み中と解釈しているらしい。

DIDは、いわゆる多重人格で、強いストレス、虐待などによって生じやすいと言われる。

DSMの診断基準に従うと、DIDとBPDは表面的に似通っているだけでなくBPDの診断基準が広めなのでDIDを含んでしまうと言う。

 

Wikipedia 解離性同一性障害 からの引用。

境界性パーソナリティ障害
DIDは自分が別れる(解離)のに対して、境界性パーソナリティ障害(以下BPD)の特徴は相手を分ける(スプリッティング)ことである。 DIDとBPDは両者とも分裂した自己像を持つが、それらが外部に投影されるか否によって、構造の差異が明確となる。 解離性同一性障害の場合、虐待者により虐待の秘密を口外することを禁じられるなどした場合、投影や外在化の機制が強く抑制され、葛藤を内部で処理するため病的な解離へと発展する。 それに対して、BPDのスプリッティングは分裂した自己が外部に投影されるため、周囲を非難し攻撃するが、解離のように自己間に完全な意識の断絶は生じていない[111]。BPDの印象を記述すれば「人が変わったように」「行動が極端から極端に激しく揺れる」となる。 周囲の人間を「良い人」「悪いやつ」の両極端に分ける。 「良い人」あつかいだったものが突然「悪いやつ」に変わる。 攻撃性を他者へ向けるなどである。 しかしこのBPDと解離性障害の鑑別も難しいとされる。 というのはBPDと解離性障害は非常に近い関係にあると認識されており、DSM-IV-TRではBPDの定義の9番目に「一過性のストレス関連性の被害念慮または重篤な解離性症状」が含まれている[112]。 それだけではなく、DSM-IV-TRのBPD診断基準は幅広であり、多くの解離性障害患者はBPDの基準も満たしてしまう[注 57]。 そしてDIDを含む解離性障害の診断がなされても、BPDも併記されてしまうことになる[113]。 さらにBPDを狭く定義しても、実際にDIDと併発している場合もある。しかし併記ならDIDの治療も受けられるが、DIDの患者は人格の交代を隠しており、つじつまの合わない言動に対して言い訳を用意している。 そしてその人格の交代が小心で臆病な人格から攻撃的で自己主張の強い人格に変わった場合には、人格交代に気がつかない限り、その極端な変貌はBPDに見えてしまいDIDには気づかれずに誤診されることが多い[114]。 BPDへの医師の接し方は淡々と接して「良い人」「悪いやつ」に巻き込まれないこととされる[115]。 しかしDIDの場合は相手の反応にとても敏感でありその心を読むことに長けている。 長けすぎていて医師のため息ひとつで見捨てられたと絶望し[116]、心を閉じてしまうことすらある。 DIDであることに気づかず、BPDとして扱うと治療はおぼつかない。https://ja.wikipedia.org/wiki/解離性同一性障害

DIDの人格交替はトランス状態を経るとよく書いてあるから、目の前で豹変した場合区別がつきそうなものだが、どうも実際はそう言うものでもなく、相当人によって違うようで、いきなりぽんと出てくるようなこともあるらしい(下の動画参照)。そうなると外から区別がつかないかも知れない。

そうなると、突然別人のように口調や態度が乱暴なものに変わりすぐ戻ることがある人がいたら、それだけではBPDなのかDIDなのかわからない。

 

https://www.youtube.com/watch?v=GLMxMiXDEH4

しかしながら、基本的な防衛機制が異なるので、BPDとDIDは区別がつくという。

1.激しく攻撃的⇔穏やかで優しい
…ボーダーラインの人は激しく不安定だが、解離性障害の人は穏やか
2.相手にぶつける「投影」⇔自分に抱え込む「取り入れ」
…ボーダーラインの人は怒りをぶつけるが、解離性障害の人は溜め込む3.他人を分ける⇔自分を分ける
…ボーダーラインの人は他人を二極化するが、解離性障害の人は自分の心を分割する

4.自分がからっぽ⇔自分はたくさん
…ボーダーラインの人の心は空虚だが、解離性障害の人は豊かな内的世界を持っている

5.すぐに親しむ浅い関係⇔時間はかかるが深い関係
…ボーダーラインの人はすぐ人を理想化するが、解離性障害の人は根深い不信感を持っている

6.現実にしがみつく⇔現実から逃れるリストカット
…ボーダーラインの人は現実にしがみつくために、解離性障害の人は現実から逃れるためにリストカットする

7.親への執着⇔親との関係が希薄
…ボーダーラインの人は親からの見捨てられ不安がベースにあり、解離性障害の人は親への絶望がベースにある

その一つについて。

対人関係のストレスに対処するとき、わたしたちはみな、この「投影」か「取り入れ」か、どちらかの方法をおもに用いています。

「投影」とは、たとえば問題点を指摘されたとき、アドバイスを受け入れるかわりに、「あんたこそそういう点が問題だ!」それを跳ね返すことです。

いっぽう、「取り入れ」とは、「確かに自分には問題がある…」と受け入れることです。

わたしたちの大半は、この二つをバランスよく用いて日々の人間関係に対処しています。

しかし、ボーダーラインと解離性障害の人は、この防衛機制の用い方が極端に偏っています。

ボーダーラインの人は、「投影」を用いることが非常に多く、何かを指摘されたときに反発して攻撃的になり、つい相手をこきおろしてしまうことがよくあります。

しかし解離性障害の人は「取り入れ」ばかりを用い、何を言われても反論せず、不満や怒りは自分の内側に溜め込んでしまいます。しまいに溜め込まれた怒りが、攻撃的な別人格を形成して、時々人格交代することもあります。

そのようなボーダーラインの「投影」戦略と、解離性障害の「取り入れ」戦略の違いは、こう説明されています。

ボーダーラインの場合は、思春期前に、親が自分を物のように扱っていたと考えるようになって、そして恨みに変わっていったという感じです。

でも解離の場合は、小さいころからどんどん内側にためていって、別の人格をつくってしまう、怒りさえも意識しないという感じです。(p208)

解離の舞台―症状構造と治療 で、柴山雅俊先生は、それを「我の強さ」に置き換えて表現しています。

解離の患者は、他者と対峙したとき相手を押し返す力が概して弱い。自己主張や自己表現が苦手で、傷ついたり不快を感じたりしても、(人格交代しない限りは)相手に抗議することができない。

外界を変えようとする(alloplastic)のではなく、自らを変容させること(autoplastic)によって困難な状況を生き延びようとする(フェレンツィ 2000)と言ってもよい。

このあたりは境界性パーソナリティ障害に見られるある種の我の強さと対照的であろう。(p228)

解離性障害の人は、批判されても言い返すのが苦手で、自己を変容させる「我の弱さ」が特徴で、境界性パーソナリティ障害の人は逆に、批判に応酬する「我の強さ」が特徴です。

このような人間関係への対処の仕方の違いが、穏やかで優しい解離性障害と、攻撃的で激しいボーダーラインという違いをもたらすのです。
https://susumu-akashi.com/2015/10/bpd-dd/

その他、様々な違いがあり、区別がつくという。

詳しくはリンク先を参照。