一人一人違う

あたり前のことではあるけれど、人は受け継いだ遺伝子も違えば、育つ環境も違い、同じ人はどこにもいない。

精神的な問題も、当然違ってくる。

BPDとしての遺伝的要素を持っていても、環境によって症状が現れなかったり、現れたりするし、現れ方も人によって違う。

BPD的な心性を持ち、診断基準を満たさなくてもいろいろな問題を抱えていることはもちろんあるはずだし、診断名にこだわってもあまり意味は無いかも知れない。

現にある症状、行動が問題なのだから。

BPDの【被害者】という言い方があるぐらい、BPDは、他人をぐさぐさに傷つける。家族やパートナー、親しい友人などが大変に苦しい思いをする。時に自殺に至ることもある。

本人は、内には不安を抱え、霧の立ちこめたような世界の中にいるような感覚を持っているのかも知れない。

しかし、少なくとも表面的には他人を傷つけても本人はケロリとして、何もなかったかのように一顧だにせず、他の人や楽しみを追いかけていたりすることもある。全て相手のせいにすることもよくある。やられた方はたまらない。おかしい人、異常な人格、凶悪な人格の持ち主ととらえられても何の不思議もない。あるいは精神の病気。

日本語ではパーソナリティ「障害」(PD)と訳されているけれど、disorderは病気というところまでは行かない健康と病気の中間的なニュアンスを持つらしい。精神病への偏見からあえてこう言う言い方をしているらしい。

disorder【名】

  1. 無秩序、混乱、騒動
  2. 乱雑
  3. 不規則
  4. 《医》疾患、不調、病気、障害

(英辞郎)

しかしながら、治療をしないとどうにもならない病気であるのは間違いない。自己愛パーソナリティ障害など、加齢と共に悪化するという。

健常な人と区別がつかないような生活をしているような人もいて、本人も病識を持たないので医療にかかることもない人もいる。しかし、他人との関係をうまく作れず、相手を傷つけ、破壊的な結果を繰り返す。

暴力・暴言・自傷などが典型的問題行動ではあるけれど、BPDの心性の根源である見捨てられる不安は必ずしもそういった形をとるとは限らず、人によって別な形で現れてくることもありうる。BPDと診断されることはないかも知れないが、未熟なパーソナリティによる視野の狭い見方と価値観が問題行動をとらせ、他人を痛めつけてしまったりする。

相反するものが一つのものにあることや中間をとらえられないオールオアナッシングの二極思考(分裂、スプリッティング)はBPDに限らずパーソナリティ障害に見られる。逆に言えば、この現実的な状態を受け入れる部分の未熟がいろいろなとらえ方の問題を引き起こし、問題のある行動をさせているのだろう。BPDは分類をしたその一つに過ぎない。

いずれにしろ、健常な人とは異なる心の動き、脳の働き方をもっているが故に、問題を引き起こす人がいる。特定の診断基準を満たさなかったりするかも知れないが、確実に問題をもっている人はいる。

そういう人は、本人が困らない限りは治療を受けることもなく、満たされることを求め、無限の愛情を求めつつ、誰かを激しく傷つけては相手を変え続け、周囲には極端な性格の人と腫れ物に触るように扱われながら生きて行くのだろう。

パーソナリティ障害と診断されるかどうかとは別に、健常な人とは異なる脳の働き方をもっていて、心に問題を抱えて生きている人は、身のまわりにも確実にいるはずだ。

本人が生活に支障があると自覚したり、社会生活に適応出来るか否かを基準としていては拾い上げられることがない、他人の精神、時に生命を危機にさらすような問題を抱えた人達が社会に普通にいる状況であることを、理解しておかなくてはならないようだ。

アメリカではとらえられている高機能型BPDも、日本ではたとえ精神科を受診する機会があっても社会生活に支障がないとしてほとんど捕捉されないのではないか。一皮めくれば低機能型と同じだというのに。

そうであるなら、本人にとっても周囲にとっても不幸なことと思える。