BPDについて振り返ってみる

こちらでは大変ご無沙汰。

BPDについて振り返ってみたいと思った。

自分と接触のあった人やネットで拝見する方のご様子などから、思うことなど。

・彼らはターゲットに対して冷徹
 彼らは子供時代に親から虐待を受けていることが多く、被害を最小にする為、その虐待する親の言動をよく観察してきたため、相手の考えていることや感情の動きなどを読み取ることに長けている傾向が強い。同時に、相手の精神の歪みなどを読み取ることにも長けている。同類を見いだすことにも長けているわけだ。面倒見のいい人、責任感の強い人、心に闇があり、依存相手を求めている人などを見抜きやすい。

 しかし、彼らは他人に寄り添うことができない。基本的に自分でもよく分からない【愛情】というものを相手に要求するが、それを確かめる為、相手を傷つけたり、自傷に対する反応を見たりする。すさまじいこころの読み取り能力で弱い部分も見抜いていて、トコトン傷口をえぐろうとする。とんでもないサディストだ。

 彼らはそれしか方法を知らないのだ。愛情が理解できず確証が持てないので、試しつづけることしかできない。しかしどれだけ試しても確証が得られないので満足はしない。
 彼らは他人を認め、寄り添い、共感する感覚が理解できないらしい。
 豊かな感情(特に愛情や喜び)がそもそもないらしい。その代替が性などの刹那的快感になってしまう。

 オキシトシンが少ないという彼らは、基本的に他人への愛着が湧きにくいようだ。

・ターゲットを自分に依存させようとする
 これは人によるかもしれないが、自分が関わった相手については、明らかにこれがあった。
 私自身が虐待を受けて育っているが、彼女は明らかにそれを読み取り、自分に甘えさせ、依存させようとしていた。ただ、それが昔の私であり、今の私はかなりそうした過去を克服(完全ではない)していた為に、かなり当てが外れたようだ。
 共依存の関係に持ちこんで、自分から離れられないようにしながら自分が理解できない愛情をむさぼろうとしていた。しかし、どれだけ愛情を傾けられようがそれが愛情であることが分からない。無限の奉仕を要求するのが彼らだ。

・不安、怒りに飲み込まれる
 彼らは、何かをきっかけに不安に飲み込まれ、怒りの感情で爆発する。セロトニンが少なく、季節的(日照時間が減る冬季の)なうつ要因もありそうだ。
 それは、他人のちょっとした言動がきっかけであることもあるし、自分の内側から来る何かであることもあるようだ。しかし、ほとんどの場合、他人が悪いわけではなく、本人の内側の問題だ。特定の相手との関係がある程度できると、まもなく怒りや不安の感情の嵐に飲み込まれ、その怒りを相手に向ける。それまで愛情をアピールする行動していたところから突然別人のようになる。人によっては別人格になっている可能性もある(解離性同一性障害)。
 相手からすれば全く理解不能だ。何が理由かも分からない。全く理不尽でしかない。

 この時点でおかしいと思って離れるのが、恐らく正しい行動だ。離れられないのは既に共依存状態に陥っている為であろう。
 何とかしてあげたいと思うのは人として正しいが、BPDはそんな生やさしいものではない。遺伝的背景のある後天的脳発達障害であって、【普通】になることは望めない。治療がうまく言っても比較的無難に社会生活が営める程度に落ち着く程度でしかない。そうした人と添い遂げたいのであれば構わないが、相当に心をズタズタにされながら生きることになる。それでも満足できるような、自己満足に浸れる人でないと一生を棒に振りかねない。
 BPDだった人とうまく行ったケースが精神科医によって挙げられていることがあるが、相当なレアケースに思われるし、本当にBPDだったのかどうかすら疑問に思う。双極性障害などの誤診だった可能性もあるのだ(この誤診はかなり多いらしい)。

 
・対象を乗り換えることにためらいはないらしい
 もともと特定の相手に対する愛情が極めて希薄で、その意味では執着がある訳ではないように見える。
 利用できる相手として執着し続けるケースはあるが、どんなに愛情があるかのように装った行動があったとしてもそれはイミテーションなので、愛情があると期待することは大間違いだ。
 だから、もういらないと思えばすぐにはなれていくし、別の誰かに近付く為に、過去の相手を悪者に仕立て上げることにも何のためらいもない。彼らの常套手段だ。

 おそらく、彼らが自分の中に見つける「愛情」と思うものは、単なる自己欺瞞なのではないかと思う。
 それほどに、彼らには愛情がそもそも存在しないし理解できない。愛情に伴う執着は存在しない。しがみつきは、愛情とは別の理由から起こるように思われる。

・愛情に飢えるが性的関係は単なる手段?
 彼らは明確な愛情を持たないので、愛情のあるフリをするが、それに至る過程が存在することもよく分からないらしい。そうした行動をとることで相手をコントロールできると思っているし、実際できてしまう。出会ってから一足飛びでそうした関係になるよう仕向ける。
 ごく短期間で体の関係に持ちこむことは彼らには普通だが、その不自然さを相手は感じつつもそれを相手の愛情・情熱・運命の相手だと思い込むことで疑念を晴らしてしまったりする。そのために執着が起こりやすい。
 愛情を求めているが何があってもその欲求は満たされることがない。性的関係は単なる相手との関係を煮詰める手段と刹那的な快感や精神的安定を得る手段で、愛情とは関係がない。言ってみれば誰でもいい。
 こうした性に対する意識は、時に性的関係だけを求める相手に利用されたりもする。【メンヘラを狙う】男たちは確実に存在する。

 

自分の状態とBPDに対する今の考え

BPD、解離性障害の疑いがある女性に振り回され、苦しい思いをし、縁が切れてから丸1年が過ぎた。

今思うと、なぜあれほど彼女にとらわれたのかよく分からないぐらい、とらえ方が変わっている。

自分の諸事情が関与した部分があるし、彼女とは20年以上前の関係が関わっているという事情もある。あの時に周囲に阻まれて十分な援助を出来なかったためにここまで病ませてしまったという悔しさもあった。しかし、BPDにありがちな不幸話を使った誘惑があったのも間違いない。

心の動きが常人と明らかに違ってブツ切れで、口調や声の変化を伴い、人格交代に近いものを感じることもたびたびで、解離性同一性障害に近い特定不能の解離性障害を疑わせた。

過去の記憶が曖昧で、10時間近く寝て、いつも眠い過眠状態。ときどきごく短時間だが意識を失うような状態になるともいっていた。

取るに足らないようなことで店員に激高することが何度もあったらしく、これもBPDにありがちなことでもある。

極めて関係性が良好になったと思えたある頃から精神的に不安定になり、何の説明もなく突然全く違う態度、言動になり、接触を避けるようになった。

この唐突な変化は20数年前にも起こっていた。その時は周囲に異常な人が多く、彼らにのせられる形ではあったが、突然感情が反転し、身に覚えのないすさまじい憎しみをぶつけて来て接触を断たれたことは理解を超えていた。その後何年も憎しみ続けていたようだ。

20数年後の彼女は、私に恋愛感情を持っていたことも、その後の憎しみのことも覚えていなかったらしい。ただ、再会したときには当時の子供っぽい恋愛感情を再生するような言動だった。この言動はこの時だけで、その後は全く違う言動に切り替わっていた。

学生時代の彼女はすでに教育虐待による問題を抱えていることが明らかな状態で、すでにBPDの芽はあったように思う。その後の彼女は共依存状態をつくって親の反対を振り切って子供を作って結婚し、早晩別居、すぐ別な子持ち男性と共依存の同棲生活にはいり、また別れている。また、学生時代から感情の伴わない性的関係を数多く結んでいたらしい。

彼女は私に何を求めていたのだろう。BPDの人は自分が抱える穴を埋めてくれる相手を欲し続ける。その穴は大概埋まることがなく、何とか埋めたいと相手を変え続けようとすることもよくある。

心を満たしたい、体を満たしたい、彼女の場合はその一方でそれに対する強烈な禁忌を発動させたりもする。何もかもが一貫しない。本人も何がなんだか分からないバラバラな状態であるように感じた。

自分に課せられた禁忌を、全て他人のせいにして自分が望んだことではないという建前で実行してしまうという狡猾さも。

異常に精神性が幼く、会話をしても対話が成り立たない。自己の間違いを認めず誤魔化し、事実の方を曲げてしまう。

特定の人と真に親密な関係を築けない、内面がいくつもの要素を統合できずバラバラで不安定、過去も現在も霧がかかったように不明瞭で、常に不安と不満を抱えている。そんなように見えた。

彼女を虐待していた彼女の母親も明らかに病的で、遺伝的要素も疑われる。ただ、彼女には虐待を受けていたという自覚が乏しく、かつて強く反発していた時代があったことと今ひとつ重ならない。精神医療では親の受容を求めることが多いので、様々な理由付けをして仕方が無いことなんだと受け入れているように見えた。だが、その一方であきらかな反感、憎しみも併せ持っているように見え、受容しているのではなく、感情を押しつぶしているだけで、虐待の延長線上でしかないように見えた。

それと関連するのが、記憶の忘却と記憶の操作で、自己を縛る禁忌に触れること、都合の悪いこと、認めたくないことは古いことから新しいことまで忘却したり、記憶を書き換えたりもする。当然言動は矛盾だらけになるが、自分で解決がつかないのでその解決として思考停止して乗り切るようだ。

精神医学の専門知識があり、自己の病識もあるようだが、それを正面から認めずに生きているらしい。

 

こう言う人が、ごく普通の心の動きをもてるようになるようにはおもいがたい。精神医療は寛解を目指すものであるから、社会生活を営める程度にうまくやれるようになればいいことになる。しかし、BPDは特定の相手との間に問題を起こすものであって、高機能型なら社会生活は問題なく出来てしまうことも多い。しかも病識は薄く、自分から精神科の門を叩くことも希だ。

治療を受けることなく問題を起こし続けやすいし、治療を受けても、認知行動療法で本質が変わるわけでもない。

彼らの恋愛行動様なものは、自分にはとても恋愛感情によるものとはとらえられない。彼らに恋愛感情を持っても、相手から普通の愛情を向けてもらえるようになるとも思えない。彼らはもっと別な、かつて親子間で得ることができなかった未熟な感情にとらわれ続けているように見えるのだ。あまりにも未成熟な彼らと、成熟した相手を尊重し合う関係を築くことは相当困難に思える。

 

彼らを愛するというのは、無償の愛を与え続けることになるのだろう。執着をされても愛情は得られない、そんな関係になるのが限界である気がする。

彼らにとらわれのは、一時期見せる彼らの理想的な姿が取り戻せると思ってしまうためだろう。だが、それはおそらく困難だ。彼らの精神性は執着、依存、理想化などに基づいた特殊なもので、普通の恋愛感情があるかどうかもあやしい。理想に見えた姿は、彼らが懸命に見せている虚像だと思った方がいい。いくら懸命であったとしても、相手に合わせて作りだしたものであるから、それを求め続けるのは無理がある。

 

追記:
 極めて関係が良好になったと感じられた後、精神的な不安定さが現れたと思ったら、次には態度が激変したのだが、激変については私がLINEした一言が【見捨てられ不安】を引き起こした可能性がある。これをきっかけに二極思考で負の感情が支配するようになったのではないか。あの一言が悔やまれる。
 しかし、それも時間の問題で、あの時の一言がなくても、他のきっかけで同じことが起きたように思われる。

これはすばらしい。DIDへの対処

PTSDを軽くする

先日投稿した、アカウント放棄状態になってしまった方は、状態がやや上向いたようで、再度ツイートをはじめ、プロフィール画像なども真っ暗な、何かが写っているが判別しがたいものから、以前のものに戻している。

精神を患われている方は、何かのきっかけで不安に襲われたり混乱したり、怒りや悲しみなどの感情の嵐に見舞われたりすることがあるようだ。

そのきっかけはごく些細なことや自分自身の妄想であることもあり、BPDはそういう事が起こりやすいようだ。トラウマとなったことを生々しき想起するPTSDのフラッシュバックも、何気ないきっかけでも突然起きてしまうようだ。

こうした方自身も、それを支える人も、本当につらく苦しい思いをすることになる。

以下、Royal College of Psychiatrists PTSDの項からの引用。

どうしたらPTSDを軽くできますか?

本人ができること

したほうがいいこと
・できるだけ普段どおりに過ごす
・普段の生活に戻る
・信頼できる人に外傷体験について話してみる
・リラックスするためのエクササイズをやってみる
・仕事に復帰する
・規則正しい食事と運動を心がける
・外傷体験をした場所へもう一度行く
・家族や友人と共に過ごす
・集中力が低下しているので運転には気をつける
・事故を起こしやすいのでいつも注意して行動する
・医師に相談する
・回復すると信じる

しないほうがいいこと
・自分を責める – PTSDの症状は精神的な弱さを意味するものではありません。恐ろしい体験に対する正常な反応であり、誰にでも起こりうる症状です
・感情を抑えこむ。PTSDは治療がうまくいくことが多いので、症状を自分ひとりで抱え込まないようにしましょう
・外傷体験の話を避ける
・当時の記憶がすぐになくなると期待する: 記憶はしばらくの間、続くことが考えられます
・自分に期待しすぎる。外傷体験に適応している間は、気楽に過ごしましょう
・人を避ける
・アルコールやコーヒー、タバコ等を過剰に摂る
・過労になる
・食事を抜く
・ひとりで休暇を過ごす

回復を妨げる要因はなんですか?
他の人たちが外傷体験を経験したあなたに対して、以下のような行動をとるかもしれません:
・外傷体験の話をさせない
・あなたを避ける
・怒り出す
・精神的に弱いとみなす
・あなたのことを責める

彼らは自分が、恐ろしくぞっとするような体験について考えずにすむよう、保身のために上記のような行動をするのです。しかし、これでは外傷体験者にとってなんの助けにもなりません。外傷体験を話すことはただでさえ困難であるのに、これでは話すことで乗り越える機会をなくしてしまいます。

外傷体験によって、当人は放心状態になり、その状況を現実とは思えないような混乱したものだと感じます。しかし、当時の出来事を思い出せず、言葉で表現できず、また理解できないままでは外傷体験に適応するのは困難です。

Royal College of Psychiatrists
(心的)外傷後ストレス障害Post Traumatic Stress Disorder(PTSD)

ある方のメンタル状態悪化

ツイッターでフォローをしていた方が、急激にメンタル状態を悪化させ、事実上アカウント放棄状態になってしまった。

PTSDと解離性症状があり、幼い頃に起きた目前での友人の事故死、近親者や他人からのレイプなど、過酷な過去を背負っておられた。

とても前向きに活動されていたのに、何がきっかけだったのかわからないが、心を閉じてしまわれた。最後に残された、自分を責めるいくつものツイートに心が痛む。過酷な過去は、決して本人のせいではないのに。

知性と聡明さがあり、自分を客観視できる人は比較的メンタルの問題も改善しやすい傾向があるように思っていたのだけれど、実際はそう簡単ではないと思い知らされた。特に幼い頃に負った心の傷は、やはり一生の問題になる。それをどの程度現実に適応させて生きられるかという程度問題でしかない。

 

解離性障害が強いのかも知れない

私が悩まされ、強いショックを受けさせられた相手は、その心性と言動からBPDである可能性を強く感じてきた。

ただ、実際に対面する時間が短く、その特徴である見放され不安で感情爆発して直接暴言や暴力を受けるような場面には出くわさなかったので、行動化をおさえている状態(≒寛解?)であったようにも思える。その代わり、別の手段(攻撃性)で激しい感情を処理しているようなので、本質的にはBPDの心性は持ち続けているのだろう。

典型的なBPDのありようが全てに当てはまるわけではなく、個別の事情がかさなっているから多様性があるはずだ。

彼女の場合は、軽度の人格交代の様なものが頻繁にみられた。軽度というのは、完全に別人格に替わる解離性同一性障害(DID)ではなく、別の性格や特徴に替わってしまうスイッチングが起こる特定不能の解離性障害であろうと思われることだ。

記憶はほぼ繋がっているようだが、曖昧な場合もある。スイッチングしたときに話が繋がっていない様子が見えることがあるし、本人もやや記憶の断絶を感じているらしいこともある。

過去の記憶が曖昧だったり現実にベールがかぶった状態であったり、記憶から感情が解離していたりしているらしい。半年前の写真を見て、何故こんなことをしているのかを覚えていないといったり、夜にやっていたことを朝になってなんでそんなことをしてしまったのだろうと悩んでみたり。本人の性格傾向が変わってしまうようなことが頻繁にあるようだ。

暴言を吐く人格が突如出ては引っ込んでみたりするが、これなどは傍観している別人格が飛び出てくる感じだ。本人が了解尽くだったことを非難するようなことを言うので、記憶が完全に繋がっていないのかも知れない。

そして豹変前後で言動だけでなく使う言葉や認識も変わったので、私に対応する人格が変わったのではないかとも思えた。豹変後も含め、矛盾した言動がしばしばみられたのもスイッチングによるものだったのかも知れない。

スイッチングする人格は少なくとも4パターンぐらいはあるようだった。顔つきも変わり、写真を他人に見せると同一人物に思えないと言われた。

・基本人格。普段の対人対応をしている、声が低く男勝りの人格。かつての彼女に近い。

・可愛い人格。声が高く、親しい友人やパートナーと接するときの、女性として理想化されたような人格。

・憤怒の人格。激しい怒りを担当する。普段は傍観して時折介入して怒りをぶちまける。基本人格と認識や記憶がやや不一致の様子。

・不明な人格。基本人格と性格も記憶も完全には一致せず、豹変後に現れた人格。

基本人格と可愛い人格はミックスした状態になりやすいようだった。口調と声質は可愛い人格なのに顔つきが基本人格ということもあった。

写真で見ると、上記とは別の顔つきに見えるものがあり、シチュエーションも違うので更に別の人格があるのかもしれない

一人の人と言うにはあまりに落差が大きいが、人格交代と言うには表面的すぎるのでどう考えたらいいのかわからずにいた。完全に別人格になるわけではない特定不能の解離性障害が解離性障害の多くを占めることを考えると、そう考えるのがもっともしっくり来るのだ。この障害についてかかれたものが少なくわかりにくいが、以下が参考になる。

https://susumu-akashi.com/2018/07/switching/

 

BPDの診断基準に「重篤な解離性の症状」が含まれるが、併存とされる場合もある。その境はどこにあるのだろう。