セクハラ

いくつものセクハラ問題が表面化し取りあげられている。

ある人は、30年前のアメリカの状況と同じ、30年遅れているという。

詰まるところ、多くの社会において、女性蔑視、女性を性の対象としてのみみて人格を軽んじるようなことは行われてきたわけだ。

何故男性優位になりやすいのか。男性中心の社会が形成されやすい理由は何か。

ヒトに近い類人猿で言えば、チンパンジーはオス中心、ボノボはメス中心の社会構造を作る。ヒトはその点ではチンパンジーと類似性があるのかも知れない。前者は極めて暴力的、後者は性愛による平和的な行動が見られる。サルの研究者曰く、チンパンジーのメスにだけは産まれたくないと言うぐらい、暴力的な扱いを受けるという。

筋力、体力において優位であるからというのは大きな要因であろうが、ボノボのメスがオスよりこれらが勝るわけではないだろう。ボノボにおいてはオスが群れに残りメスが群れを移動する父系社会であるにも関わらず、メス同士の連合によってオスの暴力に報復し、メスの優位を作るらしい。

 

ボノボのメス達は手を組んでオスの暴力に対抗する
―メス優位なボノボ社会が進化した根源を考える―
(京都大学霊長類研究所)

http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research/research_results/2016/documents/160719_1/01.pdf

メスが優位になる場合、メスの血縁関係が中心となる母系社会であることが多いが、ボノボはそうでないため、非常に興味深い。

ヒトの場合、女性優位の社会を作る例があるかも知れないが少なくとも現代では極めて男性優位であるように見えるし、男性の行動には多く女性を下に見ていると思われる行動が多いという感想を持つ。セクハラ問題についてのネットでの反応には、根強い男性による女性蔑視が見て取れる。

どう考えても、女性の同意なく何かを強要することはおかしい。ましてや力関係などを背景として根本的に性別関係なく許されることではない。しかし、なぜか男性から女性に性的強要をすることについて、寛容になりやすいように見える。チンパンジーの如く、ヒトという種が進化の中でもっている傾向であるのかも知れない。

現実に、女性に比べて暴力的で性欲が強い男性という存在自体が女性にとってリスクの高い存在であることを認識する必要はあるだろう。そういうことを考えなくればいけないこと自体がおかしいと言ってみたところで、本質が変わるわけではない。

その上で女性の尊厳が守られる状況を作らねばならないのだろう。本質的に男性の多くは抵抗する存在であり続けると思われる。日本社会は明らかに遅れているので、今より状況を改善させることは可能なはずだ。

しかし、男性任せでは実現は困難だろう。ボノボではないが、女性の連合が力をつけない限り、なかなか実現は難しいのかも知れない。