自分の共依存性

BPDのパートナーは共依存に陥っていることが多い。

おそらく、私もそういう性質からBPDらしき人に見込まれた可能性がある。

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他人から指摘を受けたこともあるぐらいで、みる人が見れば私が子供時代が幸せで何の問題も無くはぐくまれてきたわけではないのがわかるらしい。「幸せに育ってきたように見えるなんてあり得ない」と。「つついたらどろどろしたものがでてきそう」とまで言われた。

自分とて生育歴に何かしら問題がある人はすぐわかるので、同じことだろう。

生きづらさを抱えていたから、大学生の時に心理学を学んだり、徹底的に自分の中の問題をさぐり対話をして、多くのことを克服してきたつもりだった。

ただ、一つだけ気づけなかったのが、共依存性だった。これはもう本当に何年か前にはっきり気づいたことで、それがゆえに自分の人生を生きられていなかったのだ。

30代になってから、地元の地域活動でボランティアに打ち込んできた。それで大きな仕事をして、その仕事は新聞や雑誌でも紹介されている。

ただ、若くしてボランティアで地域活動をしているのは珍しいと言われていた。

仕事の上で豊富な才能を全く活かせないのでやりがいを感じられず、意図的に能力を発揮させないよう飼い殺し状態にする職場いじめを受けていたこともあって、誰かが喜んでくれることが自分にとっての励みになるし生き甲斐になると感じていた。その結果、自己犠牲的な行動が加速し、いくつもの事業をボランティアで手掛けていた。

しかし、そうやってがんばっていても、最初のうちは喜ばれているが、そのうちそれを当たり前とされるようになり、都合よく利用されているだけになっていた。無償どころか手弁当でやっているにもかかわらず、裏があるとか金儲けをしているとかとおかしな攻撃を受けることもたびたびだった。そして、利益を得ている人達は、こちらがそのボランティアの上で困ったときに何も助けの手を差しのばそうとはしなかった。単純に奉仕をするだけの完全に一方的な関係になっていたのだ。

それどころか、都合よく頼ろうとしたり、ただの都合のいい労働力としてこき使おうとする人達まで出てくる始末だった。

こうしたボランティアのために人生のいい時期を費やし、ほとんど何も残らなかった。その時期にやるべきだった自分のためのことは何もできていなかった。もっと利己的であるべきだったのだ。

この状況はおかしいと思うようになり、無償ではなく有償で仕事を引き受けることを原則にするようになったが、パーソナリティ障害のことを考えて自分のチェックをしているうちに、これはアダルトチルドレンの共依存であると明確に理解するようになった。

その以前から、自分の中の問題が理由でボランティアに打ち込み結局は不幸な人々が存在することに気付いていたのだが、共依存という考え方でとらえてはいなかったのだ。

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他人が自分を必要とし、自分が依存されることで自分の存在意義を確認する。その関係に自己犠牲的に埋没する。

これが共依存だ。

たとえば、貧乏で売れないミュージシャンを献身的に支える女性は、そのミュージシャンが自分を必要としてくれるから尽くしている。しかしその状況に依存しているので、ミュージシャンが成功したり真っ当な人生を歩もうとすることには徹底的に抵抗する。歪んだ関係を継続させようとするのだ。

共依存は大概非常にいびつな関係で、結局どちらも不幸になりやすい。あるいは破綻する。

依存性が強いBPDの人を世話してしまう人は、共依存状態に陥っていることが多い。この人には自分が付いていてあげなくては、と思ってしまい、自己犠牲をいとわない。その結果、心身、生活がぼろぼろになってしまう。中には自殺する人もいる。

相手に問題を感じているのだから、さっさと離れればいいのに、なかなかそうはしようとしない。

結婚していて子供もいるのなら離婚が難しいのは分からなくもないが、あくまで自分が離れたくないのであるのが共依存故だ。

理解してあげよう、面倒をみてあげよう。そうして暴力暴言に耐え続けてしまったりする。自己犠牲によって自分の必要性を確認して満足してしまっているのだ。これはもう病気の域だ。

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自分も、生育歴的な問題がある人を見ると、吸い寄せられやすく、援助したくてたまらなくなる傾向がある。

自分なら理解し、手助けしてあげられる、という想いがあり、自分を犠牲にしても面倒をみてあげたくなる傾向がある。

そんな面倒な人は相手にしない、適当にあしらう、というのが正しい選択かも知れないが、カウンセリングマインドを発揮してしまったり、苦しくてもきちんと向き合おうと考えてしまう。教員としてなら抱え込みすぎるタイプなのは間違いない。クラス担任などすれば処理しきれなくなる。そうでなくてもかなり意識して生徒の内面や問題を見ないようにしないと、やっていけない。わかっていながらよほどのことがない限り見過ごす。これはとても苦しいことだ。

BPDなど、まさに危険そのものだ。BPDの得意技である親しくもないのに異常に親しげな態度と不幸な身の上話を簡単に信じる人間ではないが(実際、そういうひとは身の危険を感じて遠ざけている)、教え子とかある程度過去に問題を知っている人はそういうガードの対象にならないらしい。今回はそこを突破されてしまったようだ。

 

共依存の傾向を意識することで、自分の共依存的行動を客観的にとらえることが出来るようにしていかなければならない。