飲み込まれ不安

BPDやアダルトチルドレンについて、「見捨てられ不安」の一方で、「飲み込まれ不安(恐怖)」が言われることがある。

 

愛情を求めるが、いつか捨てられるのではないか、という不安が根本にあってしがみつくなどの行動をしてしまう。

一方で、近付きすぎると自分が自分でいられなくなってしまう、自分が飲み込まれて相手の一部にされてしまうような恐怖がわき上がるらしい。

近付いて一体になりたいのに、独立していたいという、矛盾した欲求で激しく行き来してしまう。

ボーダーの人は、他者に没入したい衝動と、自立願望の間で引き裂かれます。

ある時は親密さや保護を求め、ある時はあなたを遠ざけようとし、つじつまが合わないものになります。

・コントロールを失うことへの恐れ

ボーダーの人は、人が近づきすぎると飲み込まれそうに感じたり、コントロールを失うような恐怖を感じます。

あなたが彼らと親密になり、彼らの本当の姿を目にすると、不快感を覚え、彼らから離れていくことを、彼らは恐れています。そして傷つくことを恐れて、距離を取るようになります。

しかし 距離を取れば孤独になり、見捨てられ不安は強まります。再び死に物狂いで親密さを求め、このサイクルが繰り返されるのです。

サイクルは数日,数週間,数ヶ月,数年単位かもしれません。

親密度が高まるほど、見捨てられや飲み込まれの問題も深刻になります。

出典:「境界性パーソナリティ障害=BPD」第2版 (星和書店)

BPDやアダルトチルドレンの不安は底なしだ。

 

解離性同一性障害はBPDの特殊な形態?

あるBPDの傾向を感じる人と接していたとき、顔つき、声、しゃべり方、態度が大きく変わり、突然乱暴な口のきき方をして罵りはじめる。さながら人格交代が起きたのではないかと思うように感じたことが何度かあった。それだけでなく、すくなくとも人格が3つぐらいに感じた。

BPDと解離性同一性障害(DID)は、表面上は似通って見える部分が多い。そのため、誤診も多いそうだし、実際には重なっているのかも知れない。
DIDが明確な人は、完全に交代してしまい記憶が途切れる場合もあるし、自分の中で複数の人格が会話をしたり、他の人格が出ているのを見ている状態であることもあると言う。
多数の人格が同居していると言うことは、常人には理解しがたい。
しかし、最近ではDIDと診断されることが日本でも増えていて(しかし、精神科医でもDIDの理解度はまちまちで、DIDを否定する人もいるらしく、DIDがBPDや統合失調症と誤診されることはよくあるらしい)、先日のエントリーのように、ネットに本人が動画を投稿しているものも見るようになっている。

BPDの人が突然形相を変え、別人のように怒りをぶちまけることはよくあると言うが、瞬間的に攻撃的な他の人格に交代しているケースもあるのかも知れない。

BPDの特殊な形態がDIDであると考える人もいるようだ。


BPD のすべて
著者: ジェロルド・J. クライスマン、 ハルストラウス

DIDは、多数の人格が共存すると言うより、人格が分裂していて一人の多様な部分がそれぞれに現れていると考えているようだ(それが故に今は多重人格ではなく、解離性同一性障害という)。多重人格について我々はビリー・ミリガンのケースを思い浮かべがちで、ダニエル・キースによってドキュメンタリーとしてかかれたものを見て、独立した人格が多数存在しているイメージを持ちがちだ。DIDを自称する人も、別の人格と認識しているようだ。しかしハードウエアは同一だから、その脳の使われ方が人格ごとに変わっているのだろうと想像をしたりもする。一つの脳に一つの人格が育ち、BPDがストレスから守るべく記憶や感情をなくす解離症状がより強くなったものがDIDという解釈も理解できる。虐待などの強いストレスによってDIDが生じている事実は、分裂によってつらい記憶を切り離すことでストレスから待避した結果と考えられる。

解離が見られやすいBPDを考えると、前に取りあげた様な表面的な類似だけではないのかも知れない。

自分が接した人が精神科でBPDと診断されるかどうかわからないのだが、精神的な幼さの一方で、人格様の変化がある人というのは今まで出会ったことがなかった。たくさんの人と出会い、自分の割とセンシティブな感覚で相手の心の動きを感じてきたが、人格の同一性、安定性は保たれている人ばかりだった。突然怒りが爆発する人間は複数知っているが、単に感情がコントロールできないだけで脈絡はあり、同一性は保たれていた。脈絡が読めない人格的な変化が突然起こる人というのは経験が無く、他人の心の動きを感じ取りやすい自分にとって経験の無い唐突な変化は理解不能だった。だから人格の交代を疑ったのだ。それぐらい変化が唐突で激しかった。

他のBPDが疑われた人については、人格が大きく変化するような場面には出会ったことがない。初対面から異常なまでの親愛を示すので危険を感じ、全力で離れたので詳細はよく分からない。感情のアップダウンが激しく精神的に不安定なところがあり、他人をとり込むための都合のよい嘘をつき、不倫であろうがこれと思った他人に依存をし、他人の人間関係を破壊するという典型的な行動があり、あとからBPDをうたがったのである。自分は逃げたにもかかわらず、他人をとり込むために「ひどいことをされた被害者」を装うためのネタに使われ、職場での人間関係を破壊されてしまった。

もっと近い位置であれば人格変化様のものを目の当たりにすることもあったのかも知れないし、単に感情が大きく変わるだけだったかも知れない。それは分からない。

BPDは感情コントロールが出来ないだけなのか、解離性が強く人格交代的な変化が起きているものなのか。BPDの診断基準では区別できない。BPDの人と多く接してみないとそこはよく分からないし、どちらもあるのかも知れない。

 

BPDの人が書いているものを見ても、自我の同一性は保たれているように見え、自己同一性にあやふやな感じがあり、自分のコントロールが効かない極端な価値判断、感情の急峻な変化が起こるために戸惑っているように見える。

もっと解離性の強い人では違うのだろうか。おそらくは程度問題なのだろうと私は思う。人格交代に近い、エピソードは共有しているが、表層を入れ替えて外との対応をしているようなことはありそうに思っている。

しかし、もっといろいろなものを見たり、実際に当人にあってみたりしないと分かりそうにない。

 

 

 

扁桃体とBPD

たった6回だけ投稿された、BPD本人によるブログ。

その中の1回。


テーマ:
 

彼と出会ったことで、ようやく自分も幸せを掴んでいい番なんだと、これがゴールだと、お互い結婚も意識して、それを目標にしてきたのに、

彼自身の問題、二人の問題、それらが、気づけばもう修復できないほどに、私の心を傷つけていて、突然心が折れてしまった。

結婚まで考えていたのに、自分の心が折れるなんて、もう自分の感情が信用できない。

今日自分が思っていることが、明日には変わるかもしれない。

自分が一番信用できない。

もう恋愛したくない。

もう男性に心を開きたくない。

この先、無理やりにでも私の心の鍵を開けてくれる人がいない限り、恋愛に幻想を抱かない。

期待しない。

私は一人で生きていく。

希望なんてなくていい。

期待しなければ傷つかない。

もう精神が掻き乱れるのは嫌。

こんな気持ちもまた変わってしまうのかもしれない。

やっぱり自分が信用できない。

せめて人を、巻き込まなければいいのかもしれない。

https://ameblo.jp/nozomi–0114/entry-11772070151.html

(改行位置は変更している)

BPDの人は、本当に些細なきっかけ、あるいは妄想で突然不安に襲われたり、精神的に不安定になったり、考えが大きく変わってしまったりもする。

彼らは、自分が突然変わってしまうことに戸惑う。自分が分からないと思う。自分自身をコントロールできない状態にある。

好き嫌い、価値評価を判断する大脳辺縁系にある扁桃体に異常があると、不安を抑えきれなくなると言われているが、BPDはそれに似ている。実際扁桃体の萎縮が見られるというし、扁桃体の過剰活動で恐怖や不安が呼び起こされていると考えられているようだ。

扁桃体の発達は子供の頃のストレスに影響されるらしい。そのために虐待や恐怖経験が扁桃体の萎縮(ストレスの種類によっては増大)や活動異常を起こしてしまうらしい。

参考:

脳科学からみた子ども虐待
~児童虐待・ネグレクトが及ぼす神経生物学的影響~
2015 年11 月3 日(祝)福岡女学院大学ギール記念講堂
講師:マーチン・H・タイチャー(ハーバード大学医学部精神科准教授)

↑非常に興味深い内容を含んでいる。

 

解離性同一性障害と区別がつきにくいBPD

あるBPDが寛解しているというかたのブログを見たら、今は解離性同一性障害(DID)と診断されているという。BPD人格はお休み中と解釈しているらしい。

DIDは、いわゆる多重人格で、強いストレス、虐待などによって生じやすいと言われる。

DSMの診断基準に従うと、DIDとBPDは表面的に似通っているだけでなくBPDの診断基準が広めなのでDIDを含んでしまうと言う。

 

Wikipedia 解離性同一性障害 からの引用。

境界性パーソナリティ障害
DIDは自分が別れる(解離)のに対して、境界性パーソナリティ障害(以下BPD)の特徴は相手を分ける(スプリッティング)ことである。 DIDとBPDは両者とも分裂した自己像を持つが、それらが外部に投影されるか否によって、構造の差異が明確となる。 解離性同一性障害の場合、虐待者により虐待の秘密を口外することを禁じられるなどした場合、投影や外在化の機制が強く抑制され、葛藤を内部で処理するため病的な解離へと発展する。 それに対して、BPDのスプリッティングは分裂した自己が外部に投影されるため、周囲を非難し攻撃するが、解離のように自己間に完全な意識の断絶は生じていない[111]。BPDの印象を記述すれば「人が変わったように」「行動が極端から極端に激しく揺れる」となる。 周囲の人間を「良い人」「悪いやつ」の両極端に分ける。 「良い人」あつかいだったものが突然「悪いやつ」に変わる。 攻撃性を他者へ向けるなどである。 しかしこのBPDと解離性障害の鑑別も難しいとされる。 というのはBPDと解離性障害は非常に近い関係にあると認識されており、DSM-IV-TRではBPDの定義の9番目に「一過性のストレス関連性の被害念慮または重篤な解離性症状」が含まれている[112]。 それだけではなく、DSM-IV-TRのBPD診断基準は幅広であり、多くの解離性障害患者はBPDの基準も満たしてしまう[注 57]。 そしてDIDを含む解離性障害の診断がなされても、BPDも併記されてしまうことになる[113]。 さらにBPDを狭く定義しても、実際にDIDと併発している場合もある。しかし併記ならDIDの治療も受けられるが、DIDの患者は人格の交代を隠しており、つじつまの合わない言動に対して言い訳を用意している。 そしてその人格の交代が小心で臆病な人格から攻撃的で自己主張の強い人格に変わった場合には、人格交代に気がつかない限り、その極端な変貌はBPDに見えてしまいDIDには気づかれずに誤診されることが多い[114]。 BPDへの医師の接し方は淡々と接して「良い人」「悪いやつ」に巻き込まれないこととされる[115]。 しかしDIDの場合は相手の反応にとても敏感でありその心を読むことに長けている。 長けすぎていて医師のため息ひとつで見捨てられたと絶望し[116]、心を閉じてしまうことすらある。 DIDであることに気づかず、BPDとして扱うと治療はおぼつかない。https://ja.wikipedia.org/wiki/解離性同一性障害

DIDの人格交替はトランス状態を経るとよく書いてあるから、目の前で豹変した場合区別がつきそうなものだが、どうも実際はそう言うものでもなく、相当人によって違うようで、いきなりぽんと出てくるようなこともあるらしい(下の動画参照)。そうなると外から区別がつかないかも知れない。

そうなると、突然別人のように口調や態度が乱暴なものに変わりすぐ戻ることがある人がいたら、それだけではBPDなのかDIDなのかわからない。

 

https://www.youtube.com/watch?v=GLMxMiXDEH4

しかしながら、基本的な防衛機制が異なるので、BPDとDIDは区別がつくという。

1.激しく攻撃的⇔穏やかで優しい
…ボーダーラインの人は激しく不安定だが、解離性障害の人は穏やか
2.相手にぶつける「投影」⇔自分に抱え込む「取り入れ」
…ボーダーラインの人は怒りをぶつけるが、解離性障害の人は溜め込む3.他人を分ける⇔自分を分ける
…ボーダーラインの人は他人を二極化するが、解離性障害の人は自分の心を分割する

4.自分がからっぽ⇔自分はたくさん
…ボーダーラインの人の心は空虚だが、解離性障害の人は豊かな内的世界を持っている

5.すぐに親しむ浅い関係⇔時間はかかるが深い関係
…ボーダーラインの人はすぐ人を理想化するが、解離性障害の人は根深い不信感を持っている

6.現実にしがみつく⇔現実から逃れるリストカット
…ボーダーラインの人は現実にしがみつくために、解離性障害の人は現実から逃れるためにリストカットする

7.親への執着⇔親との関係が希薄
…ボーダーラインの人は親からの見捨てられ不安がベースにあり、解離性障害の人は親への絶望がベースにある

その一つについて。

対人関係のストレスに対処するとき、わたしたちはみな、この「投影」か「取り入れ」か、どちらかの方法をおもに用いています。

「投影」とは、たとえば問題点を指摘されたとき、アドバイスを受け入れるかわりに、「あんたこそそういう点が問題だ!」それを跳ね返すことです。

いっぽう、「取り入れ」とは、「確かに自分には問題がある…」と受け入れることです。

わたしたちの大半は、この二つをバランスよく用いて日々の人間関係に対処しています。

しかし、ボーダーラインと解離性障害の人は、この防衛機制の用い方が極端に偏っています。

ボーダーラインの人は、「投影」を用いることが非常に多く、何かを指摘されたときに反発して攻撃的になり、つい相手をこきおろしてしまうことがよくあります。

しかし解離性障害の人は「取り入れ」ばかりを用い、何を言われても反論せず、不満や怒りは自分の内側に溜め込んでしまいます。しまいに溜め込まれた怒りが、攻撃的な別人格を形成して、時々人格交代することもあります。

そのようなボーダーラインの「投影」戦略と、解離性障害の「取り入れ」戦略の違いは、こう説明されています。

ボーダーラインの場合は、思春期前に、親が自分を物のように扱っていたと考えるようになって、そして恨みに変わっていったという感じです。

でも解離の場合は、小さいころからどんどん内側にためていって、別の人格をつくってしまう、怒りさえも意識しないという感じです。(p208)

解離の舞台―症状構造と治療 で、柴山雅俊先生は、それを「我の強さ」に置き換えて表現しています。

解離の患者は、他者と対峙したとき相手を押し返す力が概して弱い。自己主張や自己表現が苦手で、傷ついたり不快を感じたりしても、(人格交代しない限りは)相手に抗議することができない。

外界を変えようとする(alloplastic)のではなく、自らを変容させること(autoplastic)によって困難な状況を生き延びようとする(フェレンツィ 2000)と言ってもよい。

このあたりは境界性パーソナリティ障害に見られるある種の我の強さと対照的であろう。(p228)

解離性障害の人は、批判されても言い返すのが苦手で、自己を変容させる「我の弱さ」が特徴で、境界性パーソナリティ障害の人は逆に、批判に応酬する「我の強さ」が特徴です。

このような人間関係への対処の仕方の違いが、穏やかで優しい解離性障害と、攻撃的で激しいボーダーラインという違いをもたらすのです。
https://susumu-akashi.com/2015/10/bpd-dd/

その他、様々な違いがあり、区別がつくという。

詳しくはリンク先を参照。

アダルトチルドレンと見捨てられ不安

アダルトチルドレンは精神科で扱う診断名ではなく、パーソナリティ障害(PD)と重なるより広い概念だ。

そのため、BPDの見捨てられ不安試し行為はアダルトチルドレンでもある。

私は、BPDが「見捨てられ不安」のためにしがみつくばかりではなく、自ら相手を捨ててしまうと言う行動に強い関心を持っているが、アダルトチルドレンの解説の中にも同様の行動が示されていたので引用する。

 

アダルトチルドレンの傾向~「自分から捨てる」という人もいる

「見捨てられ不安」からくるアダルトチルドレンの人間不信

あまりに見捨てられ不安が強いと、「相手が離れていったときに自分が苦しむのは辛いから、こちらから捨てる」という行動に走る場合もあるそう。

せっかくお友達になったのに、相手を疑う気持ちが強すぎるために「常に離れていく不安」を考えることが辛くなってきてしまうのです。このため、首の皮一枚でつながっている様な感覚に陥ってしまい、「いっそのこと自分から切る」という極端な行動に走ってしまうのです。

それ以前に、相手がせっかく好意をもっていても「どうせ信用したところで相手は離れていくんだから」という疑心暗鬼な状態から抜け出すことができず、友達を作れない場合も。

「見捨てられ不安」というと、相手にしがみついてしまうあまり「相手から見捨てられてしまう」という発想の人が多いのですが、このように自分から関りを絶ったり、そもそも関わらろうとしないケースもあります。どちらにせよ、心の底には深い人間不信がありますので、当人は大きな寂しさを抱えてしまっています。

アダルトチルドレンを克服したい人のための体験談サイト
http://xn--cck0cd1ag5rcj7d1389bu96b.net/dpzoi-qfhm/

常に不安が付きまとう!見捨てられ不安の特徴①
見捨てられ不安を抱えたまま大人になってしまうと、人間関係で問題が起こるようになるになります。子どもの頃の親に対しての不安を他者に向けてしまうのです。恋人や友達と付き合っている時でも、心のどこかで「見捨てられるのではないか」という不安を抱えてします。大切な人を遠ざけたり、攻撃する
そして、些細なことで「自分は見捨てられた」、「裏切られた」と思ってしまい、友達や恋人を遠ざけたり、攻撃してしまうのです。周囲の人にとっては、なぜいきなり避けられるのか、攻撃されるのかわかりませんから、次第に距離を置くようになります。見捨てられ不安が原因で他者を遠ざけたり、攻撃したりすることを繰り返していると、十分な信頼関係を気づくことが出来ません。これが、アダルトチルドレンの生きづらさの一つになるのです。アダルトチルドレンを克服したい人のための体験談サイト
http://xn--cck0cd1ag5rcj7d1389bu96b.net/xstsg-kdqs/

 

アダルトチルドレンの特徴、3つめは「自分はいつか捨てられる」という【見捨てられ不安】です。

この見捨てられ不安を持ってしまうと、

捨てられないように相手に合わせようとする
捨てないか、捨てる気になっていないか常に確認しようとする
捨てられるくらいならこっちから捨ててやる、と起こりもしない未来予測をしがち
どうせ自分は捨てられるに決まっている、と、最初から関わりを持とうとしない
相手が自分と違う考えを持つことが許せず、正当性を主張しようと躍起になる
これらの特徴が出がち。

へりくだっていても、上から目線で偉そうにしていても、奥にあるのは「自分はいつか捨てられる」という想い。

この想いを克服していかない限り、人生に望ましくない結果をもたらし続けるのです。

AC大阪
http://ac-counseling-osaka.net/tokucho/

この見捨てられ不安を克服していかないとBPD/ACに平穏はないのだろう。見捨てられることはないのだという安心を得られることが必要だが、彼らは大切な人に見捨てられまいと相手にしがみつくあまり試し行為を繰り返して相手を苦しめ、離れらえてしまったり、自ら相手を遠ざけたりするために、関係を自ら壊してしまう。

それを超えることが家族やパートナー、支援者の大きな課題と言える。ただ従い続けるのではなく、腫れ物を触るように扱うのでもなく。

対応の仕方を学ばなければならない。

たとえば次のようなページを参考にしてみるとよいだろう。ランディ・クリーガーのワークショップをまとめたものだ。

境界性パーソナリティ障害(BPD)の方を周囲から見守る人のための
5つのパワーツール

http://www.solea.main.jp/?eid=652292

 

見捨てられ不安と共依存の話

BPDに特徴的と言える「見捨てられ不安」が、共依存とも関係が深いという話を引用する。例によってBPD家族会のログから。

見捨てられ不安の本質?

bpdfamily (2011年9月10日 08:50)

BPDの根源に他の人より特に強い見捨てられ不安があると言われています。

ASK選書14に「苦しさの一番奥にあるのは見捨てられ不安だった」というブックレットがありますが、その中で、臨床心理士の遠藤優子さんはユニークな観点から、見捨てられ不安をとりあげられています。そうなんだろうなあとも感じます。以下は遠藤さんの文章の要約です。

見捨てられ不安とは人間間関係の問題ではありません。これは自己愛の問題です。見捨てられ不安は存在の不安として自覚されます。自分はここにいてもいいのだろうかという不安です。このような自己肯定の問題があるために、ここにいても大丈夫だという承認欲求が生まれます。大事にして欲しい、愛して欲しいという欲求です。

やっかいなことにこの欲求は決して言葉では表現されません。「私を認めて欲しい」「大事にして欲しい」と自分から頼んだとしたら、頼んだものが得られてもちっとも満たされないからです。

「こうして欲しい」と一切表現せず、相手が自ずから気づいてくれて、相手自身の願望で大事にしてくれたり、愛してくれるのでなければ意味がないのです。

しかし、どうして欲しいか言葉にしなければわかりません。「言わずに察して満たして欲しい」という承認欲求が強くなればなるほど、見捨てられ不安も強くなります。さらに、相手は自分の欲求に応えてくれずに見捨てるにちがいないという予期不安まで出てきます。しかし、こんな欲求に応えられる相手なんて現実にはあり得ないわけです。

例えば、摂食障害は「弱さを表現していい病気だ」と言われています。何らかの形で「私を愛して」「私を認めて」と表現するのです。

見捨てられ不安が人間関係の問題というよりも、本人の自己愛の問題だとすると、どうすればよいか。それはその瞬間瞬間に自分に向けられた承認や愛情を本人が受け止められるようにすることです。例えば、誰かがにっこり笑ってあいさつしてくれたとか、誰かがその服素敵だねと声をかけてくれたとか。些細なことでもそれがたまっていけば「この世界もなかなかいいものだ。自分もこの世界に受け入れられているようだ」という感覚が養われていきます。

以上が遠藤さんの文章です。

よく、心理学の本なんかに赤ちゃんとお母さんの関係が出てきます。小さい頃は遊びに夢中になってしまい、気づいたらお母さん(絶対的な安心・安全な対象)が近くにいないで、どこかに行ってしまった状況を認識すると、赤ちゃんは必死に泣き叫ぶ。しかし、ある程度大きくなって、「心の中にお母さん」ができてくると、たまにいなくなっても混乱しなくなる。さらに安全基地が家にあると、外にでかけて他の人に接するという冒険もできてくる。何かあったら泣きながら家に帰ってきて、お母さんに抱っこしてもらう。こんなことを繰り返しながらだんだん、親との距離をとりながら自立していく。そのうち、親に代わる安心・安全対象(恋人)を見つけ、そこがその人の安全基地になるということかなと思います。

BPDの人は言わないでもわかって欲しいではなく、やはり口に出して言う練習、相手の方はBPDの人が言いやすい環境作り(正論を言うのではなく、まずは聴く)によって、問題行動(リストカット等)を減らすことができるような感じもします。

 

相手自身の意志によって愛されたいという欲求を持ち、それを自分が表現することなく満たされることを望む。しかし表現しないから、見捨てられるのではないかという不安も大きくなる。そんな一人相撲をしているのがBPDだと。

ここにはないが、一方で好きだと言われてもその気持ちを疑うのもBPDだ。「自分が本当に好かれるはずがない、今はそんなことを言っていても本心ではなく、いずれ見捨てられるのではないか、何か他の狙いがあるのではないか」そういう猜疑心に埋もれていくのだろう。そして相手が降参して離れていくまで相手の愛を試し続ける。

結局は自分という存在に全く自信が持てないからそう思うのだし、それは虐待などの生育歴によるところが大きいだろう。

BPDの人自身がきちんと自分の思いを口に出せて伝えられることがとても大切なはずで、それができるようにして行くことが課題なのだとは、指摘の通りだと思う。

 


アダルトチルドレン(AC)にみられる共依存も見捨てられ不安によるという。アダルトチルドレンは虐待など機能不全家族に育った人のことで、様々な問題を抱えているが、特徴的なものに共依存がある。アダルトチルドレンは、精神科では症状から診断名を与えられることがあり、BPDもその一つだ。

共依存も見捨てられ不安から

bpdfamily (2011年9月10日 21:53)

引続き、臨床心理士の遠藤さんは「見捨てられ不安」について以下のように書いています。

「共依存(2者が依存しあう関係)は、見捨てられ不安に何重ものひねりが入っています。実は自分が切実に求めているもの(世話されたい、愛されたい、甘えたい)を相手に与え、相手に必要とされることで自分の存在の承認を得ようとするのです。だから相手に自立されると困ります。自立できない人が自分のそばにいてくれないと困るのです。私はこれを「自己愛的な主義」と呼んでいます。見捨てられ不安はしばしば利他主義の仮面をつけています。本当は誰かから「私を大事にして」と言って欲しいのに、そうではなく、「私はあなたのためを思ってやっている」なんていう(子どもからすれば恩着せがましい)表現を使ってくる。

子離れできない親、自分の思い通りにならないと怒り出すカウンセラー(こんなにしてあげたのにみたいな)、みんな「自己愛的な他利主義」であり、見捨てられ不安があるということでしょうか。

子どもの見捨てられ不安は実は親の見捨てられ不安を反映した場合もありますね。心配症の親は見ていられないので、子供が危うくなると先回りして子どもの手助けをしてしまう。すると子どもは困難へのスキルが獲得できないので教科書を相手にした勉強はできるけれども、変幻自在に変化する生身の人間がひしめき合う社会に出て失敗する(たいていBPDの人は社会に出て失敗する)。もどってきた子どもに対してやはり私がいないとこの子はだめだという理屈をつけて自立できない子どもを作って、子どものひきこもりが始まる。子どもは子どもで同世代の人たちが華々しくがんばっているのを見て、こんな自分にしたのは親のせいだといよいよBPD化する。

 

少し趣旨の違う部分で興味を持った。

アダルトチルドレンは、社会に出たり結婚で失敗することが多く、そこで戻ってきた子を親が囲い込んでしまい、親が死ぬまで自立の機会を失うことが見られるようだ。

結婚などを通じて反抗・独立を試行していた場合、その失敗は親の正統性・支配を認めるものになるかもしれない。その結果、子供時代同様の親による共依存の関係に再度はまり込むことになるのかもしれない。

親の見捨てられ不安が共依存関係を作り、その中で自己愛を確立できず、子も見捨てられ不安から他人との共依存関係を作ろうとする。

 

共依存はBPDのパートナーがもっていることが多い傾向(おそらくBPDの人がそういう相手を選んで依存している)だが、見捨てられ不安から来るならば、BPD傾向のある人も共依存傾向をもっていて不思議はないと思える。BPDを自認する人が自分の共依存傾向に言及していることもある。

 

 

社会参加、社会適応は目標に出来ない高機能型BPD

家族会のHPにあるログで、BPDについてのインデックスを選ぶとトップに来る記事に以下の記述がある。

 BPDには対人関係,情動制御,衝動性,認知に関する問題という、4つの病理が認められます。
 これらは、対人関係やコミュニケーションの問題が大きく与っています。
 
 コミュニケーションのつまずきに対して、以下の2つの問題が生じます。
・世間に参加するのに妨げになる、厄介な「反応傾向(癖)」を身に付けてしまうこと
・世間に参加するのに不可欠な能力を習得しそこねてしまうこと
 
 BPDを治療するには、単にDSM診断基準の症状に対応するだけでなく、こうした問題に治療的に取り組むことが不可欠です。
 BPDが難治とされてきたのは、こうした患者の心理社会的機能の不全に、適切な対応がなされてこなかったからでしょう。
 
 コミュニケーションのつまずきに対する脆弱さを改善することで、BPDの問題行動や症状を大きく減らすことが可能です。
 
 
【コミュニケーションのつまずきに対する脆弱さ(神経症傾向)】
     ↓↑
【BPDの症状】
 ・対人関係の問題
 ・衝動性
 ・感情不安定性
 ・認知症状
 ・同一性の障害
【世間に参加するのに必要な社会的能力の未習得】《治療の主目標》
 ・〈学び/学ばれる関係〉に耐えられる能力
 ・人の気持ちや考えをなぞる能力
【身に付けてしまった厄介なクセ】《治療の主目標》
 ・風変わりな反応傾向(癖)
 精神科は治療の目標を社会参加、社会適応に置く事が多い。問題があっても、薬で症状を抑えたり、社会生活に必要な対応の仕方を身につけることでうまく社会で生きていけるならば病気と共存してやっていけばよいと言うことだ。
 ただ、以前の記事でも取り上げた通り、この考え方はBPDでは必ずしもうまくない。社会機能は充分にありながら、家庭やパートナーとの関係でのみ問題を起こす高機能型(社会適応型)BPDが存在し、むしろ増えているからだ。上記のように「世間」「心理社会的機能」に重きを置いた対応は、必ずしもBPDが抱える問題の解決にならない。本人の生きづらさの解消、家族やパートナーに対する問題行動の消失と良好な関係の構築などを目標にすることになるはずだ。
 高機能型BPDは病識をもつことが少なく、自傷のような問題行動もないかほとんどない。そもそもBPDが他責傾向を強く持つので、自ら悩んで精神科の門を叩くことが少ない。家族やパートナーが勧めて何とか精神科を訪ねることがあるかどうかということらしい。それでも普段は普通の人を完璧に演じているので、治療対象と判断されないこともあるようだ。
 暴力、暴言、嘘、他責などで困り果てている家族は多いようだ。
 認知の歪みを修正するような精神療法を受けていくことで改善は期待できるというし、日記をつけていき、自分がどんなことを原因として感情の動きが起きたのかを把握していくだけでも改善が起こりやすくなるともいうが、本人が主体的に取り組もうと思わない限り困難だ。
 治療、カウンセリングを拒絶し続ける高機能型BPDは、パートナーには非常に困難性が高いと思われる。相手がしがみつき行動をしているのであれば治療へ向かわせることも可能かもしれないが、脱価値化をしていては声が届く余地がない。その場合はすっぱりあきらめた方がいいのではないだろうか。一旦は破綻しても時間を置いて相手が復縁を求めることがある。相当苦しい道になるので、その場合はまさに思案のしどころだ。それまでにトコトン学んでおく必要がある。
 一方、子が高機能型BPDである場合、離れるという選択肢はない。家族会のような存在を頼りにすべきだろう。

BPDの人と対することになって人がたどる過程

BPDと見なせる人もいろいろなので、暴力、暴言が目立たなかったり、自傷をしない人もいるだろう。それでもその内面にあるものは同様で、何かをきっかけに生じた激しい不安や怒りなどが渦巻いているはずだ。ある日突然起きるそうしたものによる豹変によって混乱させられ、苦悩させられる。原因がよく分からない。自分の落ち度も思い当たらない。しかし突然に相手が変わってしまった。嘘や辻褄の合わないことまで言い、責任転嫁してくる。どうしたらいいかまるでわからない。

そうした混乱で自分の生活が全て埋め尽くされてしまう状態に陥ってしまう。現実の苦しさの一方、とても良かった時期の幻影にも引きずられる。

そんな中で、一刻も早く自分を取り戻し安定させることが取り組むべきことだろう。少しでも状況を理解して、適切な対応を学び、どうするかの結論を出していくしかない。

一般にたどる過程について、星和出版のランディ・クリーガーの本からの引用(家族会のHPからの孫引き)

なお、「ノン・ボーダー」とはBPDと対している人のこと。

 ノン・ボーダーの人は、ボーダーの人との関係をとても続けられないと思いながら、去ることは想像ができないし、不可能のようです。
ノン・ボーダーの人は皆、同じ気持ちを抱いています。
今は見えていなくても、あなたには選択の自由があります。

○ノン・ボーダーの人が経験する5つの段階
一般的に次の段階を順に経験するでしょう。
大抵は行きつ戻りつします。

1.混乱段階
ボーダーの人の行動の理由を理解しようと苦しみます。
見込みのない解決策を探したり、自分を責めたり、混沌の中で生きようとしたりします。

 BPDの知識を得ても、知的なレベルで本当に理解するには何週間も何ヶ月もかかるでしょう。
感情的なレベルで理解するにはもっと長い時間が必要です。

2.外向段階
・注意をボーダーの人に向ける
・ボーダーの人に専門的な援助を受けるよう迫ったり、彼らを変化させようとする
・問題行動を誘発しないよう全力を尽くす
・ボーダーの人を理解したり、共感しようとするうち、学ぶことは全て学ぶ

 ノン・ボーダーの人が怒りや悲しみを理解するには、長い時間がかかります。
特に、親や子供がBPDの場合はそうです。
障害は本人の責任ではないと頭では理解していても。

 自分の怒りを抑圧し、代わりに抑うつや無力感や罪悪感を抱きます。
この段階で必要なのは以下のことです。
・自分の感情を認め、対処する
・ボーダーの人に自分の行動の責任を持たせる
・彼らが望み通りになる幻想を捨てる

3.内向段階
ノン・ボーダーの人は内面に目を向け、正直に自分を見つめようとします。
この段階の目標は、二人の関係で自分が果たしてきた役割を、より深く理解することです。
自己批判でなく、洞察と自己発見です。

4.決定段階
相手との関係について、何らかの決断を下そうと悩みます。
何ヶ月、何年も続くかもしれません。

 自分自身の価値観,信念,期待,思い込みなどをはっきり理解する必要があります。
例えば、離婚に反対する保守的な家系の出身のために、暴力を振るう妻と別れずにいるのかどうか?
他人のものではなく、自分自身の価値観で行動することが大切です。

5.決定期
決意を実行に移します。
時間をかけ、何度も迷い、別の選択を模索する人もいます。

○白か黒かではない関係
白か黒かだけではなく、沢山の選択肢があります。

・ボーダーの人が境界を侵したときは、一時的にその場を離れる
・関係をしばらく絶つ(数日~数ヶ月)
・ボーダーの人の行動を個人的に受け取らない
(相手が私だからやっているのだと受け取らない)
・関係は続けるが、別々に住む
・親密度を弱める
・一緒に過ごす時間を減らす
・趣味や友だち付き合いなどに、バランスよく時間を使う
・ボーダーの人が治療を受け、変化しようとする場合だけ、関係を続けると伝える
・彼らに約束を守らせ、破ったら去る
・あなた自身がセラピーを受け、問題が解決するまで、決定を先延ばしにする

○自分自身への問い
パートナーとの関係について、自分自身に問うべき質問があります。

・この関係から何を得たいか,何を必要としているか
・自分の感情をさらけ出せるか
・身体的な危険はないか
・子供にどんな影響があるか
・自尊心に影響を与えているか
・ボーダーの人と同じくらい、自分自身を愛しているか
・ボーダーの人が変化する用意ができたときだけ、受け入れているか変化がなくてもやっていけるか
・お金など、実際的な問題は何か
・自分が幸せになる権利があると思っているか
・人の犠牲になるときだけ、自分に価値があると思っているか
・最も気が休まるのはいつか
(その人といる時か,一人の時か,他の人といる時か)
・家族たちに逆らっても、自分の決定をできるか
・本当に自分自身で決断しているか,人がしてほしいことをしているだけか
・自分の決定の法的な結果はどうか
・私が友人の立場だったら、どうアドバイスするか

*「境界性パーソナリティ障害=BPD」第2版(星和書店)より

 

BPDの人を加害者として忌み嫌ったり攻撃したりするような言論もネット上には散見されるが、そうしたものをみてもBPDの人の行動の一面が見えるだけで、理解にはなかなか繋がりにくい。

BPDの家族やパートナー向けの書籍などを参考にすべきだろう。

 

 

 

BPDの解説ページ紹介

境界性パーソナリティ障害

境界性人格障害の治療と対策、人格障害の患者への接し方

というサイトがあった。運営者情報によると

メンタル疾患にかかわる看護師、保健師をしています。自分自身も愛着障害や境界性パーソナリティ障害があって、それを克服するために苦心してきました。現在は完全に克服しているのですが、そうなるまでにたくさんの勉強、研究をして資料を集めてきたので、同じ悩みをもつ人に少しでも役立てもらいたくてこのサイトにまとめています。

とある。精神科医とは異なる、患者であった当人の視点がある解説で、心性、傾向の理解の助けになりそうだ。

ただ、トンデモ、陰謀論で名の知られる内海聡の本が出てきてしまうあたりちょっとどうかと思う。陰謀論に偏る薬に関する見解については極端な部分があると思う。

BPD“認知・感情・行動”のパターン

Wikipediaも含め、診断基準を軸にした解説はいまいちわかりにくい。

BPD/元BPD当人が自分の内側について書いているものは、感じ方について独特さが分かるものがある。ランディ・クリーガー著の書籍ではそうしたものが多く取りあげられている。理解の助けになりやすいだろう。

それ以外のもので、なるべくわかりやすく多くの言葉を使い説明しているものを見ると、つかみやすそうだ。精神科医よりカウンセラーがかいたものの方が、比較的わかりやすく思えるものが多い。

たとえば、以下はどうだろうか。

境界性人格障害(境界性パーソナリティ障害)の“認知・感情・行動”のパターン

http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/griffin/borderline001.html