BPDに特徴的と言える「見捨てられ不安」が、共依存とも関係が深いという話を引用する。例によってBPD家族会のログから。
見捨てられ不安の本質?
bpdfamily (2011年9月10日 08:50)
BPDの根源に他の人より特に強い見捨てられ不安があると言われています。
ASK選書14に「苦しさの一番奥にあるのは見捨てられ不安だった」というブックレットがありますが、その中で、臨床心理士の遠藤優子さんはユニークな観点から、見捨てられ不安をとりあげられています。そうなんだろうなあとも感じます。以下は遠藤さんの文章の要約です。
見捨てられ不安とは人間間関係の問題ではありません。これは自己愛の問題です。見捨てられ不安は存在の不安として自覚されます。自分はここにいてもいいのだろうかという不安です。このような自己肯定の問題があるために、ここにいても大丈夫だという承認欲求が生まれます。大事にして欲しい、愛して欲しいという欲求です。
やっかいなことにこの欲求は決して言葉では表現されません。「私を認めて欲しい」「大事にして欲しい」と自分から頼んだとしたら、頼んだものが得られてもちっとも満たされないからです。
「こうして欲しい」と一切表現せず、相手が自ずから気づいてくれて、相手自身の願望で大事にしてくれたり、愛してくれるのでなければ意味がないのです。
しかし、どうして欲しいか言葉にしなければわかりません。「言わずに察して満たして欲しい」という承認欲求が強くなればなるほど、見捨てられ不安も強くなります。さらに、相手は自分の欲求に応えてくれずに見捨てるにちがいないという予期不安まで出てきます。しかし、こんな欲求に応えられる相手なんて現実にはあり得ないわけです。
例えば、摂食障害は「弱さを表現していい病気だ」と言われています。何らかの形で「私を愛して」「私を認めて」と表現するのです。
見捨てられ不安が人間関係の問題というよりも、本人の自己愛の問題だとすると、どうすればよいか。それはその瞬間瞬間に自分に向けられた承認や愛情を本人が受け止められるようにすることです。例えば、誰かがにっこり笑ってあいさつしてくれたとか、誰かがその服素敵だねと声をかけてくれたとか。些細なことでもそれがたまっていけば「この世界もなかなかいいものだ。自分もこの世界に受け入れられているようだ」という感覚が養われていきます。
以上が遠藤さんの文章です。
よく、心理学の本なんかに赤ちゃんとお母さんの関係が出てきます。小さい頃は遊びに夢中になってしまい、気づいたらお母さん(絶対的な安心・安全な対象)が近くにいないで、どこかに行ってしまった状況を認識すると、赤ちゃんは必死に泣き叫ぶ。しかし、ある程度大きくなって、「心の中にお母さん」ができてくると、たまにいなくなっても混乱しなくなる。さらに安全基地が家にあると、外にでかけて他の人に接するという冒険もできてくる。何かあったら泣きながら家に帰ってきて、お母さんに抱っこしてもらう。こんなことを繰り返しながらだんだん、親との距離をとりながら自立していく。そのうち、親に代わる安心・安全対象(恋人)を見つけ、そこがその人の安全基地になるということかなと思います。
BPDの人は言わないでもわかって欲しいではなく、やはり口に出して言う練習、相手の方はBPDの人が言いやすい環境作り(正論を言うのではなく、まずは聴く)によって、問題行動(リストカット等)を減らすことができるような感じもします。
相手自身の意志によって愛されたいという欲求を持ち、それを自分が表現することなく満たされることを望む。しかし表現しないから、見捨てられるのではないかという不安も大きくなる。そんな一人相撲をしているのがBPDだと。
ここにはないが、一方で好きだと言われてもその気持ちを疑うのもBPDだ。「自分が本当に好かれるはずがない、今はそんなことを言っていても本心ではなく、いずれ見捨てられるのではないか、何か他の狙いがあるのではないか」そういう猜疑心に埋もれていくのだろう。そして相手が降参して離れていくまで相手の愛を試し続ける。
結局は自分という存在に全く自信が持てないからそう思うのだし、それは虐待などの生育歴によるところが大きいだろう。
BPDの人自身がきちんと自分の思いを口に出せて伝えられることがとても大切なはずで、それができるようにして行くことが課題なのだとは、指摘の通りだと思う。
アダルトチルドレン(AC)にみられる共依存も見捨てられ不安によるという。アダルトチルドレンは虐待など機能不全家族に育った人のことで、様々な問題を抱えているが、特徴的なものに共依存がある。アダルトチルドレンは、精神科では症状から診断名を与えられることがあり、BPDもその一つだ。
共依存も見捨てられ不安から
bpdfamily (2011年9月10日 21:53)
引続き、臨床心理士の遠藤さんは「見捨てられ不安」について以下のように書いています。
「共依存(2者が依存しあう関係)は、見捨てられ不安に何重ものひねりが入っています。実は自分が切実に求めているもの(世話されたい、愛されたい、甘えたい)を相手に与え、相手に必要とされることで自分の存在の承認を得ようとするのです。だから相手に自立されると困ります。自立できない人が自分のそばにいてくれないと困るのです。私はこれを「自己愛的な他利主義」と呼んでいます。見捨てられ不安はしばしば利他主義の仮面をつけています。本当は誰かから「私を大事にして」と言って欲しいのに、そうではなく、「私はあなたのためを思ってやっている」なんていう(子どもからすれば恩着せがましい)表現を使ってくる。
子離れできない親、自分の思い通りにならないと怒り出すカウンセラー(こんなにしてあげたのにみたいな)、みんな「自己愛的な他利主義」であり、見捨てられ不安があるということでしょうか。
子どもの見捨てられ不安は実は親の見捨てられ不安を反映した場合もありますね。心配症の親は見ていられないので、子供が危うくなると先回りして子どもの手助けをしてしまう。すると子どもは困難へのスキルが獲得できないので教科書を相手にした勉強はできるけれども、変幻自在に変化する生身の人間がひしめき合う社会に出て失敗する(たいていBPDの人は社会に出て失敗する)。もどってきた子どもに対してやはり私がいないとこの子はだめだという理屈をつけて自立できない子どもを作って、子どものひきこもりが始まる。子どもは子どもで同世代の人たちが華々しくがんばっているのを見て、こんな自分にしたのは親のせいだといよいよBPD化する。
少し趣旨の違う部分で興味を持った。
アダルトチルドレンは、社会に出たり結婚で失敗することが多く、そこで戻ってきた子を親が囲い込んでしまい、親が死ぬまで自立の機会を失うことが見られるようだ。
結婚などを通じて反抗・独立を試行していた場合、その失敗は親の正統性・支配を認めるものになるかもしれない。その結果、子供時代同様の親による共依存の関係に再度はまり込むことになるのかもしれない。
親の見捨てられ不安が共依存関係を作り、その中で自己愛を確立できず、子も見捨てられ不安から他人との共依存関係を作ろうとする。
共依存はBPDのパートナーがもっていることが多い傾向(おそらくBPDの人がそういう相手を選んで依存している)だが、見捨てられ不安から来るならば、BPD傾向のある人も共依存傾向をもっていて不思議はないと思える。BPDを自認する人が自分の共依存傾向に言及していることもある。
