アダルトチルドレンと見捨てられ不安

アダルトチルドレンは精神科で扱う診断名ではなく、パーソナリティ障害(PD)と重なるより広い概念だ。

そのため、BPDの見捨てられ不安試し行為はアダルトチルドレンでもある。

私は、BPDが「見捨てられ不安」のためにしがみつくばかりではなく、自ら相手を捨ててしまうと言う行動に強い関心を持っているが、アダルトチルドレンの解説の中にも同様の行動が示されていたので引用する。

 

アダルトチルドレンの傾向~「自分から捨てる」という人もいる

「見捨てられ不安」からくるアダルトチルドレンの人間不信

あまりに見捨てられ不安が強いと、「相手が離れていったときに自分が苦しむのは辛いから、こちらから捨てる」という行動に走る場合もあるそう。

せっかくお友達になったのに、相手を疑う気持ちが強すぎるために「常に離れていく不安」を考えることが辛くなってきてしまうのです。このため、首の皮一枚でつながっている様な感覚に陥ってしまい、「いっそのこと自分から切る」という極端な行動に走ってしまうのです。

それ以前に、相手がせっかく好意をもっていても「どうせ信用したところで相手は離れていくんだから」という疑心暗鬼な状態から抜け出すことができず、友達を作れない場合も。

「見捨てられ不安」というと、相手にしがみついてしまうあまり「相手から見捨てられてしまう」という発想の人が多いのですが、このように自分から関りを絶ったり、そもそも関わらろうとしないケースもあります。どちらにせよ、心の底には深い人間不信がありますので、当人は大きな寂しさを抱えてしまっています。

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常に不安が付きまとう!見捨てられ不安の特徴①
見捨てられ不安を抱えたまま大人になってしまうと、人間関係で問題が起こるようになるになります。子どもの頃の親に対しての不安を他者に向けてしまうのです。恋人や友達と付き合っている時でも、心のどこかで「見捨てられるのではないか」という不安を抱えてします。大切な人を遠ざけたり、攻撃する
そして、些細なことで「自分は見捨てられた」、「裏切られた」と思ってしまい、友達や恋人を遠ざけたり、攻撃してしまうのです。周囲の人にとっては、なぜいきなり避けられるのか、攻撃されるのかわかりませんから、次第に距離を置くようになります。見捨てられ不安が原因で他者を遠ざけたり、攻撃したりすることを繰り返していると、十分な信頼関係を気づくことが出来ません。これが、アダルトチルドレンの生きづらさの一つになるのです。アダルトチルドレンを克服したい人のための体験談サイト
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アダルトチルドレンの特徴、3つめは「自分はいつか捨てられる」という【見捨てられ不安】です。

この見捨てられ不安を持ってしまうと、

捨てられないように相手に合わせようとする
捨てないか、捨てる気になっていないか常に確認しようとする
捨てられるくらいならこっちから捨ててやる、と起こりもしない未来予測をしがち
どうせ自分は捨てられるに決まっている、と、最初から関わりを持とうとしない
相手が自分と違う考えを持つことが許せず、正当性を主張しようと躍起になる
これらの特徴が出がち。

へりくだっていても、上から目線で偉そうにしていても、奥にあるのは「自分はいつか捨てられる」という想い。

この想いを克服していかない限り、人生に望ましくない結果をもたらし続けるのです。

AC大阪
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この見捨てられ不安を克服していかないとBPD/ACに平穏はないのだろう。見捨てられることはないのだという安心を得られることが必要だが、彼らは大切な人に見捨てられまいと相手にしがみつくあまり試し行為を繰り返して相手を苦しめ、離れらえてしまったり、自ら相手を遠ざけたりするために、関係を自ら壊してしまう。

それを超えることが家族やパートナー、支援者の大きな課題と言える。ただ従い続けるのではなく、腫れ物を触るように扱うのでもなく。

対応の仕方を学ばなければならない。

たとえば次のようなページを参考にしてみるとよいだろう。ランディ・クリーガーのワークショップをまとめたものだ。

境界性パーソナリティ障害(BPD)の方を周囲から見守る人のための
5つのパワーツール

http://www.solea.main.jp/?eid=652292

 

見捨てられ不安と共依存の話

BPDに特徴的と言える「見捨てられ不安」が、共依存とも関係が深いという話を引用する。例によってBPD家族会のログから。

見捨てられ不安の本質?

bpdfamily (2011年9月10日 08:50)

BPDの根源に他の人より特に強い見捨てられ不安があると言われています。

ASK選書14に「苦しさの一番奥にあるのは見捨てられ不安だった」というブックレットがありますが、その中で、臨床心理士の遠藤優子さんはユニークな観点から、見捨てられ不安をとりあげられています。そうなんだろうなあとも感じます。以下は遠藤さんの文章の要約です。

見捨てられ不安とは人間間関係の問題ではありません。これは自己愛の問題です。見捨てられ不安は存在の不安として自覚されます。自分はここにいてもいいのだろうかという不安です。このような自己肯定の問題があるために、ここにいても大丈夫だという承認欲求が生まれます。大事にして欲しい、愛して欲しいという欲求です。

やっかいなことにこの欲求は決して言葉では表現されません。「私を認めて欲しい」「大事にして欲しい」と自分から頼んだとしたら、頼んだものが得られてもちっとも満たされないからです。

「こうして欲しい」と一切表現せず、相手が自ずから気づいてくれて、相手自身の願望で大事にしてくれたり、愛してくれるのでなければ意味がないのです。

しかし、どうして欲しいか言葉にしなければわかりません。「言わずに察して満たして欲しい」という承認欲求が強くなればなるほど、見捨てられ不安も強くなります。さらに、相手は自分の欲求に応えてくれずに見捨てるにちがいないという予期不安まで出てきます。しかし、こんな欲求に応えられる相手なんて現実にはあり得ないわけです。

例えば、摂食障害は「弱さを表現していい病気だ」と言われています。何らかの形で「私を愛して」「私を認めて」と表現するのです。

見捨てられ不安が人間関係の問題というよりも、本人の自己愛の問題だとすると、どうすればよいか。それはその瞬間瞬間に自分に向けられた承認や愛情を本人が受け止められるようにすることです。例えば、誰かがにっこり笑ってあいさつしてくれたとか、誰かがその服素敵だねと声をかけてくれたとか。些細なことでもそれがたまっていけば「この世界もなかなかいいものだ。自分もこの世界に受け入れられているようだ」という感覚が養われていきます。

以上が遠藤さんの文章です。

よく、心理学の本なんかに赤ちゃんとお母さんの関係が出てきます。小さい頃は遊びに夢中になってしまい、気づいたらお母さん(絶対的な安心・安全な対象)が近くにいないで、どこかに行ってしまった状況を認識すると、赤ちゃんは必死に泣き叫ぶ。しかし、ある程度大きくなって、「心の中にお母さん」ができてくると、たまにいなくなっても混乱しなくなる。さらに安全基地が家にあると、外にでかけて他の人に接するという冒険もできてくる。何かあったら泣きながら家に帰ってきて、お母さんに抱っこしてもらう。こんなことを繰り返しながらだんだん、親との距離をとりながら自立していく。そのうち、親に代わる安心・安全対象(恋人)を見つけ、そこがその人の安全基地になるということかなと思います。

BPDの人は言わないでもわかって欲しいではなく、やはり口に出して言う練習、相手の方はBPDの人が言いやすい環境作り(正論を言うのではなく、まずは聴く)によって、問題行動(リストカット等)を減らすことができるような感じもします。

 

相手自身の意志によって愛されたいという欲求を持ち、それを自分が表現することなく満たされることを望む。しかし表現しないから、見捨てられるのではないかという不安も大きくなる。そんな一人相撲をしているのがBPDだと。

ここにはないが、一方で好きだと言われてもその気持ちを疑うのもBPDだ。「自分が本当に好かれるはずがない、今はそんなことを言っていても本心ではなく、いずれ見捨てられるのではないか、何か他の狙いがあるのではないか」そういう猜疑心に埋もれていくのだろう。そして相手が降参して離れていくまで相手の愛を試し続ける。

結局は自分という存在に全く自信が持てないからそう思うのだし、それは虐待などの生育歴によるところが大きいだろう。

BPDの人自身がきちんと自分の思いを口に出せて伝えられることがとても大切なはずで、それができるようにして行くことが課題なのだとは、指摘の通りだと思う。

 


アダルトチルドレン(AC)にみられる共依存も見捨てられ不安によるという。アダルトチルドレンは虐待など機能不全家族に育った人のことで、様々な問題を抱えているが、特徴的なものに共依存がある。アダルトチルドレンは、精神科では症状から診断名を与えられることがあり、BPDもその一つだ。

共依存も見捨てられ不安から

bpdfamily (2011年9月10日 21:53)

引続き、臨床心理士の遠藤さんは「見捨てられ不安」について以下のように書いています。

「共依存(2者が依存しあう関係)は、見捨てられ不安に何重ものひねりが入っています。実は自分が切実に求めているもの(世話されたい、愛されたい、甘えたい)を相手に与え、相手に必要とされることで自分の存在の承認を得ようとするのです。だから相手に自立されると困ります。自立できない人が自分のそばにいてくれないと困るのです。私はこれを「自己愛的な主義」と呼んでいます。見捨てられ不安はしばしば利他主義の仮面をつけています。本当は誰かから「私を大事にして」と言って欲しいのに、そうではなく、「私はあなたのためを思ってやっている」なんていう(子どもからすれば恩着せがましい)表現を使ってくる。

子離れできない親、自分の思い通りにならないと怒り出すカウンセラー(こんなにしてあげたのにみたいな)、みんな「自己愛的な他利主義」であり、見捨てられ不安があるということでしょうか。

子どもの見捨てられ不安は実は親の見捨てられ不安を反映した場合もありますね。心配症の親は見ていられないので、子供が危うくなると先回りして子どもの手助けをしてしまう。すると子どもは困難へのスキルが獲得できないので教科書を相手にした勉強はできるけれども、変幻自在に変化する生身の人間がひしめき合う社会に出て失敗する(たいていBPDの人は社会に出て失敗する)。もどってきた子どもに対してやはり私がいないとこの子はだめだという理屈をつけて自立できない子どもを作って、子どものひきこもりが始まる。子どもは子どもで同世代の人たちが華々しくがんばっているのを見て、こんな自分にしたのは親のせいだといよいよBPD化する。

 

少し趣旨の違う部分で興味を持った。

アダルトチルドレンは、社会に出たり結婚で失敗することが多く、そこで戻ってきた子を親が囲い込んでしまい、親が死ぬまで自立の機会を失うことが見られるようだ。

結婚などを通じて反抗・独立を試行していた場合、その失敗は親の正統性・支配を認めるものになるかもしれない。その結果、子供時代同様の親による共依存の関係に再度はまり込むことになるのかもしれない。

親の見捨てられ不安が共依存関係を作り、その中で自己愛を確立できず、子も見捨てられ不安から他人との共依存関係を作ろうとする。

 

共依存はBPDのパートナーがもっていることが多い傾向(おそらくBPDの人がそういう相手を選んで依存している)だが、見捨てられ不安から来るならば、BPD傾向のある人も共依存傾向をもっていて不思議はないと思える。BPDを自認する人が自分の共依存傾向に言及していることもある。

 

 

社会参加、社会適応は目標に出来ない高機能型BPD

家族会のHPにあるログで、BPDについてのインデックスを選ぶとトップに来る記事に以下の記述がある。

 BPDには対人関係,情動制御,衝動性,認知に関する問題という、4つの病理が認められます。
 これらは、対人関係やコミュニケーションの問題が大きく与っています。
 
 コミュニケーションのつまずきに対して、以下の2つの問題が生じます。
・世間に参加するのに妨げになる、厄介な「反応傾向(癖)」を身に付けてしまうこと
・世間に参加するのに不可欠な能力を習得しそこねてしまうこと
 
 BPDを治療するには、単にDSM診断基準の症状に対応するだけでなく、こうした問題に治療的に取り組むことが不可欠です。
 BPDが難治とされてきたのは、こうした患者の心理社会的機能の不全に、適切な対応がなされてこなかったからでしょう。
 
 コミュニケーションのつまずきに対する脆弱さを改善することで、BPDの問題行動や症状を大きく減らすことが可能です。
 
 
【コミュニケーションのつまずきに対する脆弱さ(神経症傾向)】
     ↓↑
【BPDの症状】
 ・対人関係の問題
 ・衝動性
 ・感情不安定性
 ・認知症状
 ・同一性の障害
【世間に参加するのに必要な社会的能力の未習得】《治療の主目標》
 ・〈学び/学ばれる関係〉に耐えられる能力
 ・人の気持ちや考えをなぞる能力
【身に付けてしまった厄介なクセ】《治療の主目標》
 ・風変わりな反応傾向(癖)
 精神科は治療の目標を社会参加、社会適応に置く事が多い。問題があっても、薬で症状を抑えたり、社会生活に必要な対応の仕方を身につけることでうまく社会で生きていけるならば病気と共存してやっていけばよいと言うことだ。
 ただ、以前の記事でも取り上げた通り、この考え方はBPDでは必ずしもうまくない。社会機能は充分にありながら、家庭やパートナーとの関係でのみ問題を起こす高機能型(社会適応型)BPDが存在し、むしろ増えているからだ。上記のように「世間」「心理社会的機能」に重きを置いた対応は、必ずしもBPDが抱える問題の解決にならない。本人の生きづらさの解消、家族やパートナーに対する問題行動の消失と良好な関係の構築などを目標にすることになるはずだ。
 高機能型BPDは病識をもつことが少なく、自傷のような問題行動もないかほとんどない。そもそもBPDが他責傾向を強く持つので、自ら悩んで精神科の門を叩くことが少ない。家族やパートナーが勧めて何とか精神科を訪ねることがあるかどうかということらしい。それでも普段は普通の人を完璧に演じているので、治療対象と判断されないこともあるようだ。
 暴力、暴言、嘘、他責などで困り果てている家族は多いようだ。
 認知の歪みを修正するような精神療法を受けていくことで改善は期待できるというし、日記をつけていき、自分がどんなことを原因として感情の動きが起きたのかを把握していくだけでも改善が起こりやすくなるともいうが、本人が主体的に取り組もうと思わない限り困難だ。
 治療、カウンセリングを拒絶し続ける高機能型BPDは、パートナーには非常に困難性が高いと思われる。相手がしがみつき行動をしているのであれば治療へ向かわせることも可能かもしれないが、脱価値化をしていては声が届く余地がない。その場合はすっぱりあきらめた方がいいのではないだろうか。一旦は破綻しても時間を置いて相手が復縁を求めることがある。相当苦しい道になるので、その場合はまさに思案のしどころだ。それまでにトコトン学んでおく必要がある。
 一方、子が高機能型BPDである場合、離れるという選択肢はない。家族会のような存在を頼りにすべきだろう。

BPDの人と対することになって人がたどる過程

BPDと見なせる人もいろいろなので、暴力、暴言が目立たなかったり、自傷をしない人もいるだろう。それでもその内面にあるものは同様で、何かをきっかけに生じた激しい不安や怒りなどが渦巻いているはずだ。ある日突然起きるそうしたものによる豹変によって混乱させられ、苦悩させられる。原因がよく分からない。自分の落ち度も思い当たらない。しかし突然に相手が変わってしまった。嘘や辻褄の合わないことまで言い、責任転嫁してくる。どうしたらいいかまるでわからない。

そうした混乱で自分の生活が全て埋め尽くされてしまう状態に陥ってしまう。現実の苦しさの一方、とても良かった時期の幻影にも引きずられる。

そんな中で、一刻も早く自分を取り戻し安定させることが取り組むべきことだろう。少しでも状況を理解して、適切な対応を学び、どうするかの結論を出していくしかない。

一般にたどる過程について、星和出版のランディ・クリーガーの本からの引用(家族会のHPからの孫引き)

なお、「ノン・ボーダー」とはBPDと対している人のこと。

 ノン・ボーダーの人は、ボーダーの人との関係をとても続けられないと思いながら、去ることは想像ができないし、不可能のようです。
ノン・ボーダーの人は皆、同じ気持ちを抱いています。
今は見えていなくても、あなたには選択の自由があります。

○ノン・ボーダーの人が経験する5つの段階
一般的に次の段階を順に経験するでしょう。
大抵は行きつ戻りつします。

1.混乱段階
ボーダーの人の行動の理由を理解しようと苦しみます。
見込みのない解決策を探したり、自分を責めたり、混沌の中で生きようとしたりします。

 BPDの知識を得ても、知的なレベルで本当に理解するには何週間も何ヶ月もかかるでしょう。
感情的なレベルで理解するにはもっと長い時間が必要です。

2.外向段階
・注意をボーダーの人に向ける
・ボーダーの人に専門的な援助を受けるよう迫ったり、彼らを変化させようとする
・問題行動を誘発しないよう全力を尽くす
・ボーダーの人を理解したり、共感しようとするうち、学ぶことは全て学ぶ

 ノン・ボーダーの人が怒りや悲しみを理解するには、長い時間がかかります。
特に、親や子供がBPDの場合はそうです。
障害は本人の責任ではないと頭では理解していても。

 自分の怒りを抑圧し、代わりに抑うつや無力感や罪悪感を抱きます。
この段階で必要なのは以下のことです。
・自分の感情を認め、対処する
・ボーダーの人に自分の行動の責任を持たせる
・彼らが望み通りになる幻想を捨てる

3.内向段階
ノン・ボーダーの人は内面に目を向け、正直に自分を見つめようとします。
この段階の目標は、二人の関係で自分が果たしてきた役割を、より深く理解することです。
自己批判でなく、洞察と自己発見です。

4.決定段階
相手との関係について、何らかの決断を下そうと悩みます。
何ヶ月、何年も続くかもしれません。

 自分自身の価値観,信念,期待,思い込みなどをはっきり理解する必要があります。
例えば、離婚に反対する保守的な家系の出身のために、暴力を振るう妻と別れずにいるのかどうか?
他人のものではなく、自分自身の価値観で行動することが大切です。

5.決定期
決意を実行に移します。
時間をかけ、何度も迷い、別の選択を模索する人もいます。

○白か黒かではない関係
白か黒かだけではなく、沢山の選択肢があります。

・ボーダーの人が境界を侵したときは、一時的にその場を離れる
・関係をしばらく絶つ(数日~数ヶ月)
・ボーダーの人の行動を個人的に受け取らない
(相手が私だからやっているのだと受け取らない)
・関係は続けるが、別々に住む
・親密度を弱める
・一緒に過ごす時間を減らす
・趣味や友だち付き合いなどに、バランスよく時間を使う
・ボーダーの人が治療を受け、変化しようとする場合だけ、関係を続けると伝える
・彼らに約束を守らせ、破ったら去る
・あなた自身がセラピーを受け、問題が解決するまで、決定を先延ばしにする

○自分自身への問い
パートナーとの関係について、自分自身に問うべき質問があります。

・この関係から何を得たいか,何を必要としているか
・自分の感情をさらけ出せるか
・身体的な危険はないか
・子供にどんな影響があるか
・自尊心に影響を与えているか
・ボーダーの人と同じくらい、自分自身を愛しているか
・ボーダーの人が変化する用意ができたときだけ、受け入れているか変化がなくてもやっていけるか
・お金など、実際的な問題は何か
・自分が幸せになる権利があると思っているか
・人の犠牲になるときだけ、自分に価値があると思っているか
・最も気が休まるのはいつか
(その人といる時か,一人の時か,他の人といる時か)
・家族たちに逆らっても、自分の決定をできるか
・本当に自分自身で決断しているか,人がしてほしいことをしているだけか
・自分の決定の法的な結果はどうか
・私が友人の立場だったら、どうアドバイスするか

*「境界性パーソナリティ障害=BPD」第2版(星和書店)より

 

BPDの人を加害者として忌み嫌ったり攻撃したりするような言論もネット上には散見されるが、そうしたものをみてもBPDの人の行動の一面が見えるだけで、理解にはなかなか繋がりにくい。

BPDの家族やパートナー向けの書籍などを参考にすべきだろう。

 

 

 

BPDの解説ページ紹介

境界性パーソナリティ障害

境界性人格障害の治療と対策、人格障害の患者への接し方

というサイトがあった。運営者情報によると

メンタル疾患にかかわる看護師、保健師をしています。自分自身も愛着障害や境界性パーソナリティ障害があって、それを克服するために苦心してきました。現在は完全に克服しているのですが、そうなるまでにたくさんの勉強、研究をして資料を集めてきたので、同じ悩みをもつ人に少しでも役立てもらいたくてこのサイトにまとめています。

とある。精神科医とは異なる、患者であった当人の視点がある解説で、心性、傾向の理解の助けになりそうだ。

ただ、トンデモ、陰謀論で名の知られる内海聡の本が出てきてしまうあたりちょっとどうかと思う。陰謀論に偏る薬に関する見解については極端な部分があると思う。