ネイチャーに面白い論文が。
「知能の高い人の脳ほど、神経線維が発達しておらず、神経回路がシンプル」

https://www.nature.com/articles/s41467-018-04268-8
シナプスの刈り込みが進んでシンプルになるのだろうな。
トコトンディープな思考を続けた結果、感覚的に早く深く物事が理解できるようになる実感としても、納得がいく。

もっと自由に。
ネイチャーに面白い論文が。
「知能の高い人の脳ほど、神経線維が発達しておらず、神経回路がシンプル」

https://www.nature.com/articles/s41467-018-04268-8
シナプスの刈り込みが進んでシンプルになるのだろうな。
トコトンディープな思考を続けた結果、感覚的に早く深く物事が理解できるようになる実感としても、納得がいく。
あるBPDが寛解しているというかたのブログを見たら、今は解離性同一性障害(DID)と診断されているという。BPD人格はお休み中と解釈しているらしい。
DIDは、いわゆる多重人格で、強いストレス、虐待などによって生じやすいと言われる。
DSMの診断基準に従うと、DIDとBPDは表面的に似通っているだけでなくBPDの診断基準が広めなのでDIDを含んでしまうと言う。
Wikipedia 解離性同一性障害 からの引用。
| 境界性パーソナリティ障害 DIDは自分が別れる(解離)のに対して、境界性パーソナリティ障害(以下BPD)の特徴は相手を分ける(スプリッティング)ことである。 DIDとBPDは両者とも分裂した自己像を持つが、それらが外部に投影されるか否によって、構造の差異が明確となる。 解離性同一性障害の場合、虐待者により虐待の秘密を口外することを禁じられるなどした場合、投影や外在化の機制が強く抑制され、葛藤を内部で処理するため病的な解離へと発展する。 それに対して、BPDのスプリッティングは分裂した自己が外部に投影されるため、周囲を非難し攻撃するが、解離のように自己間に完全な意識の断絶は生じていない[111]。BPDの印象を記述すれば「人が変わったように」「行動が極端から極端に激しく揺れる」となる。 周囲の人間を「良い人」「悪いやつ」の両極端に分ける。 「良い人」あつかいだったものが突然「悪いやつ」に変わる。 攻撃性を他者へ向けるなどである。 しかしこのBPDと解離性障害の鑑別も難しいとされる。 というのはBPDと解離性障害は非常に近い関係にあると認識されており、DSM-IV-TRではBPDの定義の9番目に「一過性のストレス関連性の被害念慮または重篤な解離性症状」が含まれている[112]。 それだけではなく、DSM-IV-TRのBPD診断基準は幅広であり、多くの解離性障害患者はBPDの基準も満たしてしまう[注 57]。 そしてDIDを含む解離性障害の診断がなされても、BPDも併記されてしまうことになる[113]。 さらにBPDを狭く定義しても、実際にDIDと併発している場合もある。しかし併記ならDIDの治療も受けられるが、DIDの患者は人格の交代を隠しており、つじつまの合わない言動に対して言い訳を用意している。 そしてその人格の交代が小心で臆病な人格から攻撃的で自己主張の強い人格に変わった場合には、人格交代に気がつかない限り、その極端な変貌はBPDに見えてしまいDIDには気づかれずに誤診されることが多い[114]。 BPDへの医師の接し方は淡々と接して「良い人」「悪いやつ」に巻き込まれないこととされる[115]。 しかしDIDの場合は相手の反応にとても敏感でありその心を読むことに長けている。 長けすぎていて医師のため息ひとつで見捨てられたと絶望し[116]、心を閉じてしまうことすらある。 DIDであることに気づかず、BPDとして扱うと治療はおぼつかない。https://ja.wikipedia.org/wiki/解離性同一性障害 |
DIDの人格交替はトランス状態を経るとよく書いてあるから、目の前で豹変した場合区別がつきそうなものだが、どうも実際はそう言うものでもなく、相当人によって違うようで、いきなりぽんと出てくるようなこともあるらしい(下の動画参照)。そうなると外から区別がつかないかも知れない。
そうなると、突然別人のように口調や態度が乱暴なものに変わりすぐ戻ることがある人がいたら、それだけではBPDなのかDIDなのかわからない。
https://www.youtube.com/watch?v=GLMxMiXDEH4
しかしながら、基本的な防衛機制が異なるので、BPDとDIDは区別がつくという。
| 1.激しく攻撃的⇔穏やかで優しい …ボーダーラインの人は激しく不安定だが、解離性障害の人は穏やか 2.相手にぶつける「投影」⇔自分に抱え込む「取り入れ」 …ボーダーラインの人は怒りをぶつけるが、解離性障害の人は溜め込む3.他人を分ける⇔自分を分ける …ボーダーラインの人は他人を二極化するが、解離性障害の人は自分の心を分割する 4.自分がからっぽ⇔自分はたくさん 5.すぐに親しむ浅い関係⇔時間はかかるが深い関係 6.現実にしがみつく⇔現実から逃れるリストカット 7.親への執着⇔親との関係が希薄 |
その一つについて。
| 対人関係のストレスに対処するとき、わたしたちはみな、この「投影」か「取り入れ」か、どちらかの方法をおもに用いています。
「投影」とは、たとえば問題点を指摘されたとき、アドバイスを受け入れるかわりに、「あんたこそそういう点が問題だ!」それを跳ね返すことです。 いっぽう、「取り入れ」とは、「確かに自分には問題がある…」と受け入れることです。 わたしたちの大半は、この二つをバランスよく用いて日々の人間関係に対処しています。 しかし、ボーダーラインと解離性障害の人は、この防衛機制の用い方が極端に偏っています。 ボーダーラインの人は、「投影」を用いることが非常に多く、何かを指摘されたときに反発して攻撃的になり、つい相手をこきおろしてしまうことがよくあります。 しかし解離性障害の人は「取り入れ」ばかりを用い、何を言われても反論せず、不満や怒りは自分の内側に溜め込んでしまいます。しまいに溜め込まれた怒りが、攻撃的な別人格を形成して、時々人格交代することもあります。 そのようなボーダーラインの「投影」戦略と、解離性障害の「取り入れ」戦略の違いは、こう説明されています。 ボーダーラインの場合は、思春期前に、親が自分を物のように扱っていたと考えるようになって、そして恨みに変わっていったという感じです。 でも解離の場合は、小さいころからどんどん内側にためていって、別の人格をつくってしまう、怒りさえも意識しないという感じです。(p208) 解離の舞台―症状構造と治療 で、柴山雅俊先生は、それを「我の強さ」に置き換えて表現しています。 解離の患者は、他者と対峙したとき相手を押し返す力が概して弱い。自己主張や自己表現が苦手で、傷ついたり不快を感じたりしても、(人格交代しない限りは)相手に抗議することができない。 外界を変えようとする(alloplastic)のではなく、自らを変容させること(autoplastic)によって困難な状況を生き延びようとする(フェレンツィ 2000)と言ってもよい。 このあたりは境界性パーソナリティ障害に見られるある種の我の強さと対照的であろう。(p228) 解離性障害の人は、批判されても言い返すのが苦手で、自己を変容させる「我の弱さ」が特徴で、境界性パーソナリティ障害の人は逆に、批判に応酬する「我の強さ」が特徴です。 このような人間関係への対処の仕方の違いが、穏やかで優しい解離性障害と、攻撃的で激しいボーダーラインという違いをもたらすのです。 |
その他、様々な違いがあり、区別がつくという。
詳しくはリンク先を参照。
アダルトチルドレンは精神科で扱う診断名ではなく、パーソナリティ障害(PD)と重なるより広い概念だ。
そのため、BPDの見捨てられ不安や試し行為はアダルトチルドレンでもある。
私は、BPDが「見捨てられ不安」のためにしがみつくばかりではなく、自ら相手を捨ててしまうと言う行動に強い関心を持っているが、アダルトチルドレンの解説の中にも同様の行動が示されていたので引用する。
アダルトチルドレンの傾向~「自分から捨てる」という人もいる「見捨てられ不安」からくるアダルトチルドレンの人間不信あまりに見捨てられ不安が強いと、「相手が離れていったときに自分が苦しむのは辛いから、こちらから捨てる」という行動に走る場合もあるそう。 せっかくお友達になったのに、相手を疑う気持ちが強すぎるために「常に離れていく不安」を考えることが辛くなってきてしまうのです。このため、首の皮一枚でつながっている様な感覚に陥ってしまい、「いっそのこと自分から切る」という極端な行動に走ってしまうのです。 それ以前に、相手がせっかく好意をもっていても「どうせ信用したところで相手は離れていくんだから」という疑心暗鬼な状態から抜け出すことができず、友達を作れない場合も。 「見捨てられ不安」というと、相手にしがみついてしまうあまり「相手から見捨てられてしまう」という発想の人が多いのですが、このように自分から関りを絶ったり、そもそも関わらろうとしないケースもあります。どちらにせよ、心の底には深い人間不信がありますので、当人は大きな寂しさを抱えてしまっています。 アダルトチルドレンを克服したい人のための体験談サイト |
| 常に不安が付きまとう!見捨てられ不安の特徴① 見捨てられ不安を抱えたまま大人になってしまうと、人間関係で問題が起こるようになるになります。子どもの頃の親に対しての不安を他者に向けてしまうのです。恋人や友達と付き合っている時でも、心のどこかで「見捨てられるのではないか」という不安を抱えてします。大切な人を遠ざけたり、攻撃する そして、些細なことで「自分は見捨てられた」、「裏切られた」と思ってしまい、友達や恋人を遠ざけたり、攻撃してしまうのです。周囲の人にとっては、なぜいきなり避けられるのか、攻撃されるのかわかりませんから、次第に距離を置くようになります。見捨てられ不安が原因で他者を遠ざけたり、攻撃したりすることを繰り返していると、十分な信頼関係を気づくことが出来ません。これが、アダルトチルドレンの生きづらさの一つになるのです。アダルトチルドレンを克服したい人のための体験談サイト http://xn--cck0cd1ag5rcj7d1389bu96b.net/xstsg-kdqs/ |
| アダルトチルドレンの特徴、3つめは「自分はいつか捨てられる」という【見捨てられ不安】です。
この見捨てられ不安を持ってしまうと、 捨てられないように相手に合わせようとする へりくだっていても、上から目線で偉そうにしていても、奥にあるのは「自分はいつか捨てられる」という想い。 この想いを克服していかない限り、人生に望ましくない結果をもたらし続けるのです。 AC大阪 |
この見捨てられ不安を克服していかないとBPD/ACに平穏はないのだろう。見捨てられることはないのだという安心を得られることが必要だが、彼らは大切な人に見捨てられまいと相手にしがみつくあまり試し行為を繰り返して相手を苦しめ、離れらえてしまったり、自ら相手を遠ざけたりするために、関係を自ら壊してしまう。
それを超えることが家族やパートナー、支援者の大きな課題と言える。ただ従い続けるのではなく、腫れ物を触るように扱うのでもなく。
対応の仕方を学ばなければならない。
たとえば次のようなページを参考にしてみるとよいだろう。ランディ・クリーガーのワークショップをまとめたものだ。
境界性パーソナリティ障害(BPD)の方を周囲から見守る人のための
|
BPDに特徴的と言える「見捨てられ不安」が、共依存とも関係が深いという話を引用する。例によってBPD家族会のログから。
bpdfamily (2011年9月10日 08:50)
BPDの根源に他の人より特に強い見捨てられ不安があると言われています。
ASK選書14に「苦しさの一番奥にあるのは見捨てられ不安だった」というブックレットがありますが、その中で、臨床心理士の遠藤優子さんはユニークな観点から、見捨てられ不安をとりあげられています。そうなんだろうなあとも感じます。以下は遠藤さんの文章の要約です。
見捨てられ不安とは人間間関係の問題ではありません。これは自己愛の問題です。見捨てられ不安は存在の不安として自覚されます。自分はここにいてもいいのだろうかという不安です。このような自己肯定の問題があるために、ここにいても大丈夫だという承認欲求が生まれます。大事にして欲しい、愛して欲しいという欲求です。
やっかいなことにこの欲求は決して言葉では表現されません。「私を認めて欲しい」「大事にして欲しい」と自分から頼んだとしたら、頼んだものが得られてもちっとも満たされないからです。
「こうして欲しい」と一切表現せず、相手が自ずから気づいてくれて、相手自身の願望で大事にしてくれたり、愛してくれるのでなければ意味がないのです。
しかし、どうして欲しいか言葉にしなければわかりません。「言わずに察して満たして欲しい」という承認欲求が強くなればなるほど、見捨てられ不安も強くなります。さらに、相手は自分の欲求に応えてくれずに見捨てるにちがいないという予期不安まで出てきます。しかし、こんな欲求に応えられる相手なんて現実にはあり得ないわけです。
例えば、摂食障害は「弱さを表現していい病気だ」と言われています。何らかの形で「私を愛して」「私を認めて」と表現するのです。
見捨てられ不安が人間関係の問題というよりも、本人の自己愛の問題だとすると、どうすればよいか。それはその瞬間瞬間に自分に向けられた承認や愛情を本人が受け止められるようにすることです。例えば、誰かがにっこり笑ってあいさつしてくれたとか、誰かがその服素敵だねと声をかけてくれたとか。些細なことでもそれがたまっていけば「この世界もなかなかいいものだ。自分もこの世界に受け入れられているようだ」という感覚が養われていきます。
以上が遠藤さんの文章です。
よく、心理学の本なんかに赤ちゃんとお母さんの関係が出てきます。小さい頃は遊びに夢中になってしまい、気づいたらお母さん(絶対的な安心・安全な対象)が近くにいないで、どこかに行ってしまった状況を認識すると、赤ちゃんは必死に泣き叫ぶ。しかし、ある程度大きくなって、「心の中にお母さん」ができてくると、たまにいなくなっても混乱しなくなる。さらに安全基地が家にあると、外にでかけて他の人に接するという冒険もできてくる。何かあったら泣きながら家に帰ってきて、お母さんに抱っこしてもらう。こんなことを繰り返しながらだんだん、親との距離をとりながら自立していく。そのうち、親に代わる安心・安全対象(恋人)を見つけ、そこがその人の安全基地になるということかなと思います。
BPDの人は言わないでもわかって欲しいではなく、やはり口に出して言う練習、相手の方はBPDの人が言いやすい環境作り(正論を言うのではなく、まずは聴く)によって、問題行動(リストカット等)を減らすことができるような感じもします。
相手自身の意志によって愛されたいという欲求を持ち、それを自分が表現することなく満たされることを望む。しかし表現しないから、見捨てられるのではないかという不安も大きくなる。そんな一人相撲をしているのがBPDだと。
ここにはないが、一方で好きだと言われてもその気持ちを疑うのもBPDだ。「自分が本当に好かれるはずがない、今はそんなことを言っていても本心ではなく、いずれ見捨てられるのではないか、何か他の狙いがあるのではないか」そういう猜疑心に埋もれていくのだろう。そして相手が降参して離れていくまで相手の愛を試し続ける。
結局は自分という存在に全く自信が持てないからそう思うのだし、それは虐待などの生育歴によるところが大きいだろう。
BPDの人自身がきちんと自分の思いを口に出せて伝えられることがとても大切なはずで、それができるようにして行くことが課題なのだとは、指摘の通りだと思う。
アダルトチルドレン(AC)にみられる共依存も見捨てられ不安によるという。アダルトチルドレンは虐待など機能不全家族に育った人のことで、様々な問題を抱えているが、特徴的なものに共依存がある。アダルトチルドレンは、精神科では症状から診断名を与えられることがあり、BPDもその一つだ。
bpdfamily (2011年9月10日 21:53)
引続き、臨床心理士の遠藤さんは「見捨てられ不安」について以下のように書いています。
「共依存(2者が依存しあう関係)は、見捨てられ不安に何重ものひねりが入っています。実は自分が切実に求めているもの(世話されたい、愛されたい、甘えたい)を相手に与え、相手に必要とされることで自分の存在の承認を得ようとするのです。だから相手に自立されると困ります。自立できない人が自分のそばにいてくれないと困るのです。私はこれを「自己愛的な他利主義」と呼んでいます。見捨てられ不安はしばしば利他主義の仮面をつけています。本当は誰かから「私を大事にして」と言って欲しいのに、そうではなく、「私はあなたのためを思ってやっている」なんていう(子どもからすれば恩着せがましい)表現を使ってくる。
子離れできない親、自分の思い通りにならないと怒り出すカウンセラー(こんなにしてあげたのにみたいな)、みんな「自己愛的な他利主義」であり、見捨てられ不安があるということでしょうか。
子どもの見捨てられ不安は実は親の見捨てられ不安を反映した場合もありますね。心配症の親は見ていられないので、子供が危うくなると先回りして子どもの手助けをしてしまう。すると子どもは困難へのスキルが獲得できないので教科書を相手にした勉強はできるけれども、変幻自在に変化する生身の人間がひしめき合う社会に出て失敗する(たいていBPDの人は社会に出て失敗する)。もどってきた子どもに対してやはり私がいないとこの子はだめだという理屈をつけて自立できない子どもを作って、子どものひきこもりが始まる。子どもは子どもで同世代の人たちが華々しくがんばっているのを見て、こんな自分にしたのは親のせいだといよいよBPD化する。
少し趣旨の違う部分で興味を持った。
アダルトチルドレンは、社会に出たり結婚で失敗することが多く、そこで戻ってきた子を親が囲い込んでしまい、親が死ぬまで自立の機会を失うことが見られるようだ。
結婚などを通じて反抗・独立を試行していた場合、その失敗は親の正統性・支配を認めるものになるかもしれない。その結果、子供時代同様の親による共依存の関係に再度はまり込むことになるのかもしれない。
親の見捨てられ不安が共依存関係を作り、その中で自己愛を確立できず、子も見捨てられ不安から他人との共依存関係を作ろうとする。
共依存はBPDのパートナーがもっていることが多い傾向(おそらくBPDの人がそういう相手を選んで依存している)だが、見捨てられ不安から来るならば、BPD傾向のある人も共依存傾向をもっていて不思議はないと思える。BPDを自認する人が自分の共依存傾向に言及していることもある。
家族会のHPにあるログで、BPDについてのインデックスを選ぶとトップに来る記事に以下の記述がある。
BPDと見なせる人もいろいろなので、暴力、暴言が目立たなかったり、自傷をしない人もいるだろう。それでもその内面にあるものは同様で、何かをきっかけに生じた激しい不安や怒りなどが渦巻いているはずだ。ある日突然起きるそうしたものによる豹変によって混乱させられ、苦悩させられる。原因がよく分からない。自分の落ち度も思い当たらない。しかし突然に相手が変わってしまった。嘘や辻褄の合わないことまで言い、責任転嫁してくる。どうしたらいいかまるでわからない。
そうした混乱で自分の生活が全て埋め尽くされてしまう状態に陥ってしまう。現実の苦しさの一方、とても良かった時期の幻影にも引きずられる。
そんな中で、一刻も早く自分を取り戻し安定させることが取り組むべきことだろう。少しでも状況を理解して、適切な対応を学び、どうするかの結論を出していくしかない。
一般にたどる過程について、星和出版のランディ・クリーガーの本からの引用(家族会のHPからの孫引き)
なお、「ノン・ボーダー」とはBPDと対している人のこと。
ノン・ボーダーの人は、ボーダーの人との関係をとても続けられないと思いながら、去ることは想像ができないし、不可能のようです。
ノン・ボーダーの人は皆、同じ気持ちを抱いています。
今は見えていなくても、あなたには選択の自由があります。
○ノン・ボーダーの人が経験する5つの段階
一般的に次の段階を順に経験するでしょう。
大抵は行きつ戻りつします。
1.混乱段階
ボーダーの人の行動の理由を理解しようと苦しみます。
見込みのない解決策を探したり、自分を責めたり、混沌の中で生きようとしたりします。
BPDの知識を得ても、知的なレベルで本当に理解するには何週間も何ヶ月もかかるでしょう。
感情的なレベルで理解するにはもっと長い時間が必要です。
2.外向段階
・注意をボーダーの人に向ける
・ボーダーの人に専門的な援助を受けるよう迫ったり、彼らを変化させようとする
・問題行動を誘発しないよう全力を尽くす
・ボーダーの人を理解したり、共感しようとするうち、学ぶことは全て学ぶ
ノン・ボーダーの人が怒りや悲しみを理解するには、長い時間がかかります。
特に、親や子供がBPDの場合はそうです。
障害は本人の責任ではないと頭では理解していても。
自分の怒りを抑圧し、代わりに抑うつや無力感や罪悪感を抱きます。
この段階で必要なのは以下のことです。
・自分の感情を認め、対処する
・ボーダーの人に自分の行動の責任を持たせる
・彼らが望み通りになる幻想を捨てる
3.内向段階
ノン・ボーダーの人は内面に目を向け、正直に自分を見つめようとします。
この段階の目標は、二人の関係で自分が果たしてきた役割を、より深く理解することです。
自己批判でなく、洞察と自己発見です。
4.決定段階
相手との関係について、何らかの決断を下そうと悩みます。
何ヶ月、何年も続くかもしれません。
自分自身の価値観,信念,期待,思い込みなどをはっきり理解する必要があります。
例えば、離婚に反対する保守的な家系の出身のために、暴力を振るう妻と別れずにいるのかどうか?
他人のものではなく、自分自身の価値観で行動することが大切です。
5.決定期
決意を実行に移します。
時間をかけ、何度も迷い、別の選択を模索する人もいます。
○白か黒かではない関係
白か黒かだけではなく、沢山の選択肢があります。
・ボーダーの人が境界を侵したときは、一時的にその場を離れる
・関係をしばらく絶つ(数日~数ヶ月)
・ボーダーの人の行動を個人的に受け取らない
(相手が私だからやっているのだと受け取らない)
・関係は続けるが、別々に住む
・親密度を弱める
・一緒に過ごす時間を減らす
・趣味や友だち付き合いなどに、バランスよく時間を使う
・ボーダーの人が治療を受け、変化しようとする場合だけ、関係を続けると伝える
・彼らに約束を守らせ、破ったら去る
・あなた自身がセラピーを受け、問題が解決するまで、決定を先延ばしにする
○自分自身への問い
パートナーとの関係について、自分自身に問うべき質問があります。
・この関係から何を得たいか,何を必要としているか
・自分の感情をさらけ出せるか
・身体的な危険はないか
・子供にどんな影響があるか
・自尊心に影響を与えているか
・ボーダーの人と同じくらい、自分自身を愛しているか
・ボーダーの人が変化する用意ができたときだけ、受け入れているか変化がなくてもやっていけるか
・お金など、実際的な問題は何か
・自分が幸せになる権利があると思っているか
・人の犠牲になるときだけ、自分に価値があると思っているか
・最も気が休まるのはいつか
(その人といる時か,一人の時か,他の人といる時か)
・家族たちに逆らっても、自分の決定をできるか
・本当に自分自身で決断しているか,人がしてほしいことをしているだけか
・自分の決定の法的な結果はどうか
・私が友人の立場だったら、どうアドバイスするか
*「境界性パーソナリティ障害=BPD」第2版(星和書店)より
BPDの人を加害者として忌み嫌ったり攻撃したりするような言論もネット上には散見されるが、そうしたものをみてもBPDの人の行動の一面が見えるだけで、理解にはなかなか繋がりにくい。
BPDの家族やパートナー向けの書籍などを参考にすべきだろう。
境界性人格障害の治療と対策、人格障害の患者への接し方
というサイトがあった。運営者情報によると
メンタル疾患にかかわる看護師、保健師をしています。自分自身も愛着障害や境界性パーソナリティ障害があって、それを克服するために苦心してきました。現在は完全に克服しているのですが、そうなるまでにたくさんの勉強、研究をして資料を集めてきたので、同じ悩みをもつ人に少しでも役立てもらいたくてこのサイトにまとめています。
とある。精神科医とは異なる、患者であった当人の視点がある解説で、心性、傾向の理解の助けになりそうだ。
ただ、トンデモ、陰謀論で名の知られる内海聡の本が出てきてしまうあたりちょっとどうかと思う。陰謀論に偏る薬に関する見解については極端な部分があると思う。
Wikipediaも含め、診断基準を軸にした解説はいまいちわかりにくい。
BPD/元BPD当人が自分の内側について書いているものは、感じ方について独特さが分かるものがある。ランディ・クリーガー著の書籍ではそうしたものが多く取りあげられている。理解の助けになりやすいだろう。
それ以外のもので、なるべくわかりやすく多くの言葉を使い説明しているものを見ると、つかみやすそうだ。精神科医よりカウンセラーがかいたものの方が、比較的わかりやすく思えるものが多い。
たとえば、以下はどうだろうか。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/griffin/borderline001.html
あまり交流分析のことは知らないのだけれど、知り合いのかつての行動に重ねて面白かったので、引用させていただくことにした。
交流分析については
など。
交流分析には、必ず不快で終わるゲームというのが出てくるのだが、その一つ「ラポ・ゲーム」を取りあげる。
●『ラポ』
「さあ、とっちめてやるぞ」と同じタイプのものだが、性的なニュアンスがより強く、女性が演じやすいゲームである。男性の前で、華やかな服装で魅惑的に振る舞う。男性が引かれて近づいてくると、急に態度を変えて、肘鉄砲を食らわす。「心と心のふれあいを大事にしたかったのに、結局は私の肉体に引かれたのネ。男はみんなケダモノ」と、激しく攻撃する。基本的な構えでは、「男性はOKでない」の構えである。常に、それを確認するために、被害者から迫害者に転じるゲームを演じる。
男性と親密な関係になると、恋愛関係をこわしてしまう女性。また、一見偶然のようだが、いろいろなトラブルに次々に巻き込まれる人たちは、このゲームの可能性が強い。
特に、ヒステリー性格(自己顕示欲の強い性格)の女性に多く、また、成熟した女性性が確立されていない場合に、演じられるゲームである。彼女たちの多くは、自分は被害者と思い込んでいる。
ちなみにラポとは、レイプをもじったもので、軽い男女の戯れから、複雑な三角関係、果ては、こじれてしまう離婚問題まで、さまざまな男女模様を含む。
(『万能感とは何か』、ASIN:4101291314、p122)
みんカラの方で「カエル化現象」を取りあげたが、現象としては似ている。カエル化現象は好きだと思ってつき合おうとするが、好きになられるととたんに嫌悪感が生じてしまうというもの。その背景は、自己肯定感の低さと言われている。自信がないから「自分を好きでいてくれるはずがない、だから先に嫌ってやる」と言うもの。BPDにありがちな心の動きだ。
対してラポ・ゲームは女性の男性への不信感、嫌悪感などがあり、誘惑しては迫害する。

http://www.aiseikyo.or.jp/kokoro/member/report/images/pdf/111023_kimura.pdf
典型的なBPDはこの図のようにとらえられるだろう。
4で問題を起こし、障害と扱われ、治療対象と言うことになる。
高機能型BPDや他人との接触を避けるタイプでは症状が現れにくいため障害が発覚しにくく、精神科の門を叩いても早期に症状が見られなくなり、構造がそのままでも治療をやめてしまいやすいということらしい。
緩解しても発症を繰り返しかねないわけだ。