よくある主題だが、難しい話だなあ。
ヒトは生物である以上、自分のコピーを残そうとする生物としての方向性からは逃れられない。体のしくみ、脳に基づく心の働きはまさにそのために淘汰され、進化し、適応してきた結果だ。
しかしながら、生物である以上、変異の幅がある。遺伝学的変異、発生過程における環境要因による変異、出生後の環境における変異等。その結果、必ずしも子孫を残すことだけに向いた個体だけではなくなる。多様性とも言う。
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多様性の中には環境変化にうまく適応出来るものを生じるものが出現することがあるので、個体ではなく種全体では子孫を残せる可能性を作り出すと言える。
たとえば家畜の場合、完全に均一であるなら取り扱いは容易になり、肉なり乳なりをとる上でも非常に都合がいい。しかし、遺伝的多様性を持たない集団は、ウイルスなど何かの要因であっという間に絶滅するリスクが高い。作りだした特定の品種が特定の疾病にかかりやすかったり、絶滅に瀕するようなことはよくおこる。
多様性は種の存続の上で重要だ。多様性が生じることは生物にとっては当然のこと。発生に失敗する個体がいたり、障害を持って生まれる個体がいるのもそういう範疇ととらえることも出来るだろう。
なお、遺伝的に同一であったとしても環境要因での変異は生じる。変異、多様性は必然だ。
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かつてのドイツでは精神科医がヒトラーにすり寄って、精神障害のある人達を虐殺した。そしてアーリア人のみを優秀とし、他人種、他民族を取り除こうとする優生主義に染まり、ユダヤ人(民族としてではなく人種ととらえ、キリスト教改宗者も区別しなかった)を虐殺した。その他、政治犯、同性愛者なども虐殺した。
同一性は集団の団結に都合がいい。権力を持ち集団を使って何かをやる場合、集団の統率のために同一性を強調したがる。我々は優秀で他は劣っているとしたり集団共通の敵を作り出すことはよく見られる。その完遂のため、集団内では差別や抹殺が行われやすい。
生物が持っている多様性はそういう場合に忌み嫌われるのだ。
最近の日本では、極右政権の元で2006年の教育基本法の改正で根本が変わり、多様性や自分に責任を持ち判断を出来る人間を育てるのではなく、国家のために尽くす同一性の高い集団を育てる戦前のような教育にシフトした。この傾向が強まれば、次は生物学的な同一性を求めはじめる可能性がある。
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生物にとって多様性は必然である。細菌のようなクローンであるはずの無性生殖集団でも、僅かずつ塩基配列の変化が起こり、それが環境要因などで淘汰を免れ集団に広まれば種としての変化になる。
個体にとっての幸せは、この多様性の前では問題ではない。単に多様性が生じ、その中で生き残れるものがあれば種としての存続が可能になると言う装置でしかない。
変異の幅の中心にある多くの個体では感情の根本には子孫を残そうという無意識があるから、どうしても同性の恋愛に否定感を持ちやすい。忌避感があるからこそ異性との間に子孫をもてる。同性忌避、兄弟親子間の忌避、子供を可愛いと感じるのもそのためのしかけだ。
我々の行動を縛る子孫を持とうとする傾向は、生物としての枷だとも言える。同時に誰か、何かを愛するのも同じ装置、同じ枷だ。
そういった装置のどれかがうまくはたらかない個体も生じる。枷が外れた状態が起きると言うことでもある。
だから、多様性の中では同性の恋愛も当然のように生じるし、そもそも恋愛感情を持たない個体も生じる。
体の方も多様性が大きい。平均の男性、女性からの変位は大きい。見た目は完璧な女性でも染色体レベルでは男性と言うこともある。
そういうことを考えると、多様性が生じるのは生物の必然。そう言うものだとしか言えない。子孫を残すことが生物の命題ではあるけれど、多様性の前では個体全てがこの命題を背負っているわけではない。
その集団がその時々の理由で多様性を取り除こうとすることがあるけれど、それは結果的に短期的に都合のいい結果を生むかも知れないが、長期的にはマイナスになりやすいことはおそらく正しいだろう。
高学歴になるほど子供の数が少なくなり、性モラルがゆるいほど子孫が残りやすかったりもする。
個体レベルで子孫どうこうと言っても仕方が無い。
同性愛は歴史的にも容認されたり規制されたり。
正しいなんて言えることはそもそもない。その時々の考え方や価値観があるだけだ。ただ、多様性を否定することは種の存続としては不利になる。子孫を残せない変異は自動的に取り除かれていくから手を下すまでもない。全ての国民をクローンで生み出すようにしない限り必然として生じる多様性を、社会としてどう受け止めるかという問題だ。
極めて強い淘汰圧を受ける以上同性愛遺伝子は存在しにくそうに見える。おそらくは遺伝子突然変異や発生過程の脳の発達で何らかの環境要因で生じるものが大半ではないかと思える。
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冒頭のツイートに立ち返れば、同性の恋愛と異性の恋愛は、感情の働きとしては全く同じしくみによるものだ。対象が違うだけに過ぎない。
子供が出来ない以上その価値観や子孫を残すという生物としての命題の上では不毛ではあるが、感情の上で充分に幸福感があるだろう。男女の価値観や行動は差が大きいので、同性間の方がストレスを感じにくい部分はあるだろうし。
女性に理想の男性像を聞いていくと、中身がほとんど女性の様な男性になってしまうと言う話があった。女性間の場合、同性間の恋愛は異性間以上に幸せかも知れない。男性間の場合はよくわからない。
参考;
ナチス時代の被害者: ナチスの人種的イデオロギー
https://www.ushmm.org/wlc/ja/article.php?ModuleId=10007457