今振り返るBPD

BPDと思われる彼女について、彼女から離れて随分時間が経った。今思い出しても普通の人にはあり得ないような心の動き、変化、行動だったとつくづく思う。

自傷行動やそれを見せつけるような行為はなかったが(以前の職場の若い同僚は、リストカットし、その傷口を見せつけられたという)、ひたすら一貫せず支離滅裂とも言うべき思考と言動、突発的な激しい怒りの感情の表出、サディスティックな言動、愛情を希求する感情、しかし愛情がわからない故の愛情のモノマネ的行動等、普通の人にはないBPD特有の症状を間近に見ることになった。

解離性同一性障害を疑うような人格変化、些細なことでも屈服するまで怒り続ける異常性(家電や家具の些細な不具合で販売店の責任者を自宅に呼びつけるほどに怒る…同様な行動はかつての配偶者など多くの人にも繰り返された様子)は極めて目立ったし、愛情の伴わない多くの性行動、それに相反する性的快感への罪悪感? など矛盾のある行動・感情の目立った。

何故か自分から解離症状、記憶がおぼろげで思い出しにくい自分の過去、異常な日常の眠気と夜間の不眠などのBPDに見られる症状を自ら語ったりする一方で、自分は異常ではないと主張したりもする。精神科医である自分の知識に基づけば、自分がどのような状態であるか判断が付きそうなものだが、彼女の中でそれがどのように理解されているのかよくわからなかった。

当時BPDに関するものをいろいろとみて、症状としてあてはまるとかあてはまらないとか思ったものだが、今の視点で振り返ると、概ねあてはまるように思う。

時間が経ち、自分自身も細部の差異ではなく大きな特徴をいるなど、捉え方が変わってきたのだろう。

以下はMSDマニュアル家庭版のBPDのページからの引用。

 

境界性パーソナリティ障害の症状

境界性パーソナリティ障害の患者は、しばしば内心で感じているより安定しているようにみえます。

見捨てられることへの恐れ

境界性パーソナリティ障害の患者は見捨てられることを恐れますが、その理由の1つは孤独になりたくないからです。患者はときに自分がまったく存在しないように感じることがあり、これは自分を気づかってくれる他者がいない場合によくみられます。しばしば自分の内面を空虚に感じます。

この障害の患者は、見捨てられそうだと感じると一般に恐れを抱き、怒ります。例えば、自分にとって重要な人が約束に数分遅れたり、約束をキャンセルしたりするとパニック状態に陥ったり、激怒したりすることがあります。患者はこのような間違いが、自分とは関係のない事情ではなく、自分について相手がどのよう感じているかが原因であるとみなします。患者は約束がキャンセルされたのは、相手が自分を拒絶しており、自分が悪いからだと考えることがあります。その反応の強さは、患者の拒絶に対する敏感さを反映しています。

境界性パーソナリティ障害の患者は他者に共感し、思いやりをもつことができますが、それは必要な場合には相手が必ずそばにいると感じる場合に限られます。患者は親密な対人関係や他者への思いやりを望みますが、彼らにとっては安定した人間関係を維持することは困難です。患者は自分が親密に感じている相手がどのように振る舞うべきかについて非常に高い期待を抱いていることが多く、人間関係に関する感じ方が急激に、大きく変動することがあります。

怒り

境界性パーソナリティ障害の患者は自分の怒りをコントロールすることに困難があり、不適切で強い怒りを生じることがよくあります。患者は自分の怒りを痛烈な皮肉、嫌味、または怒りのこもった痛烈な批判で表現することがあります。無視されたり、見捨てられたりしたと感じることから、患者の怒りはしばしば親しい友人、恋人、家族、ときには医師に対して向けられます。

そのような怒りの爆発の後、患者はしばしば恥ずかしさや罪悪感を覚え、自分が悪い人間であるという感じ方を強めます。

変わりやすさ

境界性パーソナリティ障害の患者は、他者に対する見方を急激かつ劇的に変える傾向があります。例えば、関係の早期には、患者は相手を理想化し、多くの時間を一緒に過ごし、あらゆるものを共有します。突然、患者は相手が十分に気づかってくれないと感じ、幻滅します。そして相手をけなしたり、相手に怒ったりすることがあります。

あるときには愛情を強く求めていたのに、次の瞬間には不当な扱いを受けたことについて当然のごとく怒ることがあります。患者の態度は、他者が付き合ってくれる可能性と他者からの支えに対する患者の捉え方に基づいて変動します。支えられていると感じているときは無防備で、愛情を強く求めるけれども、脅かされたり、失望を感じさせられたりすると、怒りを抱き、他者を低く評価することがあります。

境界性パーソナリティ障害の患者は自己像も突然、劇的に変えることがあり、自分の目標、価値観、意見、職業、または友人を突然変えることで示されます。

気分の変化は通常数時間しか続かず、数日以上続くことはまれです。気分が変化するのは、この病気の患者が、人間関係での拒絶や批判の徴候に非常に敏感なためである可能性があります。

衝動的行動と自傷

境界性パーソナリティ障害患者の多くは衝動的に行動し、しばしば自傷行為に至ります。患者は賭け事や安全ではない性行為をしたり、過食や浪費、危険運転に走ったりするほか、物質使用障害を抱える場合があります。

自殺企図や自殺のほのめかし、また 自傷行為(例えば、自分の体を切ったり、焼いたりする)などの 自殺関連行動が非常によくみられます。このような自己破壊的行為の多くは死ぬことを意図したものではありませんが、このような患者では自殺リスクが一般集団より40倍高くなります。境界性パーソナリティ障害の患者のおよそ8~10%が自殺により死亡します。このような自己破壊的行為は、しばしば近しい人により拒絶されたこと、見捨てられたという思い込み、または近しい人への失望により引き起こされます。また患者は、自分が悪い人間であるという感情を表現するため、または自分が現実のものではないと感じたり、自分から切り離されていると感じたりする(解離といいます)場合に感じる能力を取り戻すために、自傷行為を行っている可能性があります。境界性パーソナリティ障害の患者はときに、苦痛な感情から気をそらすために自傷行為を行うことがあります。

その他の症状

境界性パーソナリティ障害の患者は、他者から自分が苦闘しているとみられるように、目標を達成しそうになったときに自らだめにすることがしばしばあります。例えば、卒業の直前に学校を退学したり、うまくいきそうな人間関係をだめにしたりすることがあります。

極度のストレスを感じると、短期的に妄想や精神病に似た症状(幻覚など)、解離の症状が現れることがあります。そのストレスは、通常は誰も自分を気遣ってくれないという感情(すなわち、見捨てられて孤独になった感情)や打ちひしがれた、無価値であるという感情により引き起こされます。 解離が起きると、現実感が感じられなくなったり(現実感消失といいます)、自分の体や思考から切り離された感覚がします(離人感といいます)。このような症状は一時的なものであり、通常は別個の病気と考えられるほど重度のものではありません。

 

思い起こすと

 思い起こしてみると、過去に関わりのあった女性に、境界性パーソナリティ障害や自己愛性パーソナリティ障害の傾向ある人が幾人かいたように思う。
 ある、それなりに社会適応して生きている人でもよく考えてみるとものすごい白黒思考があった。
 絶賛していたかと思えばちょっとしたことをきっかけにこき下ろし始めることを繰り返している。人間関係を自ら破壊にかかる。 そして自分に合う相手を捜し求めている。このあたりはかなり境界性的だ。既婚者で、離婚をする気などなく、恋愛感情的ではない部分、音楽活動的な部分を中心に満たされることを望み続けている様子ではあるが。
 自分が称賛されることを求め、そのために活動する。その一環で自分が育てる地域の子供たちにスポットライトが当たっても自分にスポットライトが当たらないという状況は許せないらしく、その機会を破壊してしまったり。このあたり自己愛性的。

 境界性と自己愛性は近いらしく、両方の傾向をもつことはあるだろう。

 程度の問題ではあるけれど、境界性や自己愛性傾向の人はそれなりにいて、彼らは他人を巻き込むのでトラブルメーカーである。

 では、普通の人とは何なのか。病的と言えるかどうかの境界はどこにあるのか。

 そもそもパーソナリティ障害は統合失調症などの精神疾患よりも軽度であるという前提である(パーソナリティの著しい偏りと扱う)。

 結局境界を明確にすることは困難で、社会適応出来ないレベルで対人関係に問題を抱える場合には、何らかの対処をした方がいいだろうということになっているようだ。

 もっとも病識がないか薄いので、自分から治療を求めることは少なめ。特に自己愛性はほぼ無さそうであるし、治療の方法もあまり明確ではない。

 境界性には弁証法的行動療法が良い成績を上げていると言うが、それでも必ずそうだと言うことでもなく、これまであまり重視されてこなかったトラウマを治療の対象とすることでうまく行くケースもあるらしい。

 自分は自傷を繰り返して試し行為をする破壊的なパーソナリティ障害の人とは直接関わったわけではないが、性格や教員という職業もあって精神に問題を抱えた人に執着されやすい。ターゲットになることで自分の精神を侵食されやすいとも言えるので、対人関係に注意を要するのだろう。

 そんなことなので、自分はあまり人と接しない方がいいのかも知れない。もともと他人に執着する傾向は弱いので、それでいいのかもしれない、などと最近思う。

 

 

愛する人がBPDだった人へ

 自分の経験から言えば、可能な限り早くすっぱり縁を切る努力をした方がいいと思います。

 大変不幸なことに、彼らには愛情が理解できないようです。
 どれほど多くの愛情を注いでも彼らは満たされることなく、空虚な自分を満たすことを要求し続けます。

 彼らはこの人が自分を満たそうとしているのかどうか、テストし続けます。相手が嫌がることをし、相手が傷つくことを重ねてなお、自分を満たし続けようとするのかどうかをテストします。
 それにパスし続けたところで結局は確信が持てないのでテストをし続けます。常に不安で愛情が分からないので、愛情を注がれているという確信も持てないのでしょう。

 あげくに、こんな自分にとらわれているなんてこの人は何かがおかしいと思い、不安と嫌悪にとらわれて突然縁を切ってきたりします。

 あなたが愛した相手は、本当は実在しません。
 あなたをとり込むために、あなたの欲求を満たしたり、同情を買うために見せた『特別な』姿でしかありません。
 その人が戻ってくることはありません。実際に存在しているのは目の前の理解不能なその人なのです。

 あなたが感じたかも知れない愛情も、実在のものではないのです。

 それでもあなたが離れたくないと思うのであれば、それはもうあなたが病気の域に達しているからです。

 醜いカエルにキスをしたら王子に戻るような話は現実には存在しないのです。
 愛し続けていればいつか幸せにできるという願望も満たされることは非常に難しいのです。

 映画や小説は現実ではありません。

 相手はあなたを決して尊重しようとはしません。かつてそのような行動が見られたとしてもそれは演技に過ぎません。
 尊重しあえない関係からは幸福な関係は生まれません。

 あなたが幸せでいたいと思うのであれば、相手は選ばなければなりません。健全な精神の持ち主を探すべきです。

 自分は愛されずとも愛する相手のために尽くしたいと思うのであれば、どんなに心と体を傷つけられても愛されることがないことに苦しんでも、それを受け入れて奴隷のように尽くし続けるしかありません。その向こうに幸せが待っているなどとは考えないことです。そんなことはかなり期待できないことですから。

 とり込まれた結果自殺する人もいるということは、理解しておくべきです。

 

BPDについて振り返ってみる

こちらでは大変ご無沙汰。

BPDについて振り返ってみたいと思った。

自分と接触のあった人やネットで拝見する方のご様子などから、思うことなど。

・彼らはターゲットに対して冷徹
 彼らは子供時代に親から虐待を受けていることが多く、被害を最小にする為、その虐待する親の言動をよく観察してきたため、相手の考えていることや感情の動きなどを読み取ることに長けている傾向が強い。同時に、相手の精神の歪みなどを読み取ることにも長けている。同類を見いだすことにも長けているわけだ。面倒見のいい人、責任感の強い人、心に闇があり、依存相手を求めている人などを見抜きやすい。

 しかし、彼らは他人に寄り添うことができない。基本的に自分でもよく分からない【愛情】というものを相手に要求するが、それを確かめる為、相手を傷つけたり、自傷に対する反応を見たりする。すさまじいこころの読み取り能力で弱い部分も見抜いていて、トコトン傷口をえぐろうとする。とんでもないサディストだ。

 彼らはそれしか方法を知らないのだ。愛情が理解できず確証が持てないので、試しつづけることしかできない。しかしどれだけ試しても確証が得られないので満足はしない。
 彼らは他人を認め、寄り添い、共感する感覚が理解できないらしい。
 豊かな感情(特に愛情や喜び)がそもそもないらしい。その代替が性などの刹那的快感になってしまう。

 オキシトシンが少ないという彼らは、基本的に他人への愛着が湧きにくいようだ。

・ターゲットを自分に依存させようとする
 これは人によるかもしれないが、自分が関わった相手については、明らかにこれがあった。
 私自身が虐待を受けて育っているが、彼女は明らかにそれを読み取り、自分に甘えさせ、依存させようとしていた。ただ、それが昔の私であり、今の私はかなりそうした過去を克服(完全ではない)していた為に、かなり当てが外れたようだ。
 共依存の関係に持ちこんで、自分から離れられないようにしながら自分が理解できない愛情をむさぼろうとしていた。しかし、どれだけ愛情を傾けられようがそれが愛情であることが分からない。無限の奉仕を要求するのが彼らだ。

・不安、怒りに飲み込まれる
 彼らは、何かをきっかけに不安に飲み込まれ、怒りの感情で爆発する。セロトニンが少なく、季節的(日照時間が減る冬季の)なうつ要因もありそうだ。
 それは、他人のちょっとした言動がきっかけであることもあるし、自分の内側から来る何かであることもあるようだ。しかし、ほとんどの場合、他人が悪いわけではなく、本人の内側の問題だ。特定の相手との関係がある程度できると、まもなく怒りや不安の感情の嵐に飲み込まれ、その怒りを相手に向ける。それまで愛情をアピールする行動していたところから突然別人のようになる。人によっては別人格になっている可能性もある(解離性同一性障害)。
 相手からすれば全く理解不能だ。何が理由かも分からない。全く理不尽でしかない。

 この時点でおかしいと思って離れるのが、恐らく正しい行動だ。離れられないのは既に共依存状態に陥っている為であろう。
 何とかしてあげたいと思うのは人として正しいが、BPDはそんな生やさしいものではない。遺伝的背景のある後天的脳発達障害であって、【普通】になることは望めない。治療がうまく言っても比較的無難に社会生活が営める程度に落ち着く程度でしかない。そうした人と添い遂げたいのであれば構わないが、相当に心をズタズタにされながら生きることになる。それでも満足できるような、自己満足に浸れる人でないと一生を棒に振りかねない。
 BPDだった人とうまく行ったケースが精神科医によって挙げられていることがあるが、相当なレアケースに思われるし、本当にBPDだったのかどうかすら疑問に思う。双極性障害などの誤診だった可能性もあるのだ(この誤診はかなり多いらしい)。

 
・対象を乗り換えることにためらいはないらしい
 もともと特定の相手に対する愛情が極めて希薄で、その意味では執着がある訳ではないように見える。
 利用できる相手として執着し続けるケースはあるが、どんなに愛情があるかのように装った行動があったとしてもそれはイミテーションなので、愛情があると期待することは大間違いだ。
 だから、もういらないと思えばすぐにはなれていくし、別の誰かに近付く為に、過去の相手を悪者に仕立て上げることにも何のためらいもない。彼らの常套手段だ。

 おそらく、彼らが自分の中に見つける「愛情」と思うものは、単なる自己欺瞞なのではないかと思う。
 それほどに、彼らには愛情がそもそも存在しないし理解できない。愛情に伴う執着は存在しない。しがみつきは、愛情とは別の理由から起こるように思われる。

・愛情に飢えるが性的関係は単なる手段?
 彼らは明確な愛情を持たないので、愛情のあるフリをするが、それに至る過程が存在することもよく分からないらしい。そうした行動をとることで相手をコントロールできると思っているし、実際できてしまう。出会ってから一足飛びでそうした関係になるよう仕向ける。
 ごく短期間で体の関係に持ちこむことは彼らには普通だが、その不自然さを相手は感じつつもそれを相手の愛情・情熱・運命の相手だと思い込むことで疑念を晴らしてしまったりする。そのために執着が起こりやすい。
 愛情を求めているが何があってもその欲求は満たされることがない。性的関係は単なる相手との関係を煮詰める手段と刹那的な快感や精神的安定を得る手段で、愛情とは関係がない。言ってみれば誰でもいい。
 こうした性に対する意識は、時に性的関係だけを求める相手に利用されたりもする。【メンヘラを狙う】男たちは確実に存在する。

 

自己愛性パーソナリティ障害

自己愛性パーソナリティ障害の症状
人より優れていると信じている
権力、成功、自己の魅力について空想を巡らす
業績や才能を誇張する
絶え間ない賛美と称賛を期待する
自分は特別であると信じており、その信念に従って行動する
人の感情や感覚を認識しそこなう
人が自分のアイデアや計画に従うことを期待する
人を利用する
劣っていると感じた人々に高慢な態度をとる
嫉妬されていると思い込む
他人を嫉妬する
多くの人間関係においてトラブルが見られる
非現実的な目標を定める
容易に傷つき、拒否されたと感じる
脆く崩れやすい自尊心を抱えている
感傷的にならず、冷淡な人物であるように見える
Wikipedia

 自己愛性パーソナリティ障害の人は、本当に対応が難しい。
 高校生でその可能性の高いものをみたことがあるが、周囲を暴力で従え、何かと自己の属性を他人の口を通じて誇り、僅かでも自分が尊重されていないと感じると激高するのだった。そのため、周囲から腫れ物に触るような対応をされており、横暴に振る舞い続けていた。
 教師に認められないと言うことは天地がひっくり返るほどの大事件であるらしく、横暴な行いを咎められ、人を尊重しない振る舞いは将来社会で相手にされなくなりうることを示唆されると机を倒し、激高して詰め寄り、その後の定期テストでは一切回答せず0点を取った。
 そこまでしてでも自己の存在を最大に尊重されずにはおれない。

 自分を認められたい自己愛性パーソナリティ障害と、自分の穴を埋めて欲しい境界性パーソナリティ障害は引き合ってしまうが故に最悪の組み合わせになる。
 境界性パーソナリティ障害は初期に相手を理想化し、褒め称え、尽くす行動を取る。これが自己愛性パーソナリティの自己愛を大いに満たす。しかしそれは長続きせず、こき降ろしと暴力的な対応に転換するので破綻する。このカップルのうち自己愛性パーソナリティ障害のものが初期状態への回帰を望み執着してカウンセラーに相談をするようなケースもよくあるらしい。

 境界性パーソナリティ障害らしい相手に執着してしまう人は、自分が共依存に陥っていないかだけでなく、自己愛を満たすために初期の虚像に執着していないかをチェックする必要があるように思われる。

 愛するというのは、多分に自己愛を満たそうとする自己陶酔行為であることがある。相手を尊重できなければ単なる自己愛と言っていいかもしれない。自己愛性パーソナリティ障害と境界性パーソナリティ障害は共に他人を自分のために利用しようとする傾向が強く、自分の最大の尊重を求めながら相手を尊重することが非常に難しいパーソナリティの持ち主と言える。互いに尊重しあえる人間関係の構築は極めて困難と言える。
 トラブルメイカーであり、出来るだけ避けたい相手と言えるが、医師、看護婦、教師、同僚や上司など職業柄対応を得ざるを得ない人達は、難しい対応を迫られる。
 もしそういう人を愛してしまったのであれば、自分が何故その人を愛したのか、どんな部分に引かれているのかをなるべく冷静に分析すべきである(が、それが難しいのが恋愛による執着なのであるが)。そこには共依存や自己愛の問題が隠れていそうだ。
 
 

 

自分の状態とBPDに対する今の考え

BPD、解離性障害の疑いがある女性に振り回され、苦しい思いをし、縁が切れてから丸1年が過ぎた。

今思うと、なぜあれほど彼女にとらわれたのかよく分からないぐらい、とらえ方が変わっている。

自分の諸事情が関与した部分があるし、彼女とは20年以上前の関係が関わっているという事情もある。あの時に周囲に阻まれて十分な援助を出来なかったためにここまで病ませてしまったという悔しさもあった。しかし、BPDにありがちな不幸話を使った誘惑があったのも間違いない。

心の動きが常人と明らかに違ってブツ切れで、口調や声の変化を伴い、人格交代に近いものを感じることもたびたびで、解離性同一性障害に近い特定不能の解離性障害を疑わせた。

過去の記憶が曖昧で、10時間近く寝て、いつも眠い過眠状態。ときどきごく短時間だが意識を失うような状態になるともいっていた。

取るに足らないようなことで店員に激高することが何度もあったらしく、これもBPDにありがちなことでもある。

極めて関係性が良好になったと思えたある頃から精神的に不安定になり、何の説明もなく突然全く違う態度、言動になり、接触を避けるようになった。

この唐突な変化は20数年前にも起こっていた。その時は周囲に異常な人が多く、彼らにのせられる形ではあったが、突然感情が反転し、身に覚えのないすさまじい憎しみをぶつけて来て接触を断たれたことは理解を超えていた。その後何年も憎しみ続けていたようだ。

20数年後の彼女は、私に恋愛感情を持っていたことも、その後の憎しみのことも覚えていなかったらしい。ただ、再会したときには当時の子供っぽい恋愛感情を再生するような言動だった。この言動はこの時だけで、その後は全く違う言動に切り替わっていた。

学生時代の彼女はすでに教育虐待による問題を抱えていることが明らかな状態で、すでにBPDの芽はあったように思う。その後の彼女は共依存状態をつくって親の反対を振り切って子供を作って結婚し、早晩別居、すぐ別な子持ち男性と共依存の同棲生活にはいり、また別れている。また、学生時代から感情の伴わない性的関係を数多く結んでいたらしい。

彼女は私に何を求めていたのだろう。BPDの人は自分が抱える穴を埋めてくれる相手を欲し続ける。その穴は大概埋まることがなく、何とか埋めたいと相手を変え続けようとすることもよくある。

心を満たしたい、体を満たしたい、彼女の場合はその一方でそれに対する強烈な禁忌を発動させたりもする。何もかもが一貫しない。本人も何がなんだか分からないバラバラな状態であるように感じた。

自分に課せられた禁忌を、全て他人のせいにして自分が望んだことではないという建前で実行してしまうという狡猾さも。

異常に精神性が幼く、会話をしても対話が成り立たない。自己の間違いを認めず誤魔化し、事実の方を曲げてしまう。

特定の人と真に親密な関係を築けない、内面がいくつもの要素を統合できずバラバラで不安定、過去も現在も霧がかかったように不明瞭で、常に不安と不満を抱えている。そんなように見えた。

彼女を虐待していた彼女の母親も明らかに病的で、遺伝的要素も疑われる。ただ、彼女には虐待を受けていたという自覚が乏しく、かつて強く反発していた時代があったことと今ひとつ重ならない。精神医療では親の受容を求めることが多いので、様々な理由付けをして仕方が無いことなんだと受け入れているように見えた。だが、その一方であきらかな反感、憎しみも併せ持っているように見え、受容しているのではなく、感情を押しつぶしているだけで、虐待の延長線上でしかないように見えた。

それと関連するのが、記憶の忘却と記憶の操作で、自己を縛る禁忌に触れること、都合の悪いこと、認めたくないことは古いことから新しいことまで忘却したり、記憶を書き換えたりもする。当然言動は矛盾だらけになるが、自分で解決がつかないのでその解決として思考停止して乗り切るようだ。

精神医学の専門知識があり、自己の病識もあるようだが、それを正面から認めずに生きているらしい。

 

こう言う人が、ごく普通の心の動きをもてるようになるようにはおもいがたい。精神医療は寛解を目指すものであるから、社会生活を営める程度にうまくやれるようになればいいことになる。しかし、BPDは特定の相手との間に問題を起こすものであって、高機能型なら社会生活は問題なく出来てしまうことも多い。しかも病識は薄く、自分から精神科の門を叩くことも希だ。

治療を受けることなく問題を起こし続けやすいし、治療を受けても、認知行動療法で本質が変わるわけでもない。

彼らの恋愛行動様なものは、自分にはとても恋愛感情によるものとはとらえられない。彼らに恋愛感情を持っても、相手から普通の愛情を向けてもらえるようになるとも思えない。彼らはもっと別な、かつて親子間で得ることができなかった未熟な感情にとらわれ続けているように見えるのだ。あまりにも未成熟な彼らと、成熟した相手を尊重し合う関係を築くことは相当困難に思える。

 

彼らを愛するというのは、無償の愛を与え続けることになるのだろう。執着をされても愛情は得られない、そんな関係になるのが限界である気がする。

彼らにとらわれのは、一時期見せる彼らの理想的な姿が取り戻せると思ってしまうためだろう。だが、それはおそらく困難だ。彼らの精神性は執着、依存、理想化などに基づいた特殊なもので、普通の恋愛感情があるかどうかもあやしい。理想に見えた姿は、彼らが懸命に見せている虚像だと思った方がいい。いくら懸命であったとしても、相手に合わせて作りだしたものであるから、それを求め続けるのは無理がある。

 

追記:
 極めて関係が良好になったと感じられた後、精神的な不安定さが現れたと思ったら、次には態度が激変したのだが、激変については私がLINEした一言が【見捨てられ不安】を引き起こした可能性がある。これをきっかけに二極思考で負の感情が支配するようになったのではないか。あの一言が悔やまれる。
 しかし、それも時間の問題で、あの時の一言がなくても、他のきっかけで同じことが起きたように思われる。

PTSDを軽くする

先日投稿した、アカウント放棄状態になってしまった方は、状態がやや上向いたようで、再度ツイートをはじめ、プロフィール画像なども真っ暗な、何かが写っているが判別しがたいものから、以前のものに戻している。

精神を患われている方は、何かのきっかけで不安に襲われたり混乱したり、怒りや悲しみなどの感情の嵐に見舞われたりすることがあるようだ。

そのきっかけはごく些細なことや自分自身の妄想であることもあり、BPDはそういう事が起こりやすいようだ。トラウマとなったことを生々しき想起するPTSDのフラッシュバックも、何気ないきっかけでも突然起きてしまうようだ。

こうした方自身も、それを支える人も、本当につらく苦しい思いをすることになる。

以下、Royal College of Psychiatrists PTSDの項からの引用。

どうしたらPTSDを軽くできますか?

本人ができること

したほうがいいこと
・できるだけ普段どおりに過ごす
・普段の生活に戻る
・信頼できる人に外傷体験について話してみる
・リラックスするためのエクササイズをやってみる
・仕事に復帰する
・規則正しい食事と運動を心がける
・外傷体験をした場所へもう一度行く
・家族や友人と共に過ごす
・集中力が低下しているので運転には気をつける
・事故を起こしやすいのでいつも注意して行動する
・医師に相談する
・回復すると信じる

しないほうがいいこと
・自分を責める – PTSDの症状は精神的な弱さを意味するものではありません。恐ろしい体験に対する正常な反応であり、誰にでも起こりうる症状です
・感情を抑えこむ。PTSDは治療がうまくいくことが多いので、症状を自分ひとりで抱え込まないようにしましょう
・外傷体験の話を避ける
・当時の記憶がすぐになくなると期待する: 記憶はしばらくの間、続くことが考えられます
・自分に期待しすぎる。外傷体験に適応している間は、気楽に過ごしましょう
・人を避ける
・アルコールやコーヒー、タバコ等を過剰に摂る
・過労になる
・食事を抜く
・ひとりで休暇を過ごす

回復を妨げる要因はなんですか?
他の人たちが外傷体験を経験したあなたに対して、以下のような行動をとるかもしれません:
・外傷体験の話をさせない
・あなたを避ける
・怒り出す
・精神的に弱いとみなす
・あなたのことを責める

彼らは自分が、恐ろしくぞっとするような体験について考えずにすむよう、保身のために上記のような行動をするのです。しかし、これでは外傷体験者にとってなんの助けにもなりません。外傷体験を話すことはただでさえ困難であるのに、これでは話すことで乗り越える機会をなくしてしまいます。

外傷体験によって、当人は放心状態になり、その状況を現実とは思えないような混乱したものだと感じます。しかし、当時の出来事を思い出せず、言葉で表現できず、また理解できないままでは外傷体験に適応するのは困難です。

Royal College of Psychiatrists
(心的)外傷後ストレス障害Post Traumatic Stress Disorder(PTSD)

BPDから逃れられないのはマインドコントロール

BPDは、人を操作するのが巧みだ。

魅惑的で親しみに満ちた行動と開けっぴろげな不幸な過去の告白などでターゲットの心に入り込む。

周囲にターゲットとなる人物の誹謗中傷をまき散らし、孤立させて、自分を唯一の味方に思わせようとする。

ターゲットを自分に依存させる目的だけとは限らず、ターゲットを換えたときに、新ターゲットに近付きために旧ターゲットの誹謗中傷をすることもある。

精神科への入院でも、特定の医師なりカウンセラーなり看護師なりに取り入ろうとして、孤立させようと誹謗中傷をすることがよくあると言われる。だからこそ医療関係者は互いに親しく情報交換をしておいて、患者に惑わされないようによほど気を付ける必要がある。

BPDには対人操作が非常に多い。

 

ターゲットは、BPDには自分が付いていないといけないと思わされてしまう。そのために現実に苦しい想いをしても、【見捨ててしまう】ことを避けようとして離れられないことも多い。また、離れたあとも見捨ててしまったときに病むことも多い。それほどまでに心を操作されてしまうのだ。

BPDと離婚した人の投稿を引用する。

離婚から1年ほど経った頃、このBPDに詳しい友人と会った時にこの話しになった。
俺が
「相手が誰であろうとも人との別れは寂しいモノだが今回の件は+α結果的に見捨ててしまった様で
かわいそうと言う気持ちが強く自分の方に加害者意識を時折感じる事が・・・」
と話したところ、
知人いわく
「+αの部分って言うのはまだBPDのヤツから受けた洗脳からお前自信が抜け切れてないからキツイんだよ!」と言われハッとした。
つまり『洗脳からの脱洗脳』は更に簡単に行かない」と言うか。。。BPDと共依存考察 Heaven’s Life

自分の空虚を埋めるために無限の愛情を求めるBPDは、それを得るべく必死にターゲットを確保しようと心を操る。その影響は極めて強いのだ。

かくいう私は半年を過ぎ、そろそろ影響がかなり少なくなってきた。繰り返される矛盾した言動・態度の変化に振り回された日々も、今では遠くなった。

BPD的な心性と解離性障害による人格交代の繰り返しが彼女だったと今では理解が進んできている。

ずいぶんマインドコントロールも解けてきたようだ。

遙か昔のこともあり、当初から心の問題への対応を考えていたのだが(そのために、再び現れた彼女に自分から近寄った部分がある)、自主的に離れた以上、こちらから何もできることもないし、その義務も必要もない。

彼女が専門的な知識を持ち、心の問題を理解しているはずにもかかわらず、自分の問題から目をそむけ続ける限り、どうにもならないのだろう。その点では普通のBPDよりはるかに厄介な存在と言える。

自分の共依存性

BPDのパートナーは共依存に陥っていることが多い。

おそらく、私もそういう性質からBPDらしき人に見込まれた可能性がある。

*+*

他人から指摘を受けたこともあるぐらいで、みる人が見れば私が子供時代が幸せで何の問題も無くはぐくまれてきたわけではないのがわかるらしい。「幸せに育ってきたように見えるなんてあり得ない」と。「つついたらどろどろしたものがでてきそう」とまで言われた。

自分とて生育歴に何かしら問題がある人はすぐわかるので、同じことだろう。

生きづらさを抱えていたから、大学生の時に心理学を学んだり、徹底的に自分の中の問題をさぐり対話をして、多くのことを克服してきたつもりだった。

ただ、一つだけ気づけなかったのが、共依存性だった。これはもう本当に何年か前にはっきり気づいたことで、それがゆえに自分の人生を生きられていなかったのだ。

30代になってから、地元の地域活動でボランティアに打ち込んできた。それで大きな仕事をして、その仕事は新聞や雑誌でも紹介されている。

ただ、若くしてボランティアで地域活動をしているのは珍しいと言われていた。

仕事の上で豊富な才能を全く活かせないのでやりがいを感じられず、意図的に能力を発揮させないよう飼い殺し状態にする職場いじめを受けていたこともあって、誰かが喜んでくれることが自分にとっての励みになるし生き甲斐になると感じていた。その結果、自己犠牲的な行動が加速し、いくつもの事業をボランティアで手掛けていた。

しかし、そうやってがんばっていても、最初のうちは喜ばれているが、そのうちそれを当たり前とされるようになり、都合よく利用されているだけになっていた。無償どころか手弁当でやっているにもかかわらず、裏があるとか金儲けをしているとかとおかしな攻撃を受けることもたびたびだった。そして、利益を得ている人達は、こちらがそのボランティアの上で困ったときに何も助けの手を差しのばそうとはしなかった。単純に奉仕をするだけの完全に一方的な関係になっていたのだ。

それどころか、都合よく頼ろうとしたり、ただの都合のいい労働力としてこき使おうとする人達まで出てくる始末だった。

こうしたボランティアのために人生のいい時期を費やし、ほとんど何も残らなかった。その時期にやるべきだった自分のためのことは何もできていなかった。もっと利己的であるべきだったのだ。

この状況はおかしいと思うようになり、無償ではなく有償で仕事を引き受けることを原則にするようになったが、パーソナリティ障害のことを考えて自分のチェックをしているうちに、これはアダルトチルドレンの共依存であると明確に理解するようになった。

その以前から、自分の中の問題が理由でボランティアに打ち込み結局は不幸な人々が存在することに気付いていたのだが、共依存という考え方でとらえてはいなかったのだ。

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他人が自分を必要とし、自分が依存されることで自分の存在意義を確認する。その関係に自己犠牲的に埋没する。

これが共依存だ。

たとえば、貧乏で売れないミュージシャンを献身的に支える女性は、そのミュージシャンが自分を必要としてくれるから尽くしている。しかしその状況に依存しているので、ミュージシャンが成功したり真っ当な人生を歩もうとすることには徹底的に抵抗する。歪んだ関係を継続させようとするのだ。

共依存は大概非常にいびつな関係で、結局どちらも不幸になりやすい。あるいは破綻する。

依存性が強いBPDの人を世話してしまう人は、共依存状態に陥っていることが多い。この人には自分が付いていてあげなくては、と思ってしまい、自己犠牲をいとわない。その結果、心身、生活がぼろぼろになってしまう。中には自殺する人もいる。

相手に問題を感じているのだから、さっさと離れればいいのに、なかなかそうはしようとしない。

結婚していて子供もいるのなら離婚が難しいのは分からなくもないが、あくまで自分が離れたくないのであるのが共依存故だ。

理解してあげよう、面倒をみてあげよう。そうして暴力暴言に耐え続けてしまったりする。自己犠牲によって自分の必要性を確認して満足してしまっているのだ。これはもう病気の域だ。

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自分も、生育歴的な問題がある人を見ると、吸い寄せられやすく、援助したくてたまらなくなる傾向がある。

自分なら理解し、手助けしてあげられる、という想いがあり、自分を犠牲にしても面倒をみてあげたくなる傾向がある。

そんな面倒な人は相手にしない、適当にあしらう、というのが正しい選択かも知れないが、カウンセリングマインドを発揮してしまったり、苦しくてもきちんと向き合おうと考えてしまう。教員としてなら抱え込みすぎるタイプなのは間違いない。クラス担任などすれば処理しきれなくなる。そうでなくてもかなり意識して生徒の内面や問題を見ないようにしないと、やっていけない。わかっていながらよほどのことがない限り見過ごす。これはとても苦しいことだ。

BPDなど、まさに危険そのものだ。BPDの得意技である親しくもないのに異常に親しげな態度と不幸な身の上話を簡単に信じる人間ではないが(実際、そういうひとは身の危険を感じて遠ざけている)、教え子とかある程度過去に問題を知っている人はそういうガードの対象にならないらしい。今回はそこを突破されてしまったようだ。

 

共依存の傾向を意識することで、自分の共依存的行動を客観的にとらえることが出来るようにしていかなければならない。

 

 

 

解離性障害が強いのかも知れない

私が悩まされ、強いショックを受けさせられた相手は、その心性と言動からBPDである可能性を強く感じてきた。

ただ、実際に対面する時間が短く、その特徴である見放され不安で感情爆発して直接暴言や暴力を受けるような場面には出くわさなかったので、行動化をおさえている状態(≒寛解?)であったようにも思える。その代わり、別の手段(攻撃性)で激しい感情を処理しているようなので、本質的にはBPDの心性は持ち続けているのだろう。

典型的なBPDのありようが全てに当てはまるわけではなく、個別の事情がかさなっているから多様性があるはずだ。

彼女の場合は、軽度の人格交代の様なものが頻繁にみられた。軽度というのは、完全に別人格に替わる解離性同一性障害(DID)ではなく、別の性格や特徴に替わってしまうスイッチングが起こる特定不能の解離性障害であろうと思われることだ。

記憶はほぼ繋がっているようだが、曖昧な場合もある。スイッチングしたときに話が繋がっていない様子が見えることがあるし、本人もやや記憶の断絶を感じているらしいこともある。

過去の記憶が曖昧だったり現実にベールがかぶった状態であったり、記憶から感情が解離していたりしているらしい。半年前の写真を見て、何故こんなことをしているのかを覚えていないといったり、夜にやっていたことを朝になってなんでそんなことをしてしまったのだろうと悩んでみたり。本人の性格傾向が変わってしまうようなことが頻繁にあるようだ。

暴言を吐く人格が突如出ては引っ込んでみたりするが、これなどは傍観している別人格が飛び出てくる感じだ。本人が了解尽くだったことを非難するようなことを言うので、記憶が完全に繋がっていないのかも知れない。

そして豹変前後で言動だけでなく使う言葉や認識も変わったので、私に対応する人格が変わったのではないかとも思えた。豹変後も含め、矛盾した言動がしばしばみられたのもスイッチングによるものだったのかも知れない。

スイッチングする人格は少なくとも4パターンぐらいはあるようだった。顔つきも変わり、写真を他人に見せると同一人物に思えないと言われた。

・基本人格。普段の対人対応をしている、声が低く男勝りの人格。かつての彼女に近い。

・可愛い人格。声が高く、親しい友人やパートナーと接するときの、女性として理想化されたような人格。

・憤怒の人格。激しい怒りを担当する。普段は傍観して時折介入して怒りをぶちまける。基本人格と認識や記憶がやや不一致の様子。

・不明な人格。基本人格と性格も記憶も完全には一致せず、豹変後に現れた人格。

基本人格と可愛い人格はミックスした状態になりやすいようだった。口調と声質は可愛い人格なのに顔つきが基本人格ということもあった。

写真で見ると、上記とは別の顔つきに見えるものがあり、シチュエーションも違うので更に別の人格があるのかもしれない

一人の人と言うにはあまりに落差が大きいが、人格交代と言うには表面的すぎるのでどう考えたらいいのかわからずにいた。完全に別人格になるわけではない特定不能の解離性障害が解離性障害の多くを占めることを考えると、そう考えるのがもっともしっくり来るのだ。この障害についてかかれたものが少なくわかりにくいが、以下が参考になる。

https://susumu-akashi.com/2018/07/switching/

 

BPDの診断基準に「重篤な解離性の症状」が含まれるが、併存とされる場合もある。その境はどこにあるのだろう。