ばたばたと…

急にいそがしくなった。

ダブルワークで進学塾でも教えることになるのだけれど、その研修等が入って来る。3月からは授業をもつことになる見込み。

一方で、寝室のフローリング化作業を暇を見つけてはやっている。これを終わらさないと家の中が正常化しない。

はたまた、精神疾患等に関する本を何冊も買ったのに読んでおらず、すこしずつ目を通しているがなかなか進まず。

なんだか気ぜわしくて大変だ。

食洗機

うちにも食洗機がある。

マンションを買ったときのオプションはやたらに高く、しかも時間のかかる古いタイプだったので見送り、あとで自分でシンク下にビルトイン式のをつけた。当初ははやくて評判がよかったホシザキを検討していたのだが、民生機器から撤退してしまったので、機能的に近かった松下電工製にした。

20代で当時最年少での入居が1999年。思い立って取り付けたのが2006年だから、結構時間が経っているな。

事前にオプション用の先行配管や電源用のコンセントがあることを確認していたので、取り付けはオプションの取り付け部材を使ってスムーズに出来た。ただ、先行配管は水道水だったので、私は給湯経路から新たに分岐して取り付けている。おかげで60度のお湯を給湯して電気でお湯を沸かす電気代を抑えることが出来ている。

もう10年以上経つけれど、よく働いてくれる。

一人暮らしなので使う頻度低く、痛みが少ないと言うことはあるだろう。

ただ、内部が食器でいっぱいになるまで溜めないと勿体ないと思っていると、いつの間にかシンクの中にまで積み上がって、大変な事になったりする。

なので、最近は決してシンクの中には溜めず、食洗機の中に入れ、多少がらがらでも食洗機を使うことにした。これでスッキリだ。

 

我が家ももうすぐ入居から20年と考えるとすごいことだ。自分も周囲も老けるわけだ。中1だった子がすでに結婚してもう30代と考えると恐ろしい。

そろそろいろいろなものが駄目になりそうだ。一つの山は10年目だけれど、キッチンの松下電工製の蛍光灯照明の安定器が壊れ、東芝製のインバーター部分だけを購入して修理したが、その後問題なく。

洗浄便座も一時壊れたがウンチまみれになりながら分解/清掃して今も問題なくつかえている。

給湯器も一度壊れたが、探ってみると風呂のリモコンの異常で、リモコンだけ中古で購入して交換し、今もつかえている。

冷蔵庫もやや異音が出ているものの、まだ壊れていない。同時に同じ機種を買った実家は2年ぐらい前に買い替えているのだが。

給湯器が一番大物だが、ヤフオクなど見ると結構安く中古が出ているので、こういうものを活用すれば結構安くすませることも可能らしい。ただし、資格上と安全上の理由で、ガス配管だけはプロにやって貰わねばならないが。

誰か暇な人手をあげて~?

明日は振替休日。

やる事はいくらでもあるのだけれど、できれば月に一度ぐらいは気晴らしにお出かけしたい。

鴨川シーワールドは今月半額。

行ったことがないのでいい機会だけど、さすがに一人では行く気にならない。

だれか一緒に行ってくれる人(ただし女性)いないかな。

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やることと言えば、寝室のフローリングへの改装。

カーペット敷きなのだが、あまりに汚くなり、夏にはにおいがするようになったので、フローリングへの改装を思い立ち、もう4ヶ月ぐらい。材料は格安でありながら悪くないものを入手済み。その他の部材も調達済み。ようやく部屋から主なものを搬出し、作業に移れるところまで来ている。

ベッドはまだ置きっぱなしなので、これをばらさないといけないが。

ばらしたらマットレスを床に敷いて寝るか……。

 

業者に依頼すれば10~15万円ぐらいかな。自分でやると材料費だけなので、5万円かからない。ただし綺麗に出来るかどうかは力量次第。

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床の高さを合わせるための2.4mmのMDFの板を買ってきたから、標準工法で作業は進められる。まずはこの板を張り付ける作業。

接着剤を使わずに貼って問題が無いようなら全体に敷き詰める。だめなら接着剤。

アクリル系の根太ボンドとウレタン系の根太ボンドがあるけれど、フローリングの貼り付けにはウレタン系が勧められている。弾力があり、きゅっという床鳴りがおきにくいと。

板を敷き詰めるときにはどうなのか。

コーススレッドで留めてしまうので、しっかり留まると思うのだが、僅かに残るフェルトを接着した残骸が悪さをするかも知れない。どうせ剥がすことはないだろうし、どちらかの根太ボンドで留めた方がよいのかも。アクリル系のは昔買ったのが余っているし。

 

境界性パーソナリティ障害の妻をもつ人のツイート

すごいものを見つけてしまった。

境界性パーソナリティ障害(BPD、ボーダー、ボダ)の妻をもつ人のアカウント。

ひたすら妻に対する不満等をつぶやいている。

なかなか壮絶だ。離婚すればいいのに、と他人としてはまず思う。

ちなみに、ODとは過量服薬のこと。睡眠導入剤などを10日分とか。しかし、その程度では命の危険には至らない。

 

BPDの人は他人を巻き込み振り回し、ぐさぐさに傷つけることが多い。

結婚した相手がBPDだと、離婚というケースも多いし、そもそも多くが結婚に至らない。

BPD本人も生きづらくて辛いのだけど、人間関係をうまく構築できない精神障害で、のみならず人間関係に入り込んで破壊するというとんでもないことをやってしまう。

そのために、たとえ治療を受けに来ても医師やカウンセラ、看護師等もぼろぼろにされることがあり、入院の場合には他の患者にまで被害を及ぼす。

BPDお断りの精神科もあるという。BPDの人には入院して欲しくないという看護師の書き込みを見たこともある。

女性に多く、20~30代に多いとか。まじめで責任感の強い男性をターゲットとして近付き、恐ろしいほどの不幸な身の上話をして同情を買い、一旦取り入ったらその男性を心身がぼろぼろになるまで振り回し続ける。不思議な(特に性的な)魅力があるらしく、男性はなかなか離れられない。BPDの人は理想化と脱価値化を繰り返して同じ人に付いたり離れたりを繰り返すことがあり、男性が疲弊してついには自殺することも結構あるらしい。

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本業の精神科ですらもてあますので、素人が何をやってもどうにもならない。だから、BPDの人に捕まったら全力で逃げろと、経験者のみならず、精神障害の支援関係者、医師等が口を揃えて言う。かかりつけの医師は、いざというときは相談先を紹介できる、とも。

詳しくは、ネットを検索してみるといい。

ボーダー 被害」でいろいろなものが出てくる。

 

典型的なパターンについてはこれあたりがわかりやすいのかもしれない。

 

http://agora-web.jp/archives/1439250.html

LINEゲーム ツムツム

最近LINEをやるようになったものの、たった一人としか繋がっていなかったし、妙にごてごてととり込まれているいろいろなあれこれは自分には関係がないと思っていた。結局LINEは一人の相手とチャットをするだけにしか使っていなかった。

ただ、繋がっている相手がよほど暇なときにゲームをやっているらしく、希にだがハイスコアがタイムラインにポストされる。

あまり興味はなかったがダウンロードして遊んでみると、単純だが、まあまあはまるゲームだった。

ディズニーのツムツム

 

一種のパズルゲーム。ディズニーキャラクターの「ツム」を指でなぞってつなぐと消える。これを一定時間内でどれだけ消すかというゲームだ。

しかしながら、最近のこの手のゲームは昔の様に単純ではなく、いろいろなアイテム?のようなものを駆使して得点を伸ばす要素がある。そのアイテムはコインを集めて買う。コインはゲーム内で獲得できる。

自分としては単純な方が純粋にテクニックを身につけてスコアを伸ばす楽しみがあって、コインを集めるとか何とかで突然ハイスコアが得られてしまうみたいなものは邪道な気がする。

コインも、友達を誘うともらえるとか、なんかネズミ講式でよろしくない。

そして、重要なアイテムはお金でも買えるようになっている。金がものを言う世界である訳だ。いかにも今どきのオンラインゲームにおけるビジネスモデル同様になっている。

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つまらないところでは、可愛いキャラクター達をなぞって「消す」というのはなんなんだろうと思ったりも。爆破してみたりもする。

冷静に考えると結構恐ろしいゲームだなあとか思ったりもした。

 

医師の自殺

突然変な話になるが、医師の自殺。

今日検査のために行った病院で、睡眠時間を削っていることについて、働き過ぎは精神を病んでしまうという話をされた。

その引き合いに出されたのが医師の自殺だ。担当の医師は外科出身なのだが、親しい友人を二人自殺でなくしているという。一人は20代で。

医師の勤務状況は、科によって大きく違うが、外科や産科は特に過酷と聞く。当直で泊まり込んでほとんど睡眠時間なくもうろうとした状況で業務をこなしていると。外科だと、本来の休みの日にも出勤して、自分がメスを当てた患者を見に来るとか。年間の実質の休日が5日間とかざららしい。産科だと深夜でも呼ばれてでていくことはざら。以前産科の女医との縁談があったが、相当に過酷で、二人しかいない医師の後輩が結婚退職でやめてしまい、主任の当人はもう結婚どころではないとして縁談を断ってきたということもあった。

当直は、実務がない待機時間は労働時間と見なさなかったりするし。タイムカードの管理も実際の勤務状況を反映しないものになっていたり。

医師自身もそういっためちゃくちゃな勤務状況をあたり前だと思っていたりもする。

最近になって、「あれ、俺たちちょっとおかしいんじゃない?」という声を上げるようになったり、労基の指導が病院に行われるようになってきて、状況は変わって来つつあるようだが。海外との勤務状況や待遇の差が取りあげられることも増えてきたような気がする。同じ医者になるならアメリカなどに行った方が遙かに働きやすく、対価もよい。これについては以前みんカラの方で書いたことがある

勤務医なら、アルバイトなしでも1000~2000万円ぐらいの収入があるので、対価はそれなりのものがある。勤務の待遇も改善傾向。アルバイトは収入は1日10万円を大きく超える。勤務医でもかなりの収入になるが、開業医なら美容整形などでは3000~4000万円とかも珍しくない。今どきは自宅開業はほとんどなく自宅から離れたところに開業するので、定時に終えることが多く、急患で往診を頼まれるようなこともなくなっているようだ。昔のイメージとは随分変わりつつあるらしい。

医者のありようも様々だ。似非科学を信奉するトンデモ医師もいるし。

 

ヘルマプロディートス

自分は生物学的には男性として生まれている。機能的には間違いなく男性。

ただ、あまり筋肉はつかない体質だし、子供の頃から痩せていたのに皮下脂肪がやや多め。特にお尻が大きい。

男性の体型としてはちょっと標準的ではなさそう。

では心はと言えば、男性ではあるのだけれど、女性寄り。男性一般とは感覚があわず、どちらかというと女性の感覚に近い感じがある。知りあいも圧倒的に女性が多い。特に群れている男性がとても苦手だ。

 

だからと言って性同一性障害かというとそういうことではない。

小学校一年生ぐらいの時、NHKでルーブル美術館という番組を放送していた。そこで取りあげられていた『眠れるヘルマプロディートス』という彫像を見てはっと気付いた。これは自分だと。

ご存じの方も多いだろうが、これは両性具有のギリシャの神ヘルマプロディートスである。

Wikipediaから引用してみよう(上の写真もWikipediaからの引用)

ヘルマプロディートス古希ἙρμαφρόδιτοςHermaphrodītosラテン語Hermaphroditus)とは、ギリシア神話に登場するである。ヘルメースを父に、アプロディーテーを母に生まれた頗るつきの美少年であったが、水浴びのさなかにニュンペーサルマキス強姦され、文字通りに一つに合体して両性具有者となった。

ヘルマプロディートスの名は、両親にちなんでいるだけでなく、美しい女体をもった美少年(ヘルメースにしてなおかつアプロディーテー)という意味も持つ。また、「両性具有」「雌雄同体」を意味する “hermaphrodite” という語の語源でもある。日本語では長母音を省略してヘルマプロディトスとも表記される。

幼い頃の私は、既に自分が男性として生まれながら女性的な要素を強めに持っていることを意識していたらしい。肉体的には男性だが、精神的には両性具有的だと自分で感じていたようだ。

だからどうも男の子とはいまいちウマが合わず、幼い頃は女の子と遊ぶことが多かった。お人形遊びとかをしたかったようだ。しかし、女の子の家へ遊びに行ってもいつも男の子の人形で男の子役をさせられてつまらなかった。

しかし、自動車とか男の子のおもちゃも好きだし、心は完全に女性と言うことでは全くなかった。

時々、女の子とばかり一緒に過ごし、女の子から女の子扱いされている男の子というのがいるが、自分とは明らかに違う、と感じていた。

基本的に粗暴な男の子の集団に対する嫌悪感が強かったので、可愛くて優しい女の子と過ごすことを好み、男の子と女の子選べるとしたらどちらを選ぶと聞かれたら、女の子と答えていた。

実際には選ぶことは出来ないから、自分は男性であるものの、女性的要素が強い両性具有的な人間であると思ってきたようだ。

ただ、幼い自分は女の子の方がいいと思っていて、自分がそうであるように、男の子というのはみんな女の子になりたいのだと思い込んでいたのだ。しかし、他の男の子は全くそんなことはないと否定していた。なんで隠しているのだろうとすら思っていた。それぐらい自分にとっては選べるなら女の子になりたいという感覚はあたり前のものだったようだ。

生徒からも、お姉さんか妹がいるでしょ?とよく言われたが、うちには兄がいるだけで、唯一の女性である母親は、当時の女性としては背が高めで真っ黒い男性用自転車に乗っているような、あまり女性らしさを前面に出さない人だった。女性的要素は生まれもってのものらしい。

昔Niftyserveやインターネットでイラストを発表していた頃は、イラストや文章から女性と思われることも多かった。

 

日本でも性同一性障害が認知されるようになり、遅ればせながら法整備も進んだ。

しかし手術をしたところで生物学的ベースは男性であることは変わらず、真に女性になることは出来ないし、そこまでして女性として生きたいとも思わない。自分の心が女性そのものであると言うことはないのだから。

自分はどうもどっちつかずな存在ではあるけれど、女性をより理解できる点で存在意義はあるのだろう。

 

頑張れ!

仕事柄、いろいろな子供たちに接する。
中には精神的な虐待、教育虐待を受けているような子もいる。進学校では多いようだ。

そうした中には、希死念慮でリストカット、自殺未遂を繰り返すような子もいる。
あるいは、完全に自分の意志を失い、親の支配下でさながら親の命令に従うロボットのようになっているような子もいる。

そうした子たちの将来は、大概厳しいものになる。精神科にかかり入院をする子もいるし、自覚ないまま苦しみ続ける子もいる。

虐待をする親とされる子は、共依存と呼ばれる関係になっている。
子供は親の保護がなければ生きていけない。なんとしても親にしがみつこうとする。親はそれを利用して思うままの要求を突きつけ実行させる。子は親に依存して生きるのはあたり前であるが、親がそれを利用して意のままに支配する。子が親に親に否応なく依存することを利用して支配被支配の関係を作っているのだ。

この親は大概子が大きくなっても独立を阻もうとし、死ぬまで支配を続ける。子は独立を試行するが、共依存の人間関係しか作れず結婚に失敗し当然独立にも失敗、結局、それ見たことかという親の支配下に戻ることも多いらしい。

共依存を経験した被虐待者は、周囲の人間関係で自分がされたのと同じ共依存関係を作ろうとすることが多いらしい。自分に依存させられそうなターゲットを探し、支配下に置こうとする。
一番分かりやすいのが恋人や結婚相手だ。だらしのない、何かの問題を抱えた、あるいはミュージシャン志望などで自力では生活が成り立たない様な者を金銭面や生活上で自分に依存させ、支配してしまう。逃れられないようにして相手を縛り付ける。支配下に置くことで、虐待親がやっていたように相手を傷つけ奪うことを続ける苦しい関係になってしまう。
万が一にもまじめに働こうとしたり、夢が実現しかけてしまったら、それを阻もうとする。自分に依存させられなくなっては支配が出来なくなるからだ。
しかし、決して縁が切れることがない親子関係と違い、他人との関係は簡単に切れる。共依存の関係など必ず破綻する。

しかし、共依存という人間関係しか知らない被虐待者は、次の共依存相手を探し続ける。

また、子供をもうけても、自分がされたように子を支配し、虐待してしまうことが多い。虐待の世代間連鎖は極めて起こりやすいと言われている。

***

卒業生達の中には、この共依存を乗り越えて、幸せに生活をしている人もいる。ただし、乗り越えるのはかなりの苦しみと、それを支えるパートナーの存在あってこそだったという。

別の卒業生は、リストカットを繰り返したものの、やはりよいパートナーに支えられ、苦しい状態を乗り越え、今は子供を育てなから未来を見据えて生きている。

なかには一切に目をつぶり、自身の生きづらさの原因を見据えなんとかしようとすることなく生きている人もいる。自覚がないから治療を受けることもなく、今後もずっと生きづらさを抱えながら生きて行くことになるのだろう。

兎にも角にも、それぞれに頑張って生きているのではある。

本当は自分で自分の問題をとらえ、それを解決出来ればいいのだが、残念ながらそうも行かないようなのだ。

自分で気付き、自分自身に向き合って行くには、それなりの聡明さ、自分を分析する力を必要とするらしい。支配が強すぎたのか、一切の問題を思考停止や記憶の書き換え、感情の抑制で乗り切ろうとしてしまう人は、どうやっても自分と向き合うことができない。

きちんと自分と向き合えた人は、自分が自分が受けたような虐待をしてしまうのではないかとおびえつつも子供を育て、子供と向き合い、未来を語っている。

***

パーソナリティ障害などの精神的な問題の治療を受けるかどうかは、本人が望むかどうかだ。本人が生きづらさを自覚し、何とかしたいと思うことで、治療も可能になる。自殺未遂を繰り返したり、反社会行動などでもない限りは、強制的に治療を受けさせることは出来ない。

残念ながら、自覚を持たないまま問題のある行動を続ける人も少なくないようだ。特に他人を巻き込みやすいものに境界性パーソナリティ障害や自己愛パーソナリティ障害がある。

精神的な問題を抱え苦しんでいる人も、それを乗り越えた人も、精神障害のある人に振り回されて傷つき苦労している人達も、それを支援する人達も、みんなみんな、頑張れ、と言いたい。

 

そして、自覚ないまま苦しみを抱え、他人を巻き込み振り回してしまっているような人達には、自分自身と向き合うべく頑張れ、と。

リアルタイムチャットは苦手

 つい最近まで、Facebookのメッセンジャーはほとんど、LINEは全く使っていなかった。
 昨年秋の初めに、長年疎遠であったある人(前回の投稿の、本質的な話が出来なかったと感じた相手)から連絡をもらい、メッセンジャーでやり取りをするようになった。メッセンジャーでやや不都合を感じたので、そのうちLINEに移行した。

 だが、どうもリアルタイムチャットは慣れない。時間を束縛されたり束縛したり。また、相手の表情などが読めないので、どうしても会話がうまく成り立ちにくい。おまけに話は飛びやすいし、面倒なことをスルーされれば会話の内容はちっとも深まらないし、やたらに早寝の相手だったので寝落ちはしょっちゅうだし。かなり相手の側の特性故の問題も含んでいたが、どうも使いにくい。会話はあったが、対話はほとんどなかったという感じだった。

 割り切って短いやり取りだけに抑えてしまえばいいのかもしれないが、性に合わないと感じることが多かった。

 その後、海外の友人とメッセンジャーでやり取りするようになったが、これまた時差の問題でなかなかしんどい。
 投げておいて、そのうち返事が返ってくればいいか、という感じでいたが、結局リアルタイムでやり取りすることが増え、どうもうまくない。また、だらだらかけてしまうので、時間の使い方という点でもよくないと感じた。結局今は電子メールに切り替えている。

 ここ4ヶ月ほどリアルタイムチャットを使ってきて、電子メールの方がはるかに使いやすいと結論した。
・互いの時間の束縛は最小限ですむ。
・文章を推敲でき、言いたいことをきちんと盛り込める。必要なら行間に情報を込めることもしやすい。
・誤字が最小限になる。
等々

 やむを得ない場合を除き、メッセンジャーやLINEはなるべく使わず、あくまで主体は電子メールにしたいと思っている。

 電子メールが分からない相手はメッセンジャーでやり取りすることになるが、可能な限りリアルタイムチャットとしての使い方は避けたい。

 ちなみに、LINEは検索不可設定だし、こちらからの検索も出来ないので、よほどのことがない限り、今後誰かと繋がることはなさそうだ。
 

 
 
 

対話と会話

(みんカラからの転載)
 対話と会話は、似通っているが、意識して異なる意味に使われることが多いように感じる。
辞書(大辞林 第三版)によれば

対話
 双方向かい合って話をすること。また、その話。比喩的にも用いる。 「 -しようと努める」 「親子間の-」 「歴史との-」

会話
① 二人または数人が、互いに話したり聞いたりして、共通の話を進めること。また、その話。 「 -を交わす」
② 特に、外国語で話し合うこと。 「英-」

となっており、対話が相対する人同士のやり取りの内容に重きを置いているのに対し、会話はやり取りそのものを表すニュアンスを感じる。

 ネットでググるとやはりそうしたニュアンスでとらえてこのふたつの概念を対比させているものがある。

***

 長年疎遠だったある人から声をかけられ、以来FacebookのメッセンジャーやLINEなどでやり取りをしていた。確かにやり取りがあり、楽しいと感じたり、おかしげなプレッシャーを与えられ半ば強引に相手の意図通りのことを答えられさせられたりしたものの、ふと後から振り返ると、結局何も本質的なことを話せていなかったな、と思った。会話はあっても対話になっていなかったなと。

 たとえば、恋人同士であれば、何をやり取りしても楽しい時期があるだろう。相手を勝手に美化したり、やり取りしているという事実が感情を高めてしまったりする。しかし、気付いてみれば二人の関係、将来について話し合うわけでなく、単にやり取り、会話に酔っているに過ぎなかったりする。
 そういう時期を過ぎると、お互いの関係を前向きに進めていくための対話がはじまる。場合によってはそのあたりで別れがあるかも知れない。ともかくも、お互い相手を見詰め、相手と自分の関係をしっかり考えて、確認していくようになる。単なる会話ではなく、将来を見据えた対話になっていくのだ。

***

 会話をしても、対話が成り立たないというのは、そもそも相手のことを考えたり尊重したりしていないからなのだろう。
 初期の恋人同士の会話は、自分の脳の中にいる相手と会話しているようなもので、ほとんど相手のことなど見ていない。脳が本来の感覚を麻痺させて快感に酔いしれる状態を作ってしまっている。冷静に相手のことなど見ていない。
 それを入り口に関係が出来ていくのだから、ヒトとはそう言うものなのだろう。そうやって男女が引き合うように出来ているらしい。扁桃体やらA10神経やらが我々をそういう方向にコントロールしている。
甘い会話の快感に酔いしれる時期を過ぎると、いよいよ人間としての関係を煮詰める時期に入る。冷静に物事を考えられるようになる。
 相手を尊重しつつ、自分の思いを整理したり主張しながら、関係を作っていく。ここには対話がなければどうしようもない。
 いくら相手が自分の思うような存在ではないと思ったところで、本当にそうかどうかも対話してみなければ分からない。対話によって自分が思っていることとは違う、前向きな発見もあるかも知れない。そうして関係を成熟させていく。

 ベターハーフという言葉がある。

 本来は、1つだったものが別れて別々になった存在。それがもう一度一つになる。それが夫婦であると。
 しかし、現実にはそんなことはあり得ない。そんな都合のよい存在に出会うことなど、まずないだろう。この人こそベターハーフだと思っても、それはほとんどの場合勘違いだ。ビビッと来た人と結婚して幸せになるというのはかなり難しいだろう。
 結局、ベターハーフになるしかない。お互いの努力によってよりよき相手になっていくしかないのだ。そこでは相手を理解し、相手と対話を続けて行くしかない。
 そこにたどり着けない相手はもちろんいるし、その相手にいくら頑張ってみても仕方が無い。好きという感情と、パートナーとしてやっていけるかどうかは違う。
どうしてもうまく行かないなら、あきらめて新たな相手を探すしかない。どちらかが自分の感情だけに埋没してストーカー化しても仕方が無い。

 知りあいの中には、精神的に病んでいる時期に出会った、特段愛情をもてなかった相手と結婚し、その相手によって病んだ状態から見事に立ち直ることができた人もいる。相手の愛情と互いの努力によって救われたのだ。もちろん、本人に聡明さがあったからこそ自分を見つめ直すことが出来たわけで、本人が自覚しない限りはおそらくうまくいかなかっただろう。乗り越えるためには自分の問題に向き合う非常に苦しい時期があったと言っていた。そこを支えたのが相手の人であったわけだ。

 恋愛感情など単なる入り口に過ぎない。その向こうを見据えることが出来てこそ関係はなり立つ。

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 しかし、損得勘定や共依存を求めて相手を決めて、そのまま精神的に不幸な結婚生活を続けている人を知っているし、あっという間に関係が崩壊したような人も知っている。結局人同士をつなぎ止めるのは愛情なのだろう。
 そもそも共依存なんて、絶対に関係がなくなることがない親子関係でしか成立しない絶対的強制的支配関係だ(虐待の中で成立する異常な関係)。全くの他人との間にもとめても必ず破綻するに決まっている。
ステップアップの中でしか、関係は深められそうにない。最初から完璧な相手、完璧な関係などあろうはずがない。会話ではなく、対話の中で作り上げていくしかない。

 なんの対話もなく、ただ都合のいい相手はいないかと追い求めることは、メーテルリンクの「青い鳥」になぞらえて、俗に青い鳥症候群などという。

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 いくら会話が楽しくても、対話がなければ人間同士の関係は深まらない。
 これは男女に限らずだ。
 日本人は対話を嫌がる傾向が強い。空気を読め、察しろという。これは最近になっても変わらないし、KY(空気読めない)などとむしろ若い世代でも強く意識されるようになっている。
 その結果、ひどく議論が下手で、同調圧力の強いムラ社会ばかりがそこかしこに構成され、同調しないものは人格攻撃で貶めることがあたり前になっている。
 今や、社会一般にこういうことが広く見られるようになっている。その結果、自分たちと違うと感じるものを激しく攻撃したり、排除しようとしたり、言葉で貶めたりする。

 日本のメディアだけ見ても気がつきにくいが、日本は国際的に孤立しようとし、経済的には完全に取り残されている。今や中国の遙か後で、なにかと下に見てきた韓国の後塵を拝する状態になっている。

 この日本の現状は、自分たちの価値観に閉じこもり、その場限りの会話ばかりを重視し、かんじんの対話のなさに起因しているように思われるのだが。