多分、非常によくあるBPDのパターンと、それに対するnon-BPDの切実な悩み、それに対する適切なコメントであると思うものを転載。
境界性人格障害と関わった人のコメントより【4】自分がBPD(ボーダー)であるという方のコメント * 2009/11/12 18:08 * 投稿者:Nさん初めまして。 境界性人格障害のことを調べていてここにたどり着き、いろいろと勉強させていただきました。私には春から付き合っている彼(今は付き合っているのかいないのか微妙なのですが…)がいるのですが、その彼がBPDなのでは…と思っています。 半年の間で何度も何度もいざこざがあり、何度別れているかもわかりません。 付き合っているか微妙というのは、今もまたごちゃごちゃしてしまっている最中だからです。すぐに言い合いになってしまう原因のひとつにこのBPDがあるのではないかと思うんです。 私は彼の性格があってその上でその症状が重なってしまっている、というとらえかたをしているので、全てをこの障害のせいにするつもりはありません。 (それこそ彼の性格だけでなく私の性格も原因のひとつのはずなので)だけど、原因のひとつとしてもやっぱりこの障害は大きくて… 好きだと言ったすぐ何分後に死ねと言われたり、この障害とは全く別に問題があって彼から聞くことが非現実的なことで本当なのかと悩んだり(BPDの方には虚言がある場合があるとも聞いたので…) 正直彼を受け止めようと思っていてもつらいです。 彼も『普段感情を抑えていると、一回(私に対して)キレると自分でコントロールができない』と言って悩んでいるようです。 >>>>>>>>>>>> 私も境界例(BPD)の彼女と付き合っているとき、しょっちゅう別れているような感じでした。その原因のほとんどは彼女が言い出すことで、理由は |
BPDな人達も様々で、双極性障害や解離性障害、自己愛性パーソナリティ障害などを併発していることもよくあり見せる症状も複雑なようだ。
最近の自分の理解では、この他人を巻き込む厄介な精神疾患は、本人の資質が治療や予後を左右し、寛解してそれなりに適応して生きていける人もいれば、寛解もせずにそのままと言うことも充分あるものだというものになっている。環境にばかり原因を求めて治ると断言するものを私は信用していない。
遺伝的基盤と虐待等の生育環境の2つがこの疾患の発症に関わっているとデータから考えられているが、ネット上で元BPDを自認し活動している人は明らかに自分を客観的・分析的にとらえる能力があって、これは持って生まれた資質ではないかと思える。そういう人は積極的に調べたり治療を受けたりするし、自分の問題を自分でとらえて改善させようとする。
全く自分のことを見ようとしない、病気であることを決して認めず、ただ逃げ続け、他人を非難し、ひたすら他人を傷つけ続けるような人もいる。そういう人では幼稚なパーソナリティーが目立つ。さながら幼児が大人の皮を被ったかのように。こう言う人は改善の余地があまりないようだ。むしろこう言う人だから悪化したというのが本当のところなのかも知れない。
ある精神科医によると、パートナーと共に行う独自の方法でBPDは治ると言うのだが、その方法は約半数が途中で脱落するという。その脱落組に入ってしまうような人は前述の改善余地がほとんど無い人なのだろう。その方法が改善に繋がるにしても、治りやすい(寛解しやすい)人の選別を行っている側面はありそうにも見える。
一方、解離性が強く、人格交代的なことが見られることもあるが、結局どのような人格交代様なことがおきようとも全くの他人が憑依しているわけではなく本人が分裂しているのであるから、全責任は本人が負うしかない(人格交代が起きて、前後がわからない状態でも、引き受けるしかないから主人格のフリをして必死であると交代人格が訴えているものを見たことがある)。
都合よく記憶を改竄したり、虚言や辻褄の合わないことを言って自分に都合よく合理化する傾向も、本人が巻き起こした問題には本人が責任を取る必要がある。逃げ続けることを許すのはその方法を強化し続けることにしかならないだろう。
遺伝的基盤の上に重ねられた生育歴で、自分の心を守るためにとらざるを得なかった防衛機制が定着しているのがBPDという精神疾患と考えられる。自分を守るための防衛機制が他人を傷つけ続けるのならその防衛方法に問題があるが、それしか出来ないのが彼らの多くなのだろう。
巻き込まれたnon-BPD(BPDのパートナーになった人など、BPDの人と関わっているBPDではない人のこと)の人がいかに自分がそのBPDの人にとって唯一絶対の存在ではないことの気付くことが出来るかが重要なのだと思う。つい、non-BPDは目の前のBPDの人に特別な感情を抱き、コントロールされ、自分が何とかしなくてはいけないと思い込まされてしまう。しかし、BPDの人は無限の愛情供給源を求めているだけであって、相手は誰でもいいと言っても過言ではないかもしれない。見込んだ人にそれを求め続ける場合もあるが、次々に対象を変えて求め続ける人もいる。おそらく、愛情という本人にもよく分からない、自分が子供時代に得られなかったなにか絶対的なものを、何処かにあるはずと求め続けているのだろう。自分の空虚な部分を埋めるものがそれだと信じている。だが、その穴は埋まらないことが多いのだ。それほどまでに遺伝的基盤の上に形作られた穴は大きいのだろう。
虐待などの体験がなければそこそこに構築されていたであろう床は、遺伝的な基盤のために根太がそれほど強固でなかったとしても何とか支えられる程度にはなっていただろう。しかし、BPDを発症する場合、脆弱な根太の上に床板そのものがほとんど貼られていないのでは重みを支えることが困難だ。いくら愛情を供給しても根太の間から落ちていくだけだ。本人が床に問題があると気付いて床の強化に取り組まない限り、愛情を注ぎ込ませては床の下にこぼれ落ちていくことを空しく繰り返すのみだ。
BPDはそういう状態なのだろう。彼らは病気なのだ。健常の人とは違う。普通の人に対するようなことをしていても、決して報われない。決して相手を尊重しようとせず、一方的に搾り取られたり、傷つけられるだけだ。互いの尊重が人の間の関係構築では極めて重要だが、それがBPD相手では全く成り立たない。
BPD本人は空しいだろうが、それでもすり抜けずに溜まる愛情を求め続ける。自分の床に問題があることを認めないまま、どこかにちゃんと床の上に溜まる愛情があると求め続ける。
non-BPDは無限の愛情供給源にはなれない。それは不可能なことだ。
治療が必要なのは間違いないが、改善があるかないかはBPDがどれだけ自分に向き合える人かにかかっているのだと思う。自分に異常を感じ、何とかしたいという気持ちを持っているのであれば可能性はあるのかも知れない。
non-BPDは一度相手から離れ、自分にかけられた術をふりほどき、冷静になる時間を確保すべきだ。お互いに尊重しあえる、自分のパートナーとして相応しい存在であるかどうかをよく考えてみればいい。冷静にならないと考えられない。半年ぐらいの時間は少なくとも必要かも知れない。その上でどう接するかを考えるべきだろう。
天使のように見えたとしても、それは一時的に見せる姿だ(本人には「よい自分」であるのだろう)。親しい人に見せる本当の姿はすぐに不安に駆られ、怒りを爆発させ、底なしの愛情を求めつづけ、あからさまな嘘を平気でつき、他人を平気で見捨てる、non-BPDを悩ませ続けるその姿なのだ(本人には悪い自分)。それを見せれば逃げられてしまうとわかっているからこそ繊細なセンサーをフルに発揮して正反対の理想像を演じ、弱く不幸な自分への支援をせずにはいられないようしむけていたのだ。本人は何とかして自分の空しさを埋めたいともがいているのだが、巻き込まれた側は多くが責任感が強く自己犠牲的なタイプで、見込まれた結果多くを失う大惨事になりかねない。
non-BPDが相手に尽くすことに自分の存在意義を確認するようではそれは共依存に過ぎない。共依存は犠牲の上に成り立つ歪んだ関係であり、いずれ無理が来て破綻する可能性が高い。
今でもBPDは極めて対応が難しく治療が難しい精神疾患ととらえられている。
non-BPDが責任を負うことでも責任を取ることでもない。
素人に過ぎないnon-BPDに出来ることは、医療機関などに支援を求めることだ。そうすればかつての天使のような姿は無理にしてもそこそこ安定な関係を構築できるところまで行くかも知れない。相手によっては強い執着で結ばれた安定な関係を作ることもできるかも知れない。しかし、BPDがそれを拒絶し続けるのであれば改善の余地を見込むことは困難と思われる。ならば、ずっと不安定に愛情をむさぼり続けようとするBPDと向き合う人生を送るか、自分の人生を考え直すかの選択をすることになるはずだ。
何にしろ、一番良いときの幻影を負うのはやめるべきだ。普通の人だってそんなものは一時の姿で長続きはしない。BPDなら穴だらけの床に積み上げられるかも知れない愛情を得るために全力で演技をしていたのだから、その姿がそのまま戻ってくることは期待しづらい。そして自分が全て受け入れられていたと感じるのは勘違いの可能性が高い。BPDはあなたそのものを見ていたのではなく、そこにあるかも知れない愛情の幻影を見ていたに過ぎないのだ。一刻も早くその愛情で満たされたいために、普通の男女の関係なら時間をかけて経るプロセスをすっとばかし、極短い時間で全てを受け入れていたのだ。相手を理想化するのは一種の自己欺瞞なのかも知れない。結局相手などまともに見てはいない。だから、期待と違うと思うとあっという間に豹変するのだろう。少なくとも私にはそう思える。
時間をおき、距離を置き、冷静になって考えるべきだ。
距離を置いて、相手が自分を求めてこないのなら、追っても仕方が無い。相手は現実には存在しない無限の愛情をひたすら求め続ける病気の持ち主だ。何処か他にそれを求めているのだろう。
相手がまた自分を求めてくるのなら、その相手が自分を見ているのか、無限の愛情の供給源の可能性としてみているだけなのかを見極めるべきだ(おそらくは後者だが)。そして、病識を持ち、自分の問題を解決しようと思える人かどうかを見極めなければならないだろう。治療を受けようとせず、あるいは非協力的で、ひたすら他人のせいするだけなら、自分の人生のために離れた方がいいだろう。そういう人とよい人生を送ることはかなり困難だろう。
見捨てられることを怖れるのがBPDではあるが、まともなパートナーシップを構築できない相手なら、離れることは当然のことだろう。相手が見捨てられることを怖れているからと言って、自分が無理をし続けてもよい結果はない。見捨てられる不安を抱く人間になってしまったのは決してあなたのせいではない。
それでも見捨てられないと、治療も受けようとしない相手を愛し続け、ぼろぼろになってでも尽くしたいというのであれば、もう何も言えることはない。
豹変してあなたを放り出すBPDも、それは自分が見捨てられることを怖れたために先手を打ったのかも知れないし、自分がコントロールを失うことを怖れる飲み込まれ不安が強まったためかも知れないが、結局は相手のことを考えられず自分の不安に埋没してしまっている。彼らは自分しか見ていないのだ。自分の内部にばかりとらわれ続けてしまう。相手のことは真には見ていない。
BPDは大概一人相撲をとり続けている。霞のかかったような現実感のない世界の中で「愛情というもの」で満たされたいと手を伸ばし続けている。常にわき上がる不安や怒りを何かで埋めようとする。愛情を希求し、孤独だが、真底は他人を受け入れない。ひたすら自分の中でわき上がるものに振り回され続けてそれだけにとらわれている。そんな存在。
少し違うかも知れないが、今はこんな認識でBPDを見ている。
追記:
BPDは共感性が高く、他人の心の機微に敏感と言われている。それ故にうまく他人に取り入ることも出来るし、人間関係に分け入って破壊的な状況を作り出すこともできる。ウィークポイントを突いて苦しめることもするだろう。虐待経験故に何とか心の機微を読み取って危機を回避しようとしてきたためだと説明されることがある。
そういう敏感さの一方で、他人のことを真に考えた行動をしないように思われる。感情の動きに敏感で、他人の嘘を読み取ったり理想的に振る舞うすることには長けているが、自分中心の視点でしか行動しないので、相手を思いやって傷つけるようなことは避けるとかいうことにはならないようだ。むしろ相手の弱いところを滅多刺しにしてしまう。また、時に過剰に読み取ったり、妄想に基づいたりして、不安を増大させ行動してしまう。
相手の心の機微を読み取れるからと言って人格者とはほど遠い。むしろそれを利用した対人コントロールや攻撃性が厄介だ。
「BPDは共感性が高い」という言い方は少し違うと思う。感情の動きやこころを読み取ることに長けているという言い方の方が正しいだろう。BPDやアダルトチルドレンは虐待を避けるために虐待する側の心を読み先回りすることで危機を回避しようとしてきたと考えられる。自分自身、他人への共感性は高くはない(共に喜んだり悲しんだりと心が他人と同調するようなことはあまりない。むしろ冷静を保ちやすい)が、感情の動きを読み取り洞察する能力は高い。
追記2:
BPDのいい面だけを見ても、悪い面だけを見ても理解は出来ない。両面合わせてその人として理解し、受け入れることが出来るようになる。よかったときだけを思い浮かべ、都合よく理解しようとしてもうまくは行かないだろう。飲めば改善するという期待でBPDの際限の無い要求に従い続けることではなく、本人の責任をnon-BPDが明確に理解し、それをBPDに示し、失いかけた自分の生活、生き方を従前通り確保した上で、冷静に自分の選択をしなければならない。受け入れ、医療機関の支援を受けつつ関係を保つか、別れを告げるかだ。