共感性

BPDを理解するのに役に立つかも知れない、患者に寄り添った立場で書かれたページへのリンクを紹介した。

その中で、もとBPDの臨床心理士さんがこう書いている。

高機能型の境界性人格障害の人は

・人を喜ばせることが好き
・人のために、自分のことを犠牲にしてしまう
・困っている人、弱い人を放っておけない

という面を持っているはずです。

とても良い特徴のようですが

人を優先させてしまうせいで
自分のことをおろそかにしたり犠牲にしたりしてしまい
自分を大事にできなくなってしまいます。

高機能型の境界性人格障害の人には
これが症状を悪化させる原因になってしまうんです。

これらは全て
共感性の高さから来るものです。

これはBPDではない自分にも当てはまる。共感性と言えるかどうかはよく分からないが、誰かのためについ頑張ってしまう傾向が未だ残っている。ボランティアに自分の人生の大事な時間をつぎ込んで、結局自分の人生を大切に出来なかったり、自分の時間を潰してまで誰かのために頑張ってしまったり。自分の人生で自分を人生の主人公にしきれない。

BPDに見られる特徴ではあるけれど、機能不全家族で育ったアダルトチルドレンの傾向の一つととらえられる。何をしてどんなに成功しても親に認めてもらえなかった子供時代の影響によるものだ。

今の自分は少しでも自分のために行動しようと思うようにしている。他人のために頑張りすぎない、他人に飲まれない、なるべく自分の人生を豊かにするために自分の時間を使う。そうでないとつい他人に飲まれ、どうかすると都合よく使われてしまう。

ボランティアで頑張ってきた人が、突然去ってしまうケースを見てきたけれど、おそらく同じようなことだったのだろう。

今更遅すぎるのだけど。それでも破滅的に自己犠牲で生き続けるよりはましだろう。

BPDを理解するのに役立つかも知れないリンク

境界性パーソナリティ障害(以下BPD)は、他人が受ける被害が大きく、被害者の立場から語られることが多いような気がするが、家族などからすれば離れることも出来ず、何とか支えて行かねばならない存在で、その心性を理解することが極めて重要である。

BPDの理解のために役立つかも知れないサイトを自分のメモがてら3つ紹介しておく。

 

家族のジオログ

精神医学系の星和出版のサイト内にある、BPD患者の家族会のサイトのログ。

 

逆境から立ち上がった臨床心理士
(BPD関連コンテンツへのリンク)

BPDだった臨床心理士が自分の経験を記述している。

 

It’s not your fault
親しい人が「境界性パーソナリティ障害」だと気づいた時に ~A to M~

 

 

BPDの妻をもつ夫さん、大丈夫か?

前に取りあげた、境界性パーソナリティ障害(BPD)の妻を持つ方のツイート、かなり限界に来ていることを感じさせる。

 

 

 15 時間前

 15 時間前

 16 時間前

*+*
かなり心配な状態に見える。
BPDの人との離婚相談は結構多いようだ。
 一口にBPDといってもその人によるだろうが、ひたすら相手が疲弊してしまうことがよくある。
 その結果、自殺に追い込まれるケースもあるようだ。
 このツイートの主が何とかして心の健康を維持できることを願ってやまない。

 

共依存

共依存という概念について。

両親などから何らかの虐待を受けて育った人に共依存という関係を作ることがよく見られる。

子は無条件に親に依存するが、虐待親は子を見捨てると脅しながら思うように操り支配する。そうして育った子は愛情を知らず、依存ー支配関係しか知らないため、対等、相手を尊重する人間関係を作れない。その結果、自らが受けてきた依存と支配の関係と同様に他人を自分に依存させることで支配する関係、すなわち共依存の関係を作るのである。

しかし、依存させることで自らの存在価値を確認しているのであり、その関係は発展性がなく、相手の独立を阻んででも共依存の関係を維持しようとする。当然破綻しやすく、しないまでも相手の未来を奪ったり、相手や自らを苦しめる結果になりやすい。

たとえば、売れないミュージシャン志望の男性をかいがいしく世話をする女性は共依存者で、男性が真っ当に働こうとしたり、何らかの成功を収めたりすると自分の存在価値が否定されるのでそれを阻もうとする。

ギャンブルにはまる男性、暴力を振るう男性に「どうしようもないこの人には、私がいなくては駄目なの」と耐えて世話をし続ける女性も共依存者である。相手を世話し続けることで自分の存在価値を認めさせて依存させているのである。

「人を世話・介護することへの依存」「愛情という名の支配」共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平安を保とうとする

「ある人間関係に囚われ、逃れられない状態にある者」としての定義が受け入れられている。

Wikipedia 共依存より抜粋

精神医学の概念ではなく、看護現場で生まれた概念で、アルコール依存症患者との関係に束縛された結果、人生を歪められてしまった家族の特徴を説明するために用いられた。そこからより広く用いられるようになっている。

 

共依存者には以下の特徴が見られる。

  • 他人の面倒を見たがる(強迫的世話焼き)
  • 自己の価値を低く見る
  • 抑圧的である
  • 強迫観念にとらわれやすい
  • 相手をコントロールしたがる
  • 現実を直視できない
  • 何かに依存せずにはいられない
  • コミュニケーション能力に乏しい
  • 他人との境界があいまいである
  • 信頼感を喪失している
  • 怒りの感情が正常に働かない
  • セックスが楽しめない
  • 行動が両極端である

メロディ・ビーティ 『共依存症いつも他人に振りまわされる人たち』 講談社、1999年4月ISBN 4062690675

Wikipedia 共依存より抜粋

 

(上についてはこちらを見ると参考になる)

虐待を受けて育ち、共依存相手と結婚をし、ほどなく破綻したある知り合いには、見事なほどにこれらの多くが当てはまる。

 

こうした人は親の共依存・支配から脱することに失敗し、やがて支配を受け入れ、親が死ぬまで支配され続けることすらあるらしい。

また、共依存出来る相手を求め続け、破綻をしては求めることを繰り返しやすいらしい。

その結果、生きづらく、幸せになることが非常に困難な一生を送りやすいようだ。

なんとも哀れだ。

親は子供を独立させるために存在するというのに、虐待し、思うままに支配し、独立を阻み、子供を依存させ続ける。親の子離れ問題でもある。

境界性パーソナリティ障害の妻をもつ人のツイート

すごいものを見つけてしまった。

境界性パーソナリティ障害(BPD、ボーダー、ボダ)の妻をもつ人のアカウント。

ひたすら妻に対する不満等をつぶやいている。

なかなか壮絶だ。離婚すればいいのに、と他人としてはまず思う。

ちなみに、ODとは過量服薬のこと。睡眠導入剤などを10日分とか。しかし、その程度では命の危険には至らない。

 

BPDの人は他人を巻き込み振り回し、ぐさぐさに傷つけることが多い。

結婚した相手がBPDだと、離婚というケースも多いし、そもそも多くが結婚に至らない。

BPD本人も生きづらくて辛いのだけど、人間関係をうまく構築できない精神障害で、のみならず人間関係に入り込んで破壊するというとんでもないことをやってしまう。

そのために、たとえ治療を受けに来ても医師やカウンセラ、看護師等もぼろぼろにされることがあり、入院の場合には他の患者にまで被害を及ぼす。

BPDお断りの精神科もあるという。BPDの人には入院して欲しくないという看護師の書き込みを見たこともある。

女性に多く、20~30代に多いとか。まじめで責任感の強い男性をターゲットとして近付き、恐ろしいほどの不幸な身の上話をして同情を買い、一旦取り入ったらその男性を心身がぼろぼろになるまで振り回し続ける。不思議な(特に性的な)魅力があるらしく、男性はなかなか離れられない。BPDの人は理想化と脱価値化を繰り返して同じ人に付いたり離れたりを繰り返すことがあり、男性が疲弊してついには自殺することも結構あるらしい。

***

本業の精神科ですらもてあますので、素人が何をやってもどうにもならない。だから、BPDの人に捕まったら全力で逃げろと、経験者のみならず、精神障害の支援関係者、医師等が口を揃えて言う。かかりつけの医師は、いざというときは相談先を紹介できる、とも。

詳しくは、ネットを検索してみるといい。

ボーダー 被害」でいろいろなものが出てくる。

 

典型的なパターンについてはこれあたりがわかりやすいのかもしれない。

 

http://agora-web.jp/archives/1439250.html

頑張れ!

仕事柄、いろいろな子供たちに接する。
中には精神的な虐待、教育虐待を受けているような子もいる。進学校では多いようだ。

そうした中には、希死念慮でリストカット、自殺未遂を繰り返すような子もいる。
あるいは、完全に自分の意志を失い、親の支配下でさながら親の命令に従うロボットのようになっているような子もいる。

そうした子たちの将来は、大概厳しいものになる。精神科にかかり入院をする子もいるし、自覚ないまま苦しみ続ける子もいる。

虐待をする親とされる子は、共依存と呼ばれる関係になっている。
子供は親の保護がなければ生きていけない。なんとしても親にしがみつこうとする。親はそれを利用して思うままの要求を突きつけ実行させる。子は親に依存して生きるのはあたり前であるが、親がそれを利用して意のままに支配する。子が親に親に否応なく依存することを利用して支配被支配の関係を作っているのだ。

この親は大概子が大きくなっても独立を阻もうとし、死ぬまで支配を続ける。子は独立を試行するが、共依存の人間関係しか作れず結婚に失敗し当然独立にも失敗、結局、それ見たことかという親の支配下に戻ることも多いらしい。

共依存を経験した被虐待者は、周囲の人間関係で自分がされたのと同じ共依存関係を作ろうとすることが多いらしい。自分に依存させられそうなターゲットを探し、支配下に置こうとする。
一番分かりやすいのが恋人や結婚相手だ。だらしのない、何かの問題を抱えた、あるいはミュージシャン志望などで自力では生活が成り立たない様な者を金銭面や生活上で自分に依存させ、支配してしまう。逃れられないようにして相手を縛り付ける。支配下に置くことで、虐待親がやっていたように相手を傷つけ奪うことを続ける苦しい関係になってしまう。
万が一にもまじめに働こうとしたり、夢が実現しかけてしまったら、それを阻もうとする。自分に依存させられなくなっては支配が出来なくなるからだ。
しかし、決して縁が切れることがない親子関係と違い、他人との関係は簡単に切れる。共依存の関係など必ず破綻する。

しかし、共依存という人間関係しか知らない被虐待者は、次の共依存相手を探し続ける。

また、子供をもうけても、自分がされたように子を支配し、虐待してしまうことが多い。虐待の世代間連鎖は極めて起こりやすいと言われている。

***

卒業生達の中には、この共依存を乗り越えて、幸せに生活をしている人もいる。ただし、乗り越えるのはかなりの苦しみと、それを支えるパートナーの存在あってこそだったという。

別の卒業生は、リストカットを繰り返したものの、やはりよいパートナーに支えられ、苦しい状態を乗り越え、今は子供を育てなから未来を見据えて生きている。

なかには一切に目をつぶり、自身の生きづらさの原因を見据えなんとかしようとすることなく生きている人もいる。自覚がないから治療を受けることもなく、今後もずっと生きづらさを抱えながら生きて行くことになるのだろう。

兎にも角にも、それぞれに頑張って生きているのではある。

本当は自分で自分の問題をとらえ、それを解決出来ればいいのだが、残念ながらそうも行かないようなのだ。

自分で気付き、自分自身に向き合って行くには、それなりの聡明さ、自分を分析する力を必要とするらしい。支配が強すぎたのか、一切の問題を思考停止や記憶の書き換え、感情の抑制で乗り切ろうとしてしまう人は、どうやっても自分と向き合うことができない。

きちんと自分と向き合えた人は、自分が自分が受けたような虐待をしてしまうのではないかとおびえつつも子供を育て、子供と向き合い、未来を語っている。

***

パーソナリティ障害などの精神的な問題の治療を受けるかどうかは、本人が望むかどうかだ。本人が生きづらさを自覚し、何とかしたいと思うことで、治療も可能になる。自殺未遂を繰り返したり、反社会行動などでもない限りは、強制的に治療を受けさせることは出来ない。

残念ながら、自覚を持たないまま問題のある行動を続ける人も少なくないようだ。特に他人を巻き込みやすいものに境界性パーソナリティ障害や自己愛パーソナリティ障害がある。

精神的な問題を抱え苦しんでいる人も、それを乗り越えた人も、精神障害のある人に振り回されて傷つき苦労している人達も、それを支援する人達も、みんなみんな、頑張れ、と言いたい。

 

そして、自覚ないまま苦しみを抱え、他人を巻き込み振り回してしまっているような人達には、自分自身と向き合うべく頑張れ、と。

対話と会話

(みんカラからの転載)
 対話と会話は、似通っているが、意識して異なる意味に使われることが多いように感じる。
辞書(大辞林 第三版)によれば

対話
 双方向かい合って話をすること。また、その話。比喩的にも用いる。 「 -しようと努める」 「親子間の-」 「歴史との-」

会話
① 二人または数人が、互いに話したり聞いたりして、共通の話を進めること。また、その話。 「 -を交わす」
② 特に、外国語で話し合うこと。 「英-」

となっており、対話が相対する人同士のやり取りの内容に重きを置いているのに対し、会話はやり取りそのものを表すニュアンスを感じる。

 ネットでググるとやはりそうしたニュアンスでとらえてこのふたつの概念を対比させているものがある。

***

 長年疎遠だったある人から声をかけられ、以来FacebookのメッセンジャーやLINEなどでやり取りをしていた。確かにやり取りがあり、楽しいと感じたり、おかしげなプレッシャーを与えられ半ば強引に相手の意図通りのことを答えられさせられたりしたものの、ふと後から振り返ると、結局何も本質的なことを話せていなかったな、と思った。会話はあっても対話になっていなかったなと。

 たとえば、恋人同士であれば、何をやり取りしても楽しい時期があるだろう。相手を勝手に美化したり、やり取りしているという事実が感情を高めてしまったりする。しかし、気付いてみれば二人の関係、将来について話し合うわけでなく、単にやり取り、会話に酔っているに過ぎなかったりする。
 そういう時期を過ぎると、お互いの関係を前向きに進めていくための対話がはじまる。場合によってはそのあたりで別れがあるかも知れない。ともかくも、お互い相手を見詰め、相手と自分の関係をしっかり考えて、確認していくようになる。単なる会話ではなく、将来を見据えた対話になっていくのだ。

***

 会話をしても、対話が成り立たないというのは、そもそも相手のことを考えたり尊重したりしていないからなのだろう。
 初期の恋人同士の会話は、自分の脳の中にいる相手と会話しているようなもので、ほとんど相手のことなど見ていない。脳が本来の感覚を麻痺させて快感に酔いしれる状態を作ってしまっている。冷静に相手のことなど見ていない。
 それを入り口に関係が出来ていくのだから、ヒトとはそう言うものなのだろう。そうやって男女が引き合うように出来ているらしい。扁桃体やらA10神経やらが我々をそういう方向にコントロールしている。
甘い会話の快感に酔いしれる時期を過ぎると、いよいよ人間としての関係を煮詰める時期に入る。冷静に物事を考えられるようになる。
 相手を尊重しつつ、自分の思いを整理したり主張しながら、関係を作っていく。ここには対話がなければどうしようもない。
 いくら相手が自分の思うような存在ではないと思ったところで、本当にそうかどうかも対話してみなければ分からない。対話によって自分が思っていることとは違う、前向きな発見もあるかも知れない。そうして関係を成熟させていく。

 ベターハーフという言葉がある。

 本来は、1つだったものが別れて別々になった存在。それがもう一度一つになる。それが夫婦であると。
 しかし、現実にはそんなことはあり得ない。そんな都合のよい存在に出会うことなど、まずないだろう。この人こそベターハーフだと思っても、それはほとんどの場合勘違いだ。ビビッと来た人と結婚して幸せになるというのはかなり難しいだろう。
 結局、ベターハーフになるしかない。お互いの努力によってよりよき相手になっていくしかないのだ。そこでは相手を理解し、相手と対話を続けて行くしかない。
 そこにたどり着けない相手はもちろんいるし、その相手にいくら頑張ってみても仕方が無い。好きという感情と、パートナーとしてやっていけるかどうかは違う。
どうしてもうまく行かないなら、あきらめて新たな相手を探すしかない。どちらかが自分の感情だけに埋没してストーカー化しても仕方が無い。

 知りあいの中には、精神的に病んでいる時期に出会った、特段愛情をもてなかった相手と結婚し、その相手によって病んだ状態から見事に立ち直ることができた人もいる。相手の愛情と互いの努力によって救われたのだ。もちろん、本人に聡明さがあったからこそ自分を見つめ直すことが出来たわけで、本人が自覚しない限りはおそらくうまくいかなかっただろう。乗り越えるためには自分の問題に向き合う非常に苦しい時期があったと言っていた。そこを支えたのが相手の人であったわけだ。

 恋愛感情など単なる入り口に過ぎない。その向こうを見据えることが出来てこそ関係はなり立つ。

***

 しかし、損得勘定や共依存を求めて相手を決めて、そのまま精神的に不幸な結婚生活を続けている人を知っているし、あっという間に関係が崩壊したような人も知っている。結局人同士をつなぎ止めるのは愛情なのだろう。
 そもそも共依存なんて、絶対に関係がなくなることがない親子関係でしか成立しない絶対的強制的支配関係だ(虐待の中で成立する異常な関係)。全くの他人との間にもとめても必ず破綻するに決まっている。
ステップアップの中でしか、関係は深められそうにない。最初から完璧な相手、完璧な関係などあろうはずがない。会話ではなく、対話の中で作り上げていくしかない。

 なんの対話もなく、ただ都合のいい相手はいないかと追い求めることは、メーテルリンクの「青い鳥」になぞらえて、俗に青い鳥症候群などという。

***

 いくら会話が楽しくても、対話がなければ人間同士の関係は深まらない。
 これは男女に限らずだ。
 日本人は対話を嫌がる傾向が強い。空気を読め、察しろという。これは最近になっても変わらないし、KY(空気読めない)などとむしろ若い世代でも強く意識されるようになっている。
 その結果、ひどく議論が下手で、同調圧力の強いムラ社会ばかりがそこかしこに構成され、同調しないものは人格攻撃で貶めることがあたり前になっている。
 今や、社会一般にこういうことが広く見られるようになっている。その結果、自分たちと違うと感じるものを激しく攻撃したり、排除しようとしたり、言葉で貶めたりする。

 日本のメディアだけ見ても気がつきにくいが、日本は国際的に孤立しようとし、経済的には完全に取り残されている。今や中国の遙か後で、なにかと下に見てきた韓国の後塵を拝する状態になっている。

 この日本の現状は、自分たちの価値観に閉じこもり、その場限りの会話ばかりを重視し、かんじんの対話のなさに起因しているように思われるのだが。

Endless Love


TITLE : Endless_love     DATE : 1998/3/20

Endless love
(Poem by 轟木敏秀)

あなたを愛してる
愛しくて悲しくて
一秒でもながく
あなたを感じていたい
どこまでも蒼い無音の中に
ふたり抱き合い
愛に満ちた泡になって
あなたの息づかいも
あなたの鼓動も
すべて私のもの
私の想いも
私のこころも
すべてあなたのもの
とても暖かく
心穏やかにたおやかに
すべてを忘れ
永遠の時の中を
揺れながら漂いながら

*  *

このイラストは、依頼により描いたものである。
当時、私はアマチュアのイラストレーターとして、時折Niftyserve,その後はインターネット上にHPを開設しイラストを公開していた。
ある日メールでイラストの依頼を受け取った。そのメールの主は轟木敏秀氏。
氏はホームページを公開されていたのだが、訪れてショックを受けた。氏は筋ジストロフィーの患者で、筋肉が萎縮し、いずれ遠くないうちに若くして亡くなると言う方だったのだ。

その氏が恋人のためにイラストを送りたい。それを描いて欲しいというのだ。その依頼を受けて出来上がったのがこのイラストだ。

その後、轟木敏秀氏は平成10年8月3日永眠されている。

HPは主治医の福永秀敏氏が著作権を継承し、今も公開されている。
福永秀敏氏は著作の中で轟木敏秀氏について触れられており、本イラストも収録されている。

[轟木敏秀のホームページ]

心の病

心の病に関心を持つ人は、おそらく自分自身の心に何かを抱えている人が多い。

知りあいの結婚相手は某メーカーのカウンセラーだが、やはり自身の心に問題を抱えていると言っていた。臨床心理士を目指す人、実際になっている人も、そういう人が多いらしい。

自分自身も大学では随分心理の講義をとったり個人的に勉強したし、卒業後、学校現場があまりに子供たちの心理的問題に無関心であったので、一時は臨床心理士の資格を取ろうかと考えたこともある。

それも結局は自分自身の中に抱えていた問題の解決をもとめてさまよったあげくでもある。

またいずれ、このあたりの話を書いていければと思っている。